機械になる (「スカイ・クロラ 」森 博嗣) [ひと/本]
一週間で4冊読んだ。
ナ・バ・テア
ダウン・ツ・ヘヴン
フラッタ・リンツ・ライフ
まぁ諸事情があって、通常よりも読書に回せる時間が多かった、と云うこともあったんだけど。
じつは森博嗣を読むのはこのシリーズがはじめてで、それは主にぼくが推理小説にほとんど興味がないことに起因する(まったく読まないわけではないけれど、通常はその小説の「推理小説ではない部分」に興味を惹かれて読むことになる)。このシリーズを読んでも、例えば彼の推理小説を読もう、と云う気持ちには特にはならない。
でも、われながらこのむさぼり方はちょっと異常だ。いったいどこにこんなに惹き付けられたんだろう。基本的に、感情移入が可能な登場人物はほとんど登場しないのに。
やっぱり、散文詩のごとき空中戦シーンの描写なんだろうな、と思う。そこには、わずかながら感覚が掴めるものがあるから。単車乗りとしての。
機械の一部になる。あるいは、機械が自分の延長として機能する。シンプルな、単純な目的に向かって、機械と自分が同化する。
もちろんぼくたちには闘うべき相手はいないし、僚機の安否はなによりも重要な事柄だし、ともかくも飛行機乗りに較べればはるかに地上的だ(名刺2枚程度の接地面積が、自分の命そのものに直結するほとんどすべてだ)。それでも、走る、と云うただそれだけの目的に向かって自分と機械を直接つながれたものとみなす、と云う点ではやはり似ていると思う。通常の暮らしではまれなくらいに、じかに死に近づく、と云う意味でも。
その瞬間だけが生きるよすがになったら、おそらくはぼく自身もシンプルになれるだろう。カンナミやクサナギのように。もはや地上的である必要がない、と云うことになれば。それが現実的か、と云う部分はまぁ、棚上げにして。実感や共感など湧きようのない空中戦シーンをぼくがこれほどに求めたのは、たぶんそう云うことなんだ、と思う。
ちなみに、金曜日に「フラッタ・リンツ・ライフ 」を読み終えてから進んでいないのは、どうやら5月に出たはずの5冊目クレィドゥ・ザ・スカイの文庫版が品切れらしい、と云う理由による。どの書店に行っても置いてないし、アマゾンでも6月8日現在で新品はない。
おそらく5冊目ではキルドレの謎、クサナギの身体に起こったことの謎も明かされるだろう。作中世界そのものの種明かしも行われるだろう。でも、ぼくはそれらを早く知りたい、とは思わない。謎解きにはあまり興味はない。だから、単行本やノヴェルズで購入はしない。おとなしく文庫版の重版を待つ。
作中に登場する唯一ぼくが感情移入可能な人物、ササクラの研究開発がどんなふうに進んでいくのか、と云う部分は気になるけれど。
ナ・バ・テア
ダウン・ツ・ヘヴン
フラッタ・リンツ・ライフ
まぁ諸事情があって、通常よりも読書に回せる時間が多かった、と云うこともあったんだけど。
じつは森博嗣を読むのはこのシリーズがはじめてで、それは主にぼくが推理小説にほとんど興味がないことに起因する(まったく読まないわけではないけれど、通常はその小説の「推理小説ではない部分」に興味を惹かれて読むことになる)。このシリーズを読んでも、例えば彼の推理小説を読もう、と云う気持ちには特にはならない。
でも、われながらこのむさぼり方はちょっと異常だ。いったいどこにこんなに惹き付けられたんだろう。基本的に、感情移入が可能な登場人物はほとんど登場しないのに。
やっぱり、散文詩のごとき空中戦シーンの描写なんだろうな、と思う。そこには、わずかながら感覚が掴めるものがあるから。単車乗りとしての。
機械の一部になる。あるいは、機械が自分の延長として機能する。シンプルな、単純な目的に向かって、機械と自分が同化する。
もちろんぼくたちには闘うべき相手はいないし、僚機の安否はなによりも重要な事柄だし、ともかくも飛行機乗りに較べればはるかに地上的だ(名刺2枚程度の接地面積が、自分の命そのものに直結するほとんどすべてだ)。それでも、走る、と云うただそれだけの目的に向かって自分と機械を直接つながれたものとみなす、と云う点ではやはり似ていると思う。通常の暮らしではまれなくらいに、じかに死に近づく、と云う意味でも。
その瞬間だけが生きるよすがになったら、おそらくはぼく自身もシンプルになれるだろう。カンナミやクサナギのように。もはや地上的である必要がない、と云うことになれば。それが現実的か、と云う部分はまぁ、棚上げにして。実感や共感など湧きようのない空中戦シーンをぼくがこれほどに求めたのは、たぶんそう云うことなんだ、と思う。
ちなみに、金曜日に「フラッタ・リンツ・ライフ 」を読み終えてから進んでいないのは、どうやら5月に出たはずの5冊目クレィドゥ・ザ・スカイの文庫版が品切れらしい、と云う理由による。どの書店に行っても置いてないし、アマゾンでも6月8日現在で新品はない。
おそらく5冊目ではキルドレの謎、クサナギの身体に起こったことの謎も明かされるだろう。作中世界そのものの種明かしも行われるだろう。でも、ぼくはそれらを早く知りたい、とは思わない。謎解きにはあまり興味はない。だから、単行本やノヴェルズで購入はしない。おとなしく文庫版の重版を待つ。
作中に登場する唯一ぼくが感情移入可能な人物、ササクラの研究開発がどんなふうに進んでいくのか、と云う部分は気になるけれど。
今日は。大部分の作品を読んでいる森読者の私が通りますよ。
ちなみに私は、推理小説以外の小説を滅多に読まない人間です(笑)
映画の公開も控えているので、今売れてるみたいですね。
このシリーズは、空気の質感が好きです。しかも、空と地上で違うんですよね。
by TAKESAN (2008-06-08 18:53)
> TAKESANさん
あぁ、そうか。ファンでらっしゃいましたねそう云えば。いや、実際にはそこそこ推理小説も読むんですよ(最近だと北森鴻とか)。ただ、頭の中で犯人を捜すとか、そう云う読み方ができないんですね。基本的に思考が綿密さを欠いているらしくて。
いや、森さんはどこかで読んでおかなきゃ、とか思ってたんです。おっしゃるとおり多分映画の絡みで、近くの本屋で平積みになっていたので、いい機会かな、とか思って手にしたらそれが仇に(なっているわけではないですけど)。
> 空気の質感が好きです。しかも、空と地上で違うんですよね。
あぁ、そうですね。語り手がすべて、誰よりも空気に敏感な種族でもありますしね。まさにnone but airと云うか。
by pooh (2008-06-08 20:22)
いまamazonを見たら「クレィドゥ・ザ・スカイ」買えるみたい。重版出来、ってことかな。
by pooh (2008-06-18 22:57)
今日書店の店頭で「クレィドゥ・ザ・スカイ」の第2版を見かけたけれど、カバーが押井アニメの絵になっていた。
…買っておいてよかった。
by pooh (2008-07-06 18:49)