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お分かりのはずなのに [世間]

wowowow0821さんの水は答えを知っている—その結晶にこめられたメッセージ / 江本 勝と云うエントリを読んだ(おお、コメント欄にせあささんが)。

リテラシ、と云う言葉があって。なんか印象としてはこの5年ぐらいに急速に広まって、広まる過程で超高速で大量の手垢をなすりつけられて、膨張したあげくに「感性」と同じような葵の御紋的意味不明瞭なことばになってしまったような印象があるのであまり使いたいとは思わない用語のひとつだったりする(誤解されているのか曲解されているのかここも「科学リテラシの啓蒙」みたいなものを目的にしているとか捉えられがちだけれども、何度も云っているようにそんなことはまったくない)。

まぁそんな御託はともかくとして、この方は多分もともとふつうに使われる意味での高い「リテラシ」をお持ちなんだろうなぁ、と思う。なので、そう云う方が江本勝の言説を受け入れてしまう、と云うことが不思議に感じられる。
確かに経験上、自分が暗いオーラを放ってしまっていると、自分に対峙する人もそういう暗い表情になってしまうということは、よくあることです。逆に自分が笑っていると相手も笑いますし。
そう云うことはもちろんあって。でも、そのことを水に教えてもらわなければわからないのだとすれば、そこにこそ重要な問題が潜んでいる、と思うのだけれど。
で、そう考えると、「水は答えを知っている」の提示する問題は、きわめて文学的であるとも云えるのだと思う。ひととひとのあいだに生じることをそのまま受け入れることができず、一見科学的に見える言説を経由してはじめて理解できたように感じられる、と云う認識の不可解さについて。
上記の引用部分については、この方もそもそも別段水なんかに教えられなくてもお分かりなのだと思う。なのに、この書物の「実験結果」と称するものを援用することによってまるではじめて理解できたように感じられているのだとすれば、それはなぜなのだろう。
この本の批判の対象となっているのは、似非科学だとかいうことよりもむしろ、単に大衆的ベストセラーであるという事実なのではないかと思いますが、そういう見識で批判するのであれば、それ良くないことだと思います。
と云うか、ニセ科学であることと、それが流布していることの両方が問題視されているのだと思うけれど。それ以前にまぁ、大衆的ベストセラーであるという事実が批判される原因となるとはあまり思えない(誰も読んでいないようなら、問題視されることも少ないだろうな、と云うのはある)。
私は根っからの文系人間で理科系には全く精通していませんが、科学では説明のつかないことが世の中にあるということは知っています。
このことは、科学に精通しているひとほどよく知っているんではないだろうか。「科学ですべて説明がつく、と云うことになれば、科学者はみんな失業してしまう((c)かも ひろやすさん)」と云うことでもあるので。
と云うかこの辺り、問題が理科系的な部分にだけあるわけではない、と云うことについては、apjさんの水伝:科学だけの問題ではないを嚆矢として、dlitさんの水からの伝言関連記事目次からリンクされている一連の論考、朴斎先生の水に芸術はわからないなんかを参照していただく機会があれば、いくつもの示唆が得られると思う(マスターピースにはことあるごとにリンク)。少なくともwowowow0821さんが、「ひととひとのあいだにあるもの」としての「藝術」に関心をお持ちで、真摯に向き合っていらっしゃる、と云うことなのであれば。

タグ:ニセ科学
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wowowow0821

こんばんは。なるほど。私はこの記事を批判とは受け取りません。そもそも私自身、自らのブログに「水は答えを知っている」を載せるつもりはありませんでした。ずっとamazonで書評を書いていまして、それをそのまま転載したのですが、その際、「これは消去かなあ」と悩みました。何というか、気恥ずかしかったですし 苦笑。「この本の批判の対象となっているのは、似非科学だとかいうことよりもむしろ、単に大衆的ベストセラーであるという事実なのではないかと思いますが、そういう見識で批判するのであれば、それ良くないことだと思います。」と書いたのは、Amazonの書評でこの本があまりに酷評されていたからです。「でも、そのことを水に教えてもらわなければわからないのだとすれば、そこにこそ重要な問題が潜んでいる、と思うのだけれど。」分かります。だけれど、水の結晶が音によってあれだけ違うのか、ということは単純な事実として教えられた気持です。普段は真摯に芸術と向き合いたいですが、時々嫌気が差すことがあります。だから、たまにはこういう軽く真理を訴えている本も良いかな、という次第です。何はともあれ、私の稚拙な書評に意見を下さって有難う御座います。

by wowowow0821 (2008-05-08 23:04) 

wowowow0821

[追記]
それと、私は江本勝さんの言説を丸ごと鵜呑みにはしていません。絶対的真理ともみなしていません。一つの考え方として捉えているだけです。ただ、実はこういう単純なことこそが重要なのかもなあ、とは日々思います。
by wowowow0821 (2008-05-08 23:19) 

