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「結論」と「考えること」 [世間]

こちらのエントリで言及したココロ社さんのエントリ関連で、くろはじめさんのニコニコ社と水伝と云うエントリを読んだ。

ココロ社さんのエントリについては、それに触れたなんばりょうすけさんのエントリを通して、「結論に至るまでにどう考えるか」と云うところがオミットされているんだ、と云う理解に達した(ちなみにこのエントリに関しては、NATROM先生のはてブコメが秀逸)。
でまぁ、考えないで結論を先に置く(しかもその結論を疑わない)とどう云うことになるかと云うと、たとえばくろはじめさんのように、
水伝を信じてる人の頭の中
道徳>>科学
水伝を信じていない人の頭の中
科学>>道徳
とか云うことを書いてしまうことになる。たぶんこの方は、例えば菊池誠教授の「水からの伝言」を教育現場に持ち込んではならないと考えるわけとか、田崎教授のマスターピース「水からの伝言」を信じないでくださいのなかのこの話が授業で使われたって、どういうこと?なんて文書は読んでいないからこう云うことを平気で書けるわけで。少しでも「結論」を書いてネットに晒してしまう前に「考えて」いれば、ちゃんと調べて自分の「結論」がどれだけ妥当なのかを理解できるだけの材料はたくさん転がっているのにな、とか思うのだけどどうだろう。

この方は以前にも【独り言】kikulog考と云うエントリをお書きになっていて、そちらでは、
いわゆる「科学原理主義者」(勝手に命名)とよばれてもおかしくないと思う。 kikulogは、子供に見せるのには問題あるかなと思う。たしかに、科学的に間違ってるようなことは全然ないけど、内容がどうかなと思う。たぶん、本人が仮にこのBlogの内容を読んだとしても、書いている意味さえも分かってもらえないと思う。
なんてことを述べてらっしゃる。「kikulog考」と云うエントリのタイトルにも関わらず、この一連の文章ではたてつづけに4回もってらっしゃるだけで、とくに何かを考えている(そうして自分の考えを読む人間にも伝わるようにちゃんと根拠づけしようとしている)様子はない。たぶんきっとこの方と感性が共有できる方には通じるのだろうけど、それってずいぶん高いハードルを設定しているよなぁ、なんて感じる。

ココロ社さんのエントリには見事な芸を感じるし、エントリ単体で書かれていることもまぁ妥当に云える場面は頻繁にあるだろう。でも、こう云う方にまで「考えない」ことについてのエクスキューズを提供している可能性まで考えると、そこそこに罪深い、とは云えるんじゃないだろうか。
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TAKESAN

今日は。

リンク先、追記も読みました。まあ、何と言いますか。
poohさんは多分、「読んであれなら更にダメ」、という含みを持たせて書かれたのだと思いますが、そこら辺を読解する事が、そもそも出来ておられないみたいで。

▼▼▼引用▼▼▼
水伝を信じていない人の頭の中
科学>>道徳
▲▲引用終了▲▲
こことか、端的に言って、「間違い」ですからね。平気でよく書けるなあ。
尤も、説明が下手、と理由付けされるのかも知れないけれど。

どこの説明がどう下手かをきちんと説明しないと、説得力は皆無だと思いました。ご自分の高度な説明力を、是非知らしめて頂きたいものです。そうで無いと、間違った事を自分が書いたのは、相手が説明不足だから仕方が無いのだ、という無敵の論法でしか「説明」出来ない事になるので。
by TAKESAN (2008-04-06 11:53) 

 きくち

...
水伝を信じていない人の頭の中
科学>>道徳
...

そうね、これは単なる間違いですよね。
科学<<道徳
であっても、水伝を信じない人はいくらでもいるよね。
 
そもそも「科学と道徳との比較」の問題じゃないんで、そこを理解してくれないと、話にならないなあ

by きくち (2008-04-06 12:54) 

pooh

> TAKESANさん

まぁ、ご本人「科学信仰者」を自称してらっしゃるようなので(はじめてそんなひと見た)、きっと「上手な説明」がおできになるんでしょう。もっとも世間には「おれを納得させるのが上手な説明だ」式の自説を主張される方もいらっしゃるので(こっちは見たことある)わかりませんが。

まぁ、ぼくは「やってみせろ」とは云いませんが。
そもそも「やってみせろ」と云われて試みるような方はあんな論法は使わない。
by pooh (2008-04-06 14:35) 

pooh

> きくちさん

自分の云いたいことを云うためには、「単なる間違い」を厭わない種類のひともまぁ、いる訳で。
そう云うひととは(まぁ具体的表現として)「話にならない」わけです。
by pooh (2008-04-06 14:36) 

