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共感覚 [よしなしごと]

Wired Visionの文字を色で、香りを形で感じる人たち:「共感覚」と比喩と云う記事を読んだ。この種の記事を読んでたいがー!とか叫びたくなるひとはぼくだけじゃなくてそこそこいるんだろう、と思うけど(思いたい)、まぁそれはそれとして。

この共感覚、って云うのは、まぁ持っているひとは持っているんだろうな、とか思う。微弱なら気付かないだろうし、記事の最後に載っているテストに準拠すればぼくにもいくらかある、と云うことになるようだし。
まぁなんと云うか、そう云う意味ではへんな云い方だけど、あっても構わないんだろうと思う。多分問題なのは、その共感覚のパターンに違う人間同士で共通点があるかどうか、で。あなたはこの音がまっ黄色に聞こえるって云うけど、ぼくにも薄いレモン色に聞こえるよ、とか。
一般人口で調査した場合に比べて、詩人や芸術家や作家では共感覚が8倍多く見られるが、その理由は「比喩」というものと関係している、とRamachandran氏は語る。
それはどうかなぁ。比喩、と云うのは伝わることがその本質にあるものだし、共感覚者の感じる共感覚のパターンが個別に相違したものなら比喩として示された事柄の意味が伝わることはないわけで。

逆に、その共感覚に一定のパターンがあるようなら、なんとなくそこからクオリア、と云うものの「文芸の言葉に準拠しない」議論が可能になる気がする。ちょっと短絡しすぎかなぁ。
タグ:自然科学
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黒猫亭

>poohさん

>>逆に、その共感覚に一定のパターンがあるようなら、なんとなくそこからクオリア、と云うものの「文芸の言葉に準拠しない」議論が可能になる気がする。ちょっと短絡しすぎかなぁ。

昨日録画データを整理していたら、ベストハウス123が丁度サヴァン症候群の特集をやっていて、そこで共感覚も採り上げられていました。当然「番組の頭脳」としてあの茂木健一郎氏が講師を務めていて、あれやこれやと示唆に富む一般論を熱く語っておられましたねぇ。

HDD容量に余裕がなくて一度観て消してしまったので、詳しい内容は覚えていないのですが、共感覚について一般論という以上の説明はしていなかったと思います。まあ、番組全体の結論が「サヴァン症候群は『脳の個性』と考えて偏見なく接しよう」というものでしたから、クオリアがどうこうという話になるはずもないのですが。
by 黒猫亭 (2008-09-11 09:50) 

OSATO

その番組、私も見ました。素直に驚きましたよ。
それを見る限りでは、その人達における共感覚は「比喩」でも「抽象化」でもなく、「具体化」或いは「具現化」とでも言えるものでしたね。まああまりにも特殊な例ですが。
改めて脳の不思議さ、奥深さを実感しました。↓
http://wwwz.fujitv.co.jp/123/oa.html
by OSATO (2008-09-11 22:03) 

pooh

> 黒猫亭さん

いやまぁ、個性ですよねそりゃ。で、個性はだれでも多かれ少なかれあって、個性そのものに対して偏見を持つのはそりゃ第一義的にはいいことじゃないだろうし。

いや、共感覚の場合、感覚のtouchみたいなものが直接的にシフトするわけじゃないですか。これって原義に近い「クオリア」の発現じゃないかなぁ、みたいにちょっと思ったのでした。
by pooh (2008-09-11 22:09) 

pooh

> OSATOさん

これ、知覚の種類によって獲得できる情報量に差があって(逆に云うと抽象度に違いがあって)、別種のリアリティとリンクしていく、みたいな話のようにも感じます。

で、不思議っておっしゃってますけど、顕著じゃないだけでOSATOさんご自身もある程度お持ちかも、ですよ。そう云う種類の話じゃないか、とか思いました。
by pooh (2008-09-11 22:12) 

pooh

たかぎFさんのブクマからリンクを辿って発見。これは面白い。

http://web.sfc.keio.ac.jp/~ako/synesthesia.html

たいがー!(違うか)
by pooh (2008-09-12 08:13) 

亀@渋研X

ベストハウス、たまたま見ました。茂木氏は相変わらず安直かつ陳腐な御託を垂れ流しているなあ、と眺めておりました(^^;;

かつて見た「発言小町」での共感覚者についてのトピックを思い起こすと、数字から色という人もいれば、そうじゃなくて数字から別の感覚刺激を受け取るという人もいたような気がします。さだかな記憶じゃないけど。
だとすると、共有できるようなものではないですよね。

一方、確か「共感覚者のブログ」というサイトで読んだことだと思うのですが、そこでは「ふつうの五感とは別の感覚」とされていて、ほかの共感覚者でも同じだろうとされていました。つまり、たとえば「数字を色として感覚する」といった場合に見える色は、現実に目にする色とはなにか違うものなのだけれども、色としか言いようのない感覚だ、ということのようです。で、それは共感覚者に共通するものだと。
そういう意味では「比喩」に似ていないこともないのかもしれません(この場合は、数字から受ける印象としての色が、視覚刺激としての色のアナロジー)。