TAKA

wowowow0821さんの記事を読んでいると、科学的思考など全く知らなかった昔を思い出します。あの頃は私も似たような感じでした。その後、悪徳商法批判サイトや、ニセ科学批判サイトに出会い、少しは知恵をつけました。
wowowow0821さんは正しい科学への道に向けて、その第一歩を踏み出したところだと、私は考えます。

>だけれど、水の結晶が音によってあれだけ違うのか、ということは単純な事実として教えられた気持です

当の江本氏は、批判が高まると「これは科学じゃない、ポエムだ、ファンタジーだ。」と言ったそうです。私ならば、後から「科学じゃない。」などと言い訳される様なお話は、単純な事実としては、受け入れるのをためらいます。

複雑な話ほど実は、単純明快だったりもするのかなと、今は考えています。この辺の詳しいところを、正しい科学のサイトを方々訪れて、色々思索するのもまた、楽しいものです。
by TAKA (2008-05-09 04:15) 

pooh

> wowowow0821さん

いらっしゃいませ。

このエントリの論点は、「wowowow0821さんくらいにいろんな芸術に触れ、理解もあるはずの方が、どうしてこんなものを受け入れてしまうんだろう」と云う点です。

> 水の結晶が音によってあれだけ違うのか、ということは単純な事実として教えられた気持です。

まず、「単純な事実」であるかどうか、と云う点については、ここのサイドバーからリンクされている田崎教授の「水からの伝言を信じないでください」をご参照いただければ幸甚です(ボリュームがありますが平易なので短時間でお読みいただけるかと思います)。少なくとも江本勝の実験は「科学的事実」ではなく、したがってこの部分では江本勝は「事実を述べていない」と云うことです。

では、その事実ではないことに基づいて、江本勝はなにを伝えようとしているのか、と云うことをお考えいただければ、と思います。
音楽にそもそも絶対的な優劣などはないはずです。個別の名曲、と云うのはありうると思いますが、あるジャンルの音楽が他のジャンルの音楽よりもすぐれていて、それは科学的実験でも確かめることができる、と云う考え方を、wowowow0821さんは受け入れることができるのでしょうか。wowowow0821さんは、そんなスタンスで芸術と接しておられるのでしょうか。そんなことはないはずです。すべての芸術は、すべての表現はひとからひとへの働きかけであるはずです。
また、「幾何学的に整ったものは美しく、善きものであり、そうでないものは醜く邪悪なものである」と云うお考えなのでしょうか。ぼくはそうではないと信じたいと思っています。多くの芸術に触れていらっしゃるはずのwowowow0821さんが、そんな安手の美意識をお持ちとは考えたくない。

そうすると、最初の疑問に立ち戻ってしまうことになるわけです。
by pooh (2008-05-09 07:48) 

pooh

> TAKAさん

複雑であるはずの話を単純に語るときに、恣意的に省かれてしまう事柄がどうしても生じます。そこに、語り手の意図が紛れ込む。ごまかしも生じうるわけです。語り手は聞き手に受け入れやすいように話を単純化するので、そこでどうやって語り手の真意を見通すか。

とは云え、表現と云うのはそもそもそう云うものだったりもするので、ぼくがここで語るにあたってもディレンマは存在する、と云う話でもあるんですけどね。
by pooh (2008-05-09 07:52) 

newKamer

 水からの伝言を信じている人が大勢居る状況で、「わかっているはずなのに」という話をしてみたことがあります。まあ、毎回返答はもらえません。

 「ありがとう」を言われると気分がいいとか、感謝を「ありがとう」という言葉で相手に伝えるのはいいことだというのは、江本氏に教えてもらわなくても「誰でも」知っていることのはずなんですよね。

 それなら「なぜ当たり前の事しか言っていない結晶の話に感動してしまったんだろう?」という疑問も出てくると思います。私はいまのところ、これは「誤帰属」の問題ではないかと思っています。「結晶が綺麗」というある種の感動を、江本氏の話がすばらしいという感覚と混同しまったということです。ちょっと分かりにくいですかね??
#↑これって、まだあまり指摘されたことのない話だと思うんですが、どうでしょう??