TAKESAN

(多分こちらも見ておられると思いますが)直接コメントされないのがご不満のようでしたので(きくちさんに対しての言でしたが)コメントを入れました。

あの文脈(追試云々という文脈)で常温核融合と水伝を同列に扱うのは、私には理解出来ません(何故書いたのかは大体解るが、それを書いてしまうのは自分には出来ない、という事ですね)。
wikiや水伝基礎知識サイトをご紹介しようと思ったのですが、きくちさんや田崎さんの文章は読んだ、と仰っているので、その必要も無い、と判断しました。

リンク先の2つ目の追記を見て、あらら…となったのは、私だけでは無いと思います。
by TAKESAN (2008-04-06 15:46) 

corvo

こんにちは。
先ほどTAKESANさんのコメントに対する返答を読みましたが、そうとうに「酷い」ですね。
自分が書いたものをどう読まれるかは、完全に書き手がコントロールできるわけではないので、自分が意図していないコメントがあった場合でも、誠実に対応するべきと思います。
コミュニケーションについても、言葉についても、無頓着で不誠実な人なのかなというのが、僕の個人的な感想です。
by corvo (2008-04-06 16:24) 

黒猫亭

いや、相当ひどいですね(笑)。

最近、あっちでもこっちでも脊髄で物を言う人のコメントが目立ちますが、これが春の季節感というやつですかね。
by 黒猫亭 (2008-04-06 16:34) 

TAKESAN

一応、何を考えて書いたのか、を確認させて頂いた訳ですが、少なくとも実験の部分については、何も考えずに書いた、というのは示されたかなあ、と思います。
根本の部分のお考えを自ら文章で示して下さったので、後は読む人の判断でしょうね。「立ち位置」、というのもわざわざ表明して下さいました。
by TAKESAN (2008-04-06 17:39) 

石田剛

先方の追記にこんなのがありますね。
> 残念ながら、すべて読んでます。
それは残念です。

全部読んでも内容を理解しない(またはできない)方もいらっしゃるということかもしれません。
これはもはや読解力の問題か、または「人は信じたいことを信じる」ということか、そんな話なんだと石田は考えます。

きくちさんのおっしゃる「ビリーバーは説得できない」の一例なのかも。
by 石田剛 (2008-04-06 18:17) 

pooh

> TAKESANさん

まぁ、くろはじめさんに説明する義務はない訳です。
説明しない以上、書かれた通りに受け取るだけですね。
by pooh (2008-04-06 18:44) 

pooh

> corvoさん

まぁ、他人の説明下手を指摘するひとの態度としては、まぁご立派ですこと、ってところじゃないでしょうかね。
by pooh (2008-04-06 18:45) 

pooh

> 黒猫亭さん

それは脊髄でものを云ってるんじゃなくて、脊髄しかな(略)

話を変えましょう。
前に猫のひとと対話をしていたときに、多分黒猫亭さんはpoohが甘い、と思われたりしてたんじゃないかと思うんですよ。でも、猫さんは「筋が悪い」だけだったので、論客としてははるかにましだったりした訳ですね。
by pooh (2008-04-06 18:50) 

pooh

> 石田剛さん

ぼくにはよく分からないのですが、「読んだ」と云う云い方にもひょっとすると解釈の余地なんかがあるのかも知れません。
by pooh (2008-04-06 18:51) 

Narr

 くろはじめさんの目には、'ニセ科学バッシング派'が、自分の意見を押し付けるばかりで、相手の意見を相手の立場で見ていないように見えるのかも。
 個人対個人の、狭い領域での、人間関係の視点。科学が好きな人と水伝が好きな人の、気持ちと気持ちのぶつかり合い。TAKESANさんに、ああいう返答を返したのは、「人の話を聞いてないから、こういう的外れなことを言ってくるんだ、ニセ科学バッシング派は」ということかも、です。
 追試実験というのも、「見世物でも構わないから納得させるほうが大事」なんじゃないでしょうか。水伝は科学じゃないんだから、科学者が納得する必要は無い、なんて。
 'すべて読んでます'は、「あなた個人の価値観はそういうものなのね、でもそれは水伝が好きな人の価値観とは違いますよ、自分の意見を受け入れて貰いたかったら、相手の気持ちに合わせましょう」ということかも。

