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よそゆき顔の街 [近所・仙台]

おとといの前夜祭から、仙台七夕が始まっている。
今年の仙台七夕は全期間平日で、だからたぶん出かけない。仕事の都合で街中を通ることがない限り、メインストリートの飾り付けを見ることはないと思う。
もっとも七夕は中心部の商店街だけの催しじゃなくて、すこし離れた小さな商店街でも飾りつけはする。通勤路にひとつそんな商店街があるので、そこは朝晩眺めることができる。豪華絢爛、とまではいかないけど、それくらいがいい塩梅にも感じる。

仙台七夕はひどくスタティックな祭りだ。
東北の夏祭りはたいてい(ねぶたにしろ竿灯にしろ花笠にしろ)なにかしら動的な出しものが中心になる。七夕にも出しものはあるけれど(いまは「星の宵まつり」とか呼ぶのか)メインになるのはあくまでも飾り付けで。
だからそこを暮らしの場にするものにとっては、いつもの街がよそゆき顔をしているだけの話とも云える(ぼくなんか年によっては、出かけてから人出と飾り付けを見て「七夕やってたんだ」みたいに気付く)。
この街のたいていのものと同じく、習俗としての七夕祝いは400年からあるらしい。どうやらもともとは「祭り」と云うよりはむしろ武家発祥の「行事」だったみたいで、これもこの街のたいていのものと同じ(この辺りは鳴海屋紙店のサイトに詳しい)。いつまでもなにかにつけて貞山公が引き合いに出されるのもこれじゃ仕方ないのかなぁ、と云ったところではあるのだけれど、七夕は起源からして、この地域に暮らしてきたものの土俗的な祈りが育んだ祭りではない。この辺に、親しみは感じても土地の人間にとってはどこか他人事、みたいな独特の距離感が由来するような気がする。

とは云え(何度か書いているけれど)仙台は浮世離れしたところのある、つくりものめいた美しい街で。この街の来歴まで考えあわせると、ある意味いまの七夕と云う祭りのありかたは(よくも悪くも)とてもふさわしいようにも感じる。祭りの主体となる商店(そう、七夕は完全に商業主導のイベントでもある)はともかくとして、地域の住民にはとりたてて受け手としてのコミットメントを駆り立てるものはないかもしれないけれど、ほかの土地から来た観光客には、日頃と違うコスメティックを施した街を見てもらえる。
ぼくはもちろん七夕を「観光」したことはないけれど、相対的に過ごしやすい夏場の気候も併せて、多分七夕の仙台は訪れるひとたちに一種リゾート的な貌を見せるのだろう。それはそれで素敵なことだし、街の素養を生かしている、とも云えると思う。実感としてはいまひとつわからないけれど。

催しではなく都市そのものが、観光の主要コンテンツとなる。
こう云う祭りはほかにもあるだろうけれど、これだけ集客のあるものは珍しいだろう。それには首都圏から気軽に訪れることのできる交通の利便性も関連しているのだろうと思う(仙台七夕だけなら、首都圏からは日帰りで充分に満喫できる。松島とか、周辺部の観光を欲張れば時間は足りなくなるけど)。今年の七夕の人出がどうなのかは知らないけれど、この辺りのことをもっと詰めて考えれば、観光イベントとして盛り上げるアイディアも別の角度からいろいろ出てくるのではないか、みたいに思ったりもする。どうかなぁ。
タグ:仙台
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