 で、その誤帰属の問題は論理では正当化できないわけです。そこで効いてくるのが「実験らしきもの」で、これは誤帰属で生じた感情の納得(または言い訳)のためだけに必要な後付けの似非論理なんだと思います。
by newKamer (2008-05-09 09:23) 

Noe

うちの子がまだ生まれたてのころ、こちらが笑っても笑い返してはくれませんでした。それが成長するにつれて、こちらが笑うと笑い返してくれるようになりました。でも、ずっと繰り返しているとそのうち飽きてそっぽを向いてしまいます。そのころはこちらの言葉が理解できないので、怒っても褒めても同じ反応しかしません(すなわち声を出したことに反応して笑う)。


この子の体内では水の性質がダイナミックに変化していたのですかねえ(特に飽きたとき)。
by Noe (2008-05-09 10:28) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。文学的な事が語れるほど文学者でも無いのだけど・・・。別なところでも書いたのでね。

 なんていうか、世の中には「常識と不整合だからインパクトを与えられる言葉」なんてのがあると思うんですね。例えば田舎暮らしを始めて家の横に菜園を始めたばかりの人が裏のお婆ちゃんに教えを請うたら「な~に、毎日畑に出て、野菜と話をしていれば立派に育つよ」なんて言われる。野菜が言葉を理解するハズもないが常識であるからこそ、この言葉に「どういう事だろう」という不整合があるわけですね。でもって、それでもその教えに従って毎日畑をみて居る内に気が付く訳ですね。「毎日、語りかけるくらい愛情を持って野菜を見ていると、水が足りない、肥料が足りない、雑草に負けそうだ。色んな事が見えてくる、そうか『野菜と話をする』ってこういう意味なんだ」ってね。これは実のところ、今は北海道でアリス牧場をやっている宇土巻子が書いていたと思うんですけどね。この、最初に起こる不整合とその不整合の解決が彼女に「農業ってスゴイ」というインパクトを与えているし、それを書いた彼女の文章を読む我々も、最初の不整合に共鳴出来るから、「なるほど、そういう意味か、含蓄がある言葉だな」となるわけです。

もしも、「水が言葉を分かるんだから、水を沢山持っている野菜も分かる」というのが常識になれば、何の不整合も無いわけで、その後の種明かしの様な部分も意味を持たない訳です。なんとも「面白くも何ともない」話になるわけで、野菜が水不足でしおれ書けていても、肥料不足で伸び悩んでいても、雑草に負け始めて居ても「話しかけさえすれば良い」となってしまう訳ですね。

by 技術開発者 (2008-05-09 17:50) 

pooh

> newKamerさん

誤帰属、と云う言葉は初めて知りました。ちょっと調べたところで出て来た類例からすると、なんとなく現象としては知ってたみたいですが。

おっしゃる内容、非常に分かりやすいです。おそらくそう云う部分もあるんだろうなぁ、なんて感じます。ただ、現時点でのぼくの理解ではこの「誤帰属」と云うものは通常の表現行為では「技術」に類するもののような気がするので、その角度からの批判は(すくなくともぼくは)難しいかも。
by pooh (2008-05-09 22:30) 

pooh

> Noeさん

そう云うのを「水」と結びつけて考えるひとにとって、ひととひととのつながりってなんなんだろうな、みたいにも思ったりです。
by pooh (2008-05-09 22:32) 

pooh

> 技術開発者さん

上でnewKamerさんへのお返事に書いたのは、まさにそう云う部分です。

適切な比喩かどうか分かりませんけど。ふつうに響き合う和音にテンションとなる音を加えることで、ストレートな和音にはないニュアンスを与えたりすることができるじゃないですか。ちょっと粋だったり、複雑で味わいのある響きだったり。前後の和音の進行のなかで、そう云うのは生きてくるもので。
言葉にしても同じで、文脈のなかで不協和になり得る言葉を選択することで、よりゆたかで面白みのある流れをつくることができる。