 要は、「相手の気持ち、相手の立場になって考えろ」かな、と。全て私の想像ですけど。
by Narr (2008-04-06 19:39) 

pooh

> Narrさん

これって難しい部分なんですけど。
と云うか、おっしゃる感じは分かるんです(とくにNarrさんの文脈において)。でもですね。

> 「相手の気持ち、相手の立場になって考えろ」

この「相手」って、「おれ」(もしくは誰かに仮託した「おれ」)ですよね。少なくとも言説を能動的になすにあたっては、そうならざるを得ない。そこまで認識すると、ひどく一方的な発話だ、と云うのが構造的に透けてしまう気がするんです。まぁ、その部分を代弁したいのかな、とか思えなくもないんですけどね。
by pooh (2008-04-06 22:11) 

黒猫亭

>poohさん

いや、猫さんのときは「構われたがっているだけなんだから、わざわざ構ってやることもないのに」とは思いましたが、そういう言及のルールでブログをやっておられるということですので、甘いとは思いませんでしたよ。「構われる」ことのリスクやコストみたいなものを要求するのも意味のあることでしょうし。

ただまあ、この人の場合も猫さんの場合も「何故ダメなのか」という構造は同じだと思うんですよ。他者の言説に対する批判として不誠実で雑駁な言及を行い、その故に批判的に言及されると、自分の言説に対して過剰な理解努力を求め、自分の固有性の立場に引きこもるわけで、一言で言えば「他者に対してはあれこれ無責任に放言するけれど、自分についてあれこれ言われると過剰に攻撃的に反応する」という一方的な姿勢が共通していますね。

しかし、この人がお話にならないレベルだというのは疑いの余地のないところで、他人のブログを丸ごと全否定しておいて根拠も示さないとか、それで批判されると自分のところに書き込みに来いとか、自分の考え方(というか、ホントに結論しか提示していないわけですが(笑))に理解を示さないことを何らかの欠落と決め附けるような態度とか、要するに非常に凡庸な意味で自己中で、自分を客観視出来ていないだけというところですね。
by 黒猫亭 (2008-04-07 03:16) 

pooh

> 黒猫亭さん

で、こう云うところまでたどり着くと、Narrさんなんかの問題意識の次元まで入っていってしまうことになるわけです。そう云う角度で言説をなす動機と云うか、構造と云うか、みたいな。

これってある意味相手を論者として扱わずにケース・スタディとしてみるような部分があって、ぼくの立ち位置からそう云う議論に直接踏み込むのはややためらわれる部分があるのですけど、でもまぁけっこうことの本質に近い部分ではあるので、なんと云うかそのあたりが「立ちあらわれてくる」のを待つような対応になってくるわけなんですよね。
by pooh (2008-04-07 07:48) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

なんていうか、ご紹介のブログの「科学は、思想の1つにしか過ぎません」が全てを表している様に見えるんですね。

確かに、きちんとまとめられた科学的思考なんてのは、並べて見るなら「思想の一つ」に過ぎない訳です。では、そういう思想を作り上げた人類というのは、どうやって生き延びて来たのかということなんですね。私は「弓矢の工夫と狩りの祈り」なんてたとえ話を出すけど、結構本気で人類の初期には、「工夫なんてする暇があったらみんなで狩りの神様に祈ろう」とやって、結局は滅んだ部族も有るんじゃないかなんて思っています。数学的な概念を充分に発達させる前に「冬を越すにはこの程度蓄えておけば大丈夫だろう」と冬が越せずに滅びた部族もいるのだろうと思っています。

結局の所、我々は「合理性を発達させる事で生き延びた生き物」の末裔だという事からは逃れられないんじゃないかなと思うんですね。だからこそ、我々人類の作り上げる文化はどこかに「合理性を大事にしよう」が含まれている。それを「合理も不合理も考え方の一つに過ぎない」と同列に見なすなら、結局は「行き止まりに迷い込んで滅びる」ということを選択する事になるのだろうと思います。

by 技術開発者 (2008-04-07 08:24) 

黒猫亭

>poohさん

ネットのコミュニケーションにおいて、どんな相手とどのような性格の対話を交わしているのか、という自覚は重要な要素ですね。ここが噛み合わないと不毛な言い合いにしかならないわけで、オレが個人的に対話の重要な条件と考えているのは、その対象が或る特定の言説の領域性を担っているかどうかですね。つまりその論者が、その論に代表されるような考え方の総体を背負っているか否か、というところをかなり気にします。