■暗算。数字が色と模様で頭に浮かぶという夫(発言小町)
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2008/0523/185122.htm?g=08

■日常を疑って日常を嗜む -共感覚者のブログ
http://ij-art-music.sblo.jp/

どちらも再読していないので記憶違いがあるかもしれません。
by 亀@渋研X (2008-09-12 15:59) 

黒猫亭

>poohさん

おそらくpoohさんも想定しておられることだろうと思うのですが、昔からマーケティングでよく言われていることに「赤いパッケージは美味しそうに見える」「青いパッケージは不味そうに見える」というのがありますよね。そう言われてみると、たしかに食品のパッケージでは赤系統の色使いが多くて、青系統の色のパッケージというのはそんなに視ない。

で、これは「自然界に存在する甘くて美味しいものは概して赤いことが多いけれど、青い食べ物というのはまず存在しないので、人間は青という色を視ると『食べ物ではない』という意識が働く」というふうな説明を何処かで聞いたことがあります。

これなんか学問的な根拠があるかないかはともかく、説明としては一見筋が通っているし、経験則上の認識とも合致するから何となく納得してしまうんですけど、では「赤いという感じ方の色」を視て「甘そうだ」とか「美味しそうだ」と感じる感じ方の部分のメカニズムについては何の説明にもなっていないわけで、もしかしたらこれも意識せざる一般的な共感覚(視覚と味覚)の例なのかもしれないし、そこにはクオリアの問題も絡んでくるでしょう。

たとえば、クオリア問題で謂われているように、オレが青だと思っている感じ方の色を赤として感じている人がいるとして、その色の感じ方でもやはり「美味しそう」と感じるのか、それともそういう人は一般的に赤とされている色を視ても美味しそうには感じないのか、というふうに、共感覚というのはクオリアを考える場合に大変興味深い観点を提起してくれるかもしれません。勿論、茂木先生もそんなことは考えておられると思いますが(笑)。

いずれにせよ、共感覚というのはデジタルに断絶して「ある人」と「ない人」が存在するというより、多分連続的に強弱があるだけなんじゃないかという気もしますし、五感がそんなに厳密に分化しているわけではないというのは、直観的に説得力があります。

サヴァン症候群の人々の一見特殊に見える能力も、そうでない人々よりも狭い関心に特化して集中した結果だという説明もあるように、共感覚というのも極端に強ければ「音が見える」という特殊な感じ方になるのだろうけれど、リンク先で触れられているような「色彩的表現」という感じ方は割合誰にでも一般的に具わっている感じ方ですから、実は強弱の差こそあれ一般的なものなのかもしれませんね。
by 黒猫亭 (2008-09-12 16:46) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

この小町のトピック、凄いですね。目がまわるかと思った。

感覚同士の連結の仕方は、ひとそれぞれ、なのかもしれません。でも、同傾向の人(連結する感覚が同じものであるようなひと)同士は共有できるのかも、とか思ったりしたんですが、小町を見る限りそうでもないような気もしてきました。
by pooh (2008-09-12 22:25) 

pooh

> 黒猫亭さん

> 「赤いという感じ方の色」を視て「甘そうだ」とか「美味しそうだ」と感じる感じ方の部分のメカニズム

おっしゃる通り、それがまさにクオリア、と云うものの問題なんだと思います。で、本質的に茂木さんの語るクオリアもそう云うものなんですけど、なぜか「善きもの」と云うようなニュアンスを帯びる。

> 五感がそんなに厳密に分化しているわけではないというのは、直観的に説得力があります。

そう思うんですよ。で、多分その点については、処理のメカニズムを探求することによって幾分かの示唆が生じるような話だと思うんですね。そここそ脳科学者の領分かな、と。

ぼくもここで音楽の話をよく書きますが、音楽について聴覚以外の感覚を比喩として用いるのはそうとう一般的ですよね。それが伝わるのだとすれば、すべてのひとのなかに共感覚を感覚の一形態として把握する資質は備わっている、ということなのかもしれません。
あれ? 元記事の内容も、実はそう云うことだったのかも。
by pooh (2008-09-12 22:37) 

TAKA

私も尖った方を、キキだと思いました。

『詩人や芸術家の共感覚と比喩の関係。』これについて私は、想像してみました。
「自分の心の底から湧き出る独自の比喩を、多くの人に伝わるように、いつでも自由自在に工夫できる人。その人こそ、後世に称えられる偉大な詩人や芸術家への版図を、手にしているのかもしれない。」
「この私も、いつの日かその境地に立ってみたい。新しいものが見えるかも知れない。今と違う、別の世界が。」
こんな感じになりました。
by TAKA (2008-09-14 00:53) 

pooh

> TAKAさん

と云うことは、ぼくとTAKAさんで、「ある図形からある擬音を感じ取る」と云うかたちでの共感覚の(内容上の)共有がある、ってことですね。

あぁ、TAKAさんのおかげでなんとなく分かった。「共感覚が比喩に似ている」んじゃなくて、逆なんだ。
by pooh (2008-09-14 05:47) 

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