で、これってやっぱり匙加減なんですよね。
でもってその辺り、聞き手(=読み手)にもそれなりの素養と理解が必要だったりするんです。そこをひたすら分かりやすいものばかり求めていたら文学も音楽もその滋味がわからない。安物に乗せられては、受け手としても安い状態に留まってしまう、ということもあるかと。

あれ? 話がずれてるかもです。
by pooh (2008-05-09 22:47) 

wowowow0821

ようするに江本説は全部ウソだったということですかね?
まあああいうニューエイジ系は全部胡散臭いですけど。
ブログから消そうかなー。何か浮いているし・・・・・・
by wowowow0821 (2008-05-10 22:36) 

TAKA

wowowow0821さん
>ようするに江本説は全部ウソだったということですかね?

簡単に言うと水伝は、「江本氏らの主張を、何かしらスゴイ物の様に見せかける、ただの波動ビジネス宣伝本。科学的にも意味不明だし、道徳的にも首を傾げる、彼ら独自のオレ理論。」なのぴょん。

>まあああいうニューエイジ系は全部胡散臭いですけど。

なるほど、了解なのデース。

>ブログから消そうかなー。何か浮いているし・・・・・・

お疲れ様です。できれば消さずに、「私の考えは以前はこうだったが、色々調べてみて、結局こう成った。」という筋書きを追記しておけば、読んでる皆も「グー!(エドはるみ)」なのです。

これからも、気の向いた時はコメントしてください。ちなみに私は、ここpoohさんのブログをはじめ、「思索の海」ブログや、「kikulog」ブログを読んでおります。それらのブログ主さん、そして多くのコメンテーターさんは、良識のある人ばかりです。この私も大いにその意見を、参考にしています。

さらにちなんで只今私、正しい科学の考え方を、勉強している真っ最中であります。何しろ怪しい言説に振り回されるのはもう、十分経験したからなのであります。
もっとも、今でもたまに、「ああ、茹でカエルの話はウソだったのか。科学的には」と、嘆いている次第orz。
by TAKA (2008-05-11 01:17) 

pooh

> wowowow0821さん

単純にぼくたちがそう主張しているからうそかも、と云うことではなくて、考えてみてほしいのです。ぼくは江本勝氏の言説が流布していて、しかもあなたのような聡明な方までがその言説に意義を感じてしまう、と云う状況を危惧しています。

ことばはひととひとのあいだにあるために、価値のあるものだと思います。それをぼくはNo.4560さんと云う方のエントリに言及するかたちで、こちらに書いています。よろしければ、一読いただければ幸いです。

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-01-09

下のコメントでTAKAさんもおっしゃっていますが、wowowow0821さんの思考の過程ですので、消すことはないと思います。もっとも、変な奴に絡まれて気分を害している、と云うことはおありかもしれません。
by pooh (2008-05-11 05:19) 

pooh

> TAKAさん

「ニューエイジ」=「胡散臭い」になってしまっている現状と云うのも、なんか悲しいものではありますけどね。
by pooh (2008-05-11 05:20) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

>適切な比喩かどうか分かりませんけど。ふつうに響き合う和音にテンションとなる音を加えることで、ストレートな和音にはないニュアンスを与えたりすることができるじゃないですか。

私は音楽はよく分からないので、論説の表現という意味で言うと、老子の昔から「常識」と反する表現を用いることでインパクトを強めるという文書作法はあるわけです。「天下皆知美之為美。斯悪己。皆知善之為善。斯不善己。(天下みな美の美たるを知る。これ悪なり。みな善の善たるを知る。これ不善なり。)」なんてね。

 こうやって最初に大否定を置きながらも、老子のこの表現が今でも人の口に膾炙されるのは、本質的な美や善を否定していないという事なんですね。老子はあくまで小賢しく納得した「美や善」に対してそれを絶対視してしまうことを戒めるという目的でまず、「天下皆知美之為美。斯悪己」を置くわけです。そしてその後に、「上徳無為而無以為、下徳為之而有以為。」と小賢しい知恵の上に真の「美や善」があることを説くわけです。