つまり、或るティピシャルな構造を具えた言説に対して、何故その言説が妥当ではないのか、という構造的な機序を解き明かして説明するという議論には関心を覚えるのですが、ほぼその辺の機序が不特定多数に明察されている対象を如何にして説得するか、という話になるとあまり興味が持てなくなるわけです。

個人性の部分で考察が間違う分には現実的な影響範囲の問題として捉えますが、基本的に言い負かす為の議論というのは、不毛な闘争もしくは現実的な秩序維持の対処に過ぎないと考えています。これは、オレの芸風的にそうなっちゃうよな、という話で一般論ではないんですが。なので、その論者個人を「言い負かす」という対人的な着地点がハナから見えている言説には、積極的に言及するモチベーションが持てないということになるでしょうか。

ニフティの頃だとそういう考え方はしていなかったですね、ああいうシステムだと特定のテーマが最重要視される公論の場がまず存在するわけですから、或る特定の論者の言説は特定の考え方の総体を背負っているというのが前提でしたので、間違っていると考える言説一般に反論することには自動的に公論としての意味が付随したわけですが、ブログ時代においては個人性しか担っていない言説が割合主流的なので、見解が相違しても敢えて言及しないという選択肢も在り得るわけです。

何というか、これはやはりオレの関心がパソ通からの連続上で「知の蓄積に対して微力ながら何某か新たな意味性を附け加える」という公論の方向性に特化していて、個別対処や説得にはあんまり関心がないのかな、前提としてダメな論を切って捨てていて不徹底なんだろうな、と思う部分ですが、そこがオレの個人性の限界でもあるんだろうと諦観しています。

poohさんが「ぼくの立ち位置からそう云う議論に直接踏み込むのはややためらわれる部分がある」というのは、poohさんのアプローチにも対等の論者との議論を通じて意味性を探っていく方法論があるからじゃないかと思うのですが、言及のルールをこのように定めておられるところがそこを補完しているのかな、と思う次第です。
by 黒猫亭 (2008-04-07 15:07) 

hietaro

 こんにちは。

 先日ウチのブログで書いたエントリで、超常現象についての番組の中で、「超常現象肯定派」の石田純一が「否定派」松尾貴史に向かって突然、

「松尾さん、さっきから言ってるけど、精神性の高さとかそういうのはあまり評価されないのかもしれないけども……」

 と言い出したという話を書きました。

 科学と精神性/道徳を同列の比較対象として(科学を尊重すれば精神性/道徳が引っ込む、あるいはその逆だと)考えることができる思考スタイルは、あまりに雑すぎてどうしようもないですよねえ。
 ブログではこういうのは石田純一の個人的特徴なのか?と書いたのですが、どうやらというかやっぱりというか、これは石田個人の特異なスタイルではなく、ある意味での典型ですか……。

 いやまあ、何を初めて知ったような顔をしてやがるカマトトぶりやがってと言われると返す言葉もないんですが、こういう思考スタイルの人は、やっぱり何度目であっても「見ちゃった……」という新鮮な驚きを感じてしまいます。


by hietaro (2008-04-07 22:26) 

pooh

> 技術開発者さん

結局のところ、多分われわれはそう云う動物なんです。
どうもそのことは確かに云える気がして来た。

こちらのエントリは、実はその部分で深い議論に触れたので、起こしたものだったりしたんですよね。

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-04-03-2
by pooh (2008-04-07 22:50) 

pooh

> 黒猫亭さん

知識の集積、と云う部分では、ぼくも黒猫亭さんに極めて近い志向を持ってるんだろうな、と感じています。なんと云うか、周辺に位置していても、なんらかの寄与ができないか考えている、みたいな部分で(この辺、newKamerさん辺りからすると、ちょいとメタに見えたりもするのかも)。

ちょっと思ったことがあって。
以前ご指摘をいただいたとおり、ぼくは基本的に(少なくとも最初の発話では)evenの論者として言及します。でも、議論を進めていくうちに(注意深く避けているつもりでも)相手の人格に言葉が及ぶようなニュアンスを帯びることがある。
これってどうしてなんだろう、とか思ってたんですが、そういうふうになるのって、多分議論の相手が、自分の人格(あるいはぼくの人格)に棹さして発話をはじめた時だったりするんですよね。なんと云うかこれはどうにも仕方がないような気がする。
by pooh (2008-04-07 22:58) 

pooh

> hietaroさん

> 科学と精神性/道徳を同列の比較対象として(科学を尊重すれば精神性/道徳が引っ込む、あるいはその逆だと)考えることができる思考スタイルは、あまりに雑すぎてどうしようもないですよねえ。

ほんとはこう云う辺りで、「おとななんだったらそんなに雑な云い方はやめようよ」とか云えば片付いてしまうような話のような気もするんですが、現実問題片付かなかったりするわけなんですよね。
by pooh (2008-04-07 23:03) 

Narr

>poohさん
 ブログの方にコメント有難うございます。トラックバック飛ばしてみたんですが、どうでしょうか。今、こちらのブログが壊れていて、失敗してるかもしれません。
 というか、私のああいう記事でトラックバックを飛ばしても良いものなんでしょうか。自分でも自分の記事をトンデモっぽく感じてたりするんですが。(うっ…)

 kikulogでgensayさんの投稿を見て何とも言えない気分になり。gensayさんの掲示板を見て頭を抱えてしまい。発作的に「あなたの天秤そのものが狂ってます」と書き込みたくなり。さすがに止めました。
by Narr (2008-04-07 23:54) 

TAKA

今回はネタレスからです(^^;。
poohさん
 >材料はたくさん転がっているのにな、とか
黒猫亭さん
 >これが春の季節感というやつですかね 

「これは皆様ご存知の、あのキャンディーズの春一番状態だ」
「言い訳ばかりしていたって」
「アクセスは来ないから」
「重いお腰を上げて」
「出直しませんか」
「とっくに春ですね」
「小石を拾いませんか」

「なんと、他山の石を見つけた!拾いますか?」
「いいえ」
「ROMは転がした!」

「何も起きなかった…」
__________

くろはじめさんのブログタイトル
 >背伸びせずありのままで誠実に生きていきたい。
言及先コメント欄の、くろはじめさん
 >そんな話をしたいわけではないので、
 >適当な回答をさせていただきます

何か矛盾してるような。いや、「適当に回答するのが誠実な態度、と私の価値観が背中を押す」とすれば問題無いのかも。

くろはじめさん
>伝わらない説明は、下手としか言いようがありません

と言う事は、「くろはじめさん御自身が説明すれば、もっと上手い説明が出来る」という事に成りそうですね。今後の、くろはじめさんのニセ科学批判の展開に要注目です(^^。頑固なビリーバーさん達が、次々に目を覚ましていく様子が、目に浮かびます(^^。

くろはじめさん
>内容は、事実と関係ないフィクションかファンタジーです

「どう見ても期待薄です、本当に本意を汲みましたorz」

私の価値観が、こう叫ぶ。「いや、もっと大きな文字にした方が、ROMにも誠実ですよ?」
by TAKA (2008-04-08 01:39) 

pooh

> Narrさん

トラックバック、どうも届いてないみたいですね。

えぇと、トラックバックなんかが来ているとやっぱりご意見が議論の俎上にのぼりやすくはなるので、まぁそこはお考えでいいとは思いますが(ぼくやここのコメンテーターの方々はおおむね議論にあたってアサーティブなので。その分ロジックを鍛えるのには役に立つと思いますが)。

gensayさんは・・・ええっと(^^;。
上の黒猫亭さんへのお返事に関わってくるのですが、ああ云う発言の仕方って、自分自身の発言の裏づけを自分の人格に求めているように見えるんですね。そういうスタンスの方に対しては、「人格を否定せずに論だけを否定する」のは難しいなぁ、とか最近は思ったりします。
by pooh (2008-04-08 07:49) 

pooh

> TAKAさん

> くろはじめさんのニセ科学批判の展開に要注目です(^^

そうですね。ぼくも具体的な示唆が得たい。

> 「いや、もっと大きな文字にした方が、ROMにも誠実ですよ?」

これ、ブログサービスによってできる場合とできない場合があるのでは。
ぼくもここの文字をもう少し大きくしたいとか以前から思っていたりします(いや、実はここの文字を大きくする方法はたぶんあるんですけど、試みていないだけだったり)。
by pooh (2008-04-08 07:52) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。

>結局のところ、多分われわれはそう云う動物なんです。
>どうもそのことは確かに云える気がして来た。

 実のところこういう話をしていると、科学リテラシーの衰退でも、社会リテラシーの衰退でも無い「生き延びる力」の衰退を感じてしまうんですね。なんていうか、道徳なんてのがとても観念的になっていて、「人類が生き延びるために、社会に発達させなくてはならなかったもの」という概念が綺麗さっぱり失われている気がするんですよ。