 なんていいますか、インパクトを強めるための「不整合表現」というのは、その後ろに「種明かし」がついてこそ意味があるわけで、種明かしの無い不整合表現は単なる暴論に過ぎないわけです。そういう視点で「水伝」をお考えになれば、単なる暴論にすぎないことが分かるのではないでしょうかね。

by 技術開発者 (2008-05-12 12:34) 

pooh

> 技術開発者さん

それほどあかるくないのであまり分かったようなことは云えないのですけど、こう云う言語表現の技法と云うのは中国文学に見事なものが多いような気もしますね。
あと、禅の公案なんかにもあるような気がします。

ただ、そのあたり錬度の高いものと低いものはやはりあるわけで。newKamerさんのご指摘に立ち戻ると、そう云う意味では水伝の技法はやはり錬度が低いと思うのです。それこそ、数百年にわたって残っていくようなものではなくて。そんなものを、wowowow0821さんみたいな方が本気で相手にしてしまうのも、時代背景と云うものがあるんでしょうね。
by pooh (2008-05-12 21:48) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。

 よく考えてみると、私の「人間の基本仕様論」なんかも、似たような表現様式をとっているのかも知れませんね。

 なんていうか、「どうしてこんな不合理な話を信じる人が多いんだろう」なんて疑問に対して、まず最初に「人間はもともとの基本仕様としては不合理なんですよ」なんて、まず「もとは合理的、不合理を信じるのはその逸脱」という概念を壊しておいて、「ただ、人間の社会はその個々の持つ不合理が大きく蔓延して生き延びるのを阻害しない様に、様々な文化が枷をはめていたんですよ」と「もとは合理的」と思えてしまう理由を解き明かす事で、「不合理への逸脱が今目に付く」事の根が個人の持つ基本仕様よりも、それを押さえていた文化の衰退にあるのではないかと誘導している形を取っている訳ですね。

>wowowow0821さんみたいな方が本気で相手にしてしまうのも、時代背景と云うものがあるんでしょうね。

 私の「人間の基本仕様論」もそうそう洗練された表現では無いのですが、古典などで生き残っている優れた文書表現というのに触れる機会が減っていて、陳腐な文書表現の方はあふれかえっているから、識別能力は下がっているのかも知れませんね。中島誠之助的に云うと「美術館に行って良い物を沢山見なさい」なんでしょうかね。

by 技術開発者 (2008-05-13 09:55) 

wowowow0821

>wowowow0821さんみたいな方が本気で相手にしてしまうのも、時代背景と云うものがあるんでしょうね。

といわれますが、

>それと、私は江本勝さんの言説を丸ごと鵜呑みにはしていません。絶対的真理ともみなしていません。一つの考え方として捉えているだけです。

と書いたように、本気で相手にはしていません。その点を御理解下さい。
by wowowow0821 (2008-05-13 18:44) 

pooh

> 技術開発者さん

あぁ、そうですね。
例え話、と云うのも基本的に同機能をお持ちなのかも。

なので実は正直技法としてはあぶなっかしいなぁ、とは(ずっと前から)思ってはいるのですが、ただばしっと決まったときの効果はすごいし、それを安定して継続できる技術開発者さんはすごいなぁ、と云うふうに(ずっと前から)思っていました。
by pooh (2008-05-14 00:28) 

pooh

> wowowow0821さん

もちろん、頭からwowowow0821さんが江本勝氏の書いたことを信じ込んでいる、とは思っていません。ただ、その著作に触れて何かを書いてみよう、と感じられたこと自体が、不思議だなぁ、みたいに思っています。
by pooh (2008-05-14 00:30) 

亀@渋研X

こんばんは。

ここ、ひと段落、ついてるかな?
newKamerさんのおっしゃる「誤帰属」ということば、ぼくも知りませんでした(心理学用語でしょうか? Webでちょっと調べた限りでは、そんな感じでした)。「結晶がきれい」で受け入れてしまうっていうのは、そういうこともありそうですね。

で、誤帰属の話を読んで、先日、呪術がらみで教えてもらったことを思い出しました(うちでも「わかる呪術2」でちょっとだけ触れたので、すでにお読みでしたらすいません)。「コンカレント迷信」という概念が行動分析学にあるようです。そういう学問領域があることさえ、知らなかったのですが。

下記は駒沢大学心理学科の小野浩一研究室のサイトです。
http://www.komazawa-u.ac.jp/~ono/meishinfushigi.html

上はハトの場合ですが、ヒトでも同じような結果が得られているそうです。
http://www.komazawa-u.ac.jp/~ono/meishinexp.html