 なんていうか「ニセ科学を批判すること」事態が「道徳を基本とした活動」なんです。なぜなら、過去に何度も「誤った認識が群れ全体に広まる事で群れ全体の生存が脅かされた」なんて事があって、「いい加減な事を群れ全体に広めようとしてはならない」なんて道徳が生まれ、「そういう奴がいたら道徳に反する者として批判して、いい加減な事が群れ全体に広がるのを防ぐのは良いことだ」みたいな道徳がもまた生まれてきたんだと思うんです。ニセ科学を批判するというのはそういう道徳に従っているだけなんですね。でもって、こういう観念論から離れた道徳観というものこそが「生き延びる力」と結びつくものだろうと思ったりする訳です。


 
by 技術開発者 (2008-04-08 17:06) 

技術開発者

なんとなく、道徳論を詳しく語りたい気分になってしまったので、ご迷惑かも知れないけど書かせてください。悪徳商法批判の時代に良くやっていた話なんですけどね。

なんていうか、世の中には強い禁忌とか義務の内側に弱い禁忌とか弱い義務というのがあるわけです。「してはならない」「しなくてはならない」の内側に「しない方がいい」「した方がいい」なんてのがあるわけですね。でもって法律はその両端を受け持ち、いわゆる道徳とかマナーというのはその内側の弱い部分を受け持っていると考えるわけです。でもって法律には損害賠償といった民事罰であったり、罰金・禁固・懲役・死刑という強い罰があるわけです。では道徳にはペナルティはないかというと、やはり弱いペナルティがあるわけです。それは「嫌われる」という事だろうと思うわけです。道徳違反なんかはかなり広い範囲で長期にわたって「嫌われる」があり、マナー違反なんかは「その時、その場に居た人に嫌われる」というかなり弱いペナルティがあると考える訳です。

 悪徳商法批判の頃のたとえ話でいうと「あなたが、憎からず思っている異性を連れて上品なレストランで上品な会話を楽しみたいしたとするでしょ。でもって、その席の近くで私みたいな狒狒親父が下品な話を大声で喚ていたとしますよね。雰囲気ぶちこわしですよね。たぶん、ウェイターに『あのお客に静かにするように言ってくれ』とされるかも知れませんね。そういう話に対して多くの人が、『それはその狒狒親父がマナー違反だから嫌われて当然だ』とするのがマナーというものなんですよ」なんて説明したんですね。

 なんていうか、こういう「嫌う」というペナルティこそが道徳の強制力であり、道徳違反の抑止力なんだろうと思うわけです、誰しも人に嫌われたくもないものですからね。現代の道徳的衰退というのは「嫌う」と言うことに逆に嫌悪感とか禁忌感を育ててしまっている面があると思うんですね。そのことにより、道徳の持つ強制力や抑止力は失われ、結局道徳の衰退を招いているのだろうと思います。

by 技術開発者 (2008-04-08 17:45) 

pooh

> 技術開発者さん

どうもですね、道徳とか倫理とか哲学とか云うものって、そもそも実利的な側面が強くあるものなんじゃないかって思うんですよ。それによってその社会に属する人間がみんな(いくらかでも)ハッピーになる、みたいな。もともと実用的なものだから、守る意義も、破る意義も、それについて考える意義も生じてくる、みたいな。

そう云う部分を考えなくてもあまり困らないご時世で、逆にそのあたり議論がリアリティを失いはじめている、みたいなところもあるのかと。でも、リアルに感じられないから放っておいてる、みたいな状況が続くと、裏で現実のほうがとっとと嫌な方向に向かっていったりすることもあるんですよね。
この辺で例の有名なフレーズを連想したり、です。

http://www.wako.ac.jp/~michael/wiki/index.php?%A5%CB%A1%BC%A5%E1%A5%E9%A1%BC
by pooh (2008-04-08 22:18) 

pooh

あぁ、上のコメントに追記ですが。
リンク先の内容はぼくが自力で想起したんじゃなくて、エントリ内で触れているNATROM先生のブクマコメのもとねたです。
by pooh (2008-04-09 09:29) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

私は「人間の基本仕様と教育」という事を以前考えたんですね。なんていうか基本仕様に基いて起こる部分については「やりなさい」とは誰も教えない。なぜなら放っておいてもそれは起こるから。逆に基本仕様のママ放っておくと、その基本仕様に基いて起こる現象が「やりすぎ」になることが多いから、教育はむしろ「やりすぎてはならないよ」と教える。なんて考え方なんですね。

悪徳商法批判で「付和雷同」とか「同一視」について議論している時に考えたんです。人間はもともと「一部を見て全体を評価する」をやりやすくできているし、「皆がそう言うんだからそうだろう」とか思いやすい様にできている。だから、「同一視しなさい」とか「付和雷同しなさい」なんて誰も教えない訳です。本来は放っておいても起こることだからね。ただ、その基本仕様のママ放っておくと、やりすぎて困ることも起こってくる訳です。だから教育としては、「一部を見て全体を評価するのは良くないこともおきるよ」とか「皆がそういうからといって流されるのは危ないよ」とか教える訳です。でもって、これは、あくまで「行きすぎないようにする制御」の教えなんですね。

悪徳商法批判でマルチ商法の参加者が「一部には悪い参加者もいるけど自分を同一視しないでくれ」なんて言うのに対して、「マクドナルドの看板を見れば、入ったことの無い店でもハンバーガーを売っていると思うし、店員の対応まで予想が付くのも同一視ですよ」なんて言って、人間がそういう同一視の傾向をうまく利用しているなんて話をしたあと、「でも、マクドナルドのチェーン店の一つが食中毒でも出せばチェーン店全体で売り上げは落ちるだろう」なんて事も言い、だからこそマクドナルド本部は傘下のチェーン店全体の衛生管理に気を配るという事なんかも説明した訳です。ここにあるのは基本仕様としての同一視を利用し、また敵視せずに「あるもの」として対策するという健康さがあるわけです。たぶん、一回くらいの食中毒なら「あれは大阪の方だったから、この東京のマクドナルドなら大丈夫かも」なんてそれなりに人が入って潰れずにすむんじゃ無いかと思うんですが、それが利くのは教育の「同一視の行き過ぎも良くないよ」の効果かも知れません。

なんていうか、人間が健康に基本仕様の発露を行うという事で、教育による「行きすぎない」とバランスしている面を感じている訳です。でもって、生き延びる」といったリアリティを失ったときに、健康な基本仕様の発露が妨げられて、教育とのバランスを失うことも出てくるのかななんて思います。「何が何でも同一視することは悪いことだ」なんて言ったら、マクドナルドの看板を見てハンバーガーを売っていると思うことすら「良くないこと」に成ってしまうわけだからね。

by 技術開発者 (2008-04-09 12:39) 

pooh

> 技術開発者さん

技術開発者さんの「人間の基本仕様」論は、頻繁に借用させていただいてます。なんと云うか、おっしゃる「バランス」と云うのが多分肝ですよね。不当に重要視すべきでも、軽視すべきでもない、と云うか。

いまちょっと、行動経済学の本をゆっくりと読み進めていて。そこに、ヒューリスティックとフレーム問題の話が出て来ます。この辺濃厚に関係して来そうな気がするんですが、受け売りは読了後にすることにします。
by pooh (2008-04-09 21:47) 

TAKA

poohさん、説明不足で申し訳ないorz。くろはじめさん所のブログタイトルのすぐ下の、
>内容は、事実と関係ないフィクションかファンタジーです。

と言う部分の文字を、もっと大きく書いてくれれば良いのにな、と思ったのです。そうすれば、これから読む人の目にすぐ留まり、「ああ、ここのブログの記事は全部、ただの一人言なのね」と思うはずです。そして、「じゃあ、真剣に受け取る必要は無いよね、気楽に読もうっと(^^」と成るのでは、と思ったのです。

「これ以上、余計な時間を使ってガッカリする人が増えるのもなんだかなぁ」と、思いましたもので。

ちなみにpoohさん所の記事は、私は文字サイズを「大」以上に変えて読んでいます。「中」以下だと、目がショボショボしてくるorz。
by TAKA (2008-04-10 04:07) 

pooh

> TAKAさん

あぁ、なるほど。これは失礼しました。
でも、ネットのうえではなかなか「ただのひとりごと」は難しいですよね。

> poohさん所の記事は、私は文字サイズを「大」以上に変えて読んでいます。

これでもまず、できるだけ読みやすいテンプレートを選んでるつもりなんですよ。本当はCSSをいじくれば文字は大きくできるんでしょうけど、デザインが壊滅的に崩れそうでなかなか手をつけられない。
文字が小さくて読みづらい辛さは、ぼくにも分かるんですけどね。ごめんなさい。
by pooh (2008-04-10 07:43) 