因果関係がないことがわかっている側にしたら、被験者のやってることは「おかしな行動」にしか見えないのですが、被験者は必死に因果関係を探してスコアを上げようとしているわけです。なんかヒドいってばヒドい実験ですよね(汗)。

この試行錯誤って、別にまったくおかしな行動ではないですよね。探究心と呼んでもいいかもしれない。それこそ「人間の基本仕様」。
実験で使用されているのがレバーなので、パチスロの「オカルト攻略」を想起してしまいました。なんらかの見返りがあると思えば、どんだけでもコストをかけそう。見返りはお金じゃなくて、快感とかでもよさそうだし。
「コンカレント迷信」をも、どっかであったように「技術」と呼ぶならば、それが「使えない技術」だと得心できるまで、ぼくらは「オカルト攻略法」をとことん続けかねないわけですよね。

で、これを知って思ったのです。江本氏の行動は「コンカレント迷信」で解釈できるのかもしれないなんて。いいアイディア(と思える思いつき)があって、実験してみたら、バイアスが生じている目にはある程度の因果関係に見える結果が得られた。それで、どんどんシャーレが増えていって……なんて感じ。
もちろん、素人の勝手な想像、あてずっぽにすぎないんですけど。

言い出しっぺも受け入れちゃう人も広めちゃう人も、みんな善意……なんてことはないと思いますが、大方は善意だろうと思うんですよ。しかも、それなりに考えている場合だって、きっとたくさんある。それでも引っかかっちゃうのは、熱意だの確証バイアスだのだけでは説明つかないですよね、きっと。で、この女性の被験者のように時間と体力(コスト制限)いっぱいまで必死で試しちゃうなら……「あれは使えない技術」とかいう話では、ぜんぜん終わらないってことですよねえ……(あれ? 途中から別のエントリの話に・汗)。
by 亀@渋研X (2008-05-19 22:40) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

これ、うろおぼえなんですけど、確か琴子さんが挙げてらした呪術の3つ目の法則「反復の呪術」も関連してくるお話のような気がします。あと、カーゴ・カルトって言葉も連想しますね。
で、確かにある意味呪術は技術の、そして科学の母的な部分は持っていると思います。でも母はつねに子よりも秀でているとは限らない(少なくともこのことは前提にはできない)。子のほうが、母よりも多くの情報と実践を踏まえ、よりよい方法を知っているものだったりしますから。

あと、江本氏をここに当て嵌めるのはあまり妥当じゃない気がします。本人が迷信に囚われているとしたら、表現形態があまりにテクニカルすぎる。
by pooh (2008-05-19 23:11) 

亀@渋研X

早々にどうも。
>「反復の呪術」も関連してくる
ぼくも関連はあると思います。が、小野研究室のヒトでの実験の話では、行動と結果の「ただ一回の時間的な近接性」にとらわれてしまうみたいなんですよ。それ以前の経験から時間の近接性に意味を見出すのだと考えれば「反復の呪術」なんですけど、ハトの例があるので、学習の成果だけでもなさそうです。ある事柄が生じたときにしていた行動を、その事柄の理由として、どうしても結びつけて理解してしまうのが、原初的な知能なのだとか、そういうことなのかもしれません。

そう考えると、呪術が科学の母というよりは、呪術も科学も、原初的な知能から当然のように生まれて来た兄弟なのかもしれません。いや、原初的な知能からは呪術が生まれ、呪術に裏切られた体験の学習から、科学や合理的思考といったものが生まれた、と思いたいんですけどね。
でも、呪術に裏切られる体験を、時間と体力の続く限りにぴょんぴょん繰り返さないと(あるいは、どれほど繰り返しても)「こりゃダメだ」とみなせない。こりゃ、われわれのなかに残っている原初的な知能の「呪縛」みたいなもんだな。

ああ、いかん。妄想がひどくなってきた。売れないSFだ、こりゃ(汗

>江本氏をここに当て嵌めるのは〜表現形態があまりにテクニカル
そうですね。そこも走り過ぎました。
by 亀@渋研X (2008-05-20 01:42) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

あぁ、そうか。そう云う意味では、なんか「ジンクスを作り出すメカニズム」みたいな感じなのかな。取得した1回性の情報を、経験則的なものとして心の中で格納してしまう仕組み、みたいな。でもそうするとそうやって獲得された迷信が共有されるのには別のメカニズムが関連してくる必要があるのかな、とか思ったり。

すみません。ちょっとあまりぼくのなかで精査できている考え方ではないですね。
by pooh (2008-05-20 07:55) 

newKamer

 コメントを追っていなかったら、さらに進んだ話が。不勉強にして「コンカレント迷信」という呼び方は知りませんでした。
 ハトの迷信行動についても、迷信行動に対して報酬を与えた方が迷信を強化しそうですが(オペラント条件付けとかありますし、その方が説得力ありますよね)、相変わらず行動に関係なく報酬を与えた方が迷信行動が強化されるとかいう話もあったような。

 本題。

> で、その誤帰属の問題は論理では正当化できないわけです。そこで効いてくるのが「実験らしきもの」で、これは誤帰属で生じた感情の納得(または言い訳)のためだけに必要な後付けの似非論理なんだと思います。

 私が、こう書いた理由をもうちょっと説明します(そんなに妥当性の高い推測ではないかもしれませんが)。
 誤帰属だからこそ、水からの伝言の信奉者はいとも簡単に科学を捨てても平気なんだと思うのです。自分が感じた納得感や感動は、実験らしきものを否定されても消えません。源泉は結晶が綺麗というポジティブな感情が誤帰属されただけですから。
 その感動の源泉を他の理由に帰属させるわけです。例えば、いい言葉を使うのは重要だから「いいことを言っていると感動したのだ」といった具合に。

 批判者からみれば「ああ言えばこう言う」みたいに感じるかもしれませんが、信奉者なりの論理性の表れではないかと。
by newKamer (2008-05-20 11:21) 

pooh

> newKamerさん

これ、例えば翻って「感動した自分をガードしなければ」みたいな心理的防衛機能みたいなものを発動させたりすることにもつながったりするんですかね?
あと、認知的不協和との関連もなんとなくありそうで、興味深いです。
by pooh (2008-05-20 23:05) 

newKamer

※あくまで私の見解であって、妥当性は不明ということが前提ですけど、一応心理学の論文を元にした愚論ではあります。

 「ガード」というよりは、白黒つけないと気持ちが悪いという問題と同じで、心を動かされた理由がないと納得できないということだと考えています。

 理由は分からないけど、「好意」というか「肯定感」というか(これはさらに尤もらしさに帰属されたりする)、そういうものだけはあるという状態が気持ち悪いということですね。
 こういった感情は潜在過程の結果ですから、本人であっても後からその感情の理由を推測するしかないわけです(論文チックに言えば、「感覚経験の源泉を探索するように動機付けられる by Schwarz」と)。

 「結晶が綺麗なので心を動かされた」という理由は、論理的なつながりが皆無なのでおそらく帰属の候補にもあがりません。その結果、心が動かされた原因を他の(一応論理的に見える)要素に帰属させるというわけです。

 そして、水からの伝言は「実験もやってるし科学的にもそういうことらしい」という、楽に帰属できる要因を用意してくれてますので、採用するわけです。

 そこで「ニセ科学」と否定される。でも「ニセ科学なのかもしれないね。」と考えてみても、「好意」というか「肯定感」というかそういうものには影響がないことに気付くわけです。じゃあ、別に科学でないことを認めてもいい…うんぬんで上の投稿に戻ります。

> あと、認知的不協和との関連もなんとなくありそうで、興味深いです。

 ここら辺の理論ってごちゃごちゃしてて、いまいち理解してません(実験事実はどこまでなのかという点も)。写真と真実性の誤帰属は認知的均衡理論かもしれないし、帰属先を切り替えるところは論理的であろうとする態度にも見えるし…。
by newKamer (2008-05-21 10:52) 

pooh

> newKamerさん

ぼくもそろそろ心理学についてのまっとうな知識が底をつきかけていて、ちょっとちゃんとしたことが云えているのか自信のない状態になっていますが。

常識レベルの心理学用語としては、大枠で「合理化」と云うのでくくれる話なんでしょうかね(大枠でくくれば解決、と云う話ではもちろんなく)。どうも、「誤帰属」が出発点でも、その後工程でこころがどんなふうに動くのか、と云う部分が主眼になりそうな気がします。
by pooh (2008-05-21 22:55) 

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