くろはじめ

<hr>
私の立ち位置
http://kurohajime.seesaa.net/article/92220471.html
<hr>
あなたはクローバル化の波に乗れますか?
http://kurohajime.seesaa.net/article/92550249.html


by くろはじめ (2008-04-15 01:31) 

pooh

> くろはじめさん

拝読しました。
by pooh (2008-04-15 07:34) 

くろはじめ

リンクが間違ってましたすいません。
私の立ち位置
http://kurohajime.seesaa.net/article/92440253.html
-------------
TAKA氏
TAKA氏メソッドをつかって、私と議論しましょうか?
それは考察するための議論じゃなくて、何が何でも
勝つ議論の方法です。
by くろはじめ (2008-04-15 08:35) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。

 無駄話だけどね、私は人間の基本仕様なんて事を書くときに「車の制動距離」の話なんかを書くよね。でね、もともと基本仕様というのは変えようが無いことなんだけど、「もしも、変えることができたら」なんて考えて見るのも面白い面があるのね。制動距離の元は慣性力だよね。でもって自動車が走る上では「慣性力」というのは実のところかなり重要だよね。慣性力がなくなったらエンジンのピストンが爆発行程の後の圧縮行程にいけないから、エンジンそのものが動かないのね(笑)。

 なんていうかな、「原始の村の狩りの勇者」なんてたとえ話で、我々は人間の基本仕様の中の一歩使い方を間違うと諍いの種にしかならないような「群れの中の優位を求める性質」なんかを、「危険な仕事を人にやらせる方式」にも使う事で生きのびて来たことなんかを説明するんだけどね。同じように「集団追随性」みたいな性質も、どこかでうまく使ってきたんだろうなと思うんですね。もともと人間の基本的な性質だから、無くすると言うことはできないんだけど、「何も考えずに毛嫌いする」をやると、その上手く使うこともできなくなるのかも知れませんね。

by 技術開発者 (2008-04-15 08:47) 

pooh

> 技術開発者さん

> 「集団追随性」みたいな性質も、どこかでうまく使ってきたんだろうなと思うんですね。

これ、多分そうとう深いレイヤーにあるんじゃないでしょうか。犬(と云うか狼)にもあるくらいだし。

いずれにせよ、やっぱり適切なバランス、と云うことだと思います。それは中立とかそう云うことじゃなくて、やっぱり「両方を知り、理解する」ことから始まるのかな、とか感じます。
by pooh (2008-04-15 22:31) 

TAKA

「最近私が考えていた事の一つがこれです。「なぜ私?(^^; 他にもっと適切な御方がいらっしゃるのでは?有意義な議論をしたいのならば。」(_ _;ウーム

まあそのお気持ちは、なんとなく分かるです。この私も過去に、こんな風に思った事が。
「地下に眠るMさんと議論した黒猫亭さんやpoohさん、あるいは今回くろはじめさんにコメントされたTAKESANさんや技術開発者さん相手に、正面から真っ直ぐ議論を挑んでも、すぐに返り討ちに遭って、心底打ちのめされそうぴょんorz。でもこのまま黙ってるのも、何か負けたような気がして悔しいぴょん。そういえば、そのブログの傍らに、さっきから放言しまくりの、如何にも太平楽な人間が一人チラホラ見え隠れしているぴょん。誰やねん、あいつぴょん。よし手始めにまずはそ奴から、論破してみせるのデース。てゆうか、本丸は、後でじっくり攻略するって感じー。みたいなー。てゆうか、この作戦、超イケテ無くない?」

試しに「結論から考えてみた」ら、こんな妄想が出ましたorz。やはり普段慣れない事は、迂闊にする物では無いというこの私の、最終結論なのかも。で御座いますで御座いますですのよ、ご主人様。」( ^-^)mポチットナ
by TAKA (2008-04-16 03:37) 

pooh

> TAKAさん

勝ち負けでは、まったくないのですけどね。
必要を感じれば対抗言論をネットにおいておく、と云うだけです。
by pooh (2008-04-16 07:47) 

技術開発者

こんにちは、 poohさん。

>> 「集団追随性」みたいな性質も、どこかでうまく使ってきたんだろうなと思うんですね。
>これ、多分そうとう深いレイヤーにあるんじゃないでしょうか。犬(と云うか狼)にもあるくらいだし。

 「集団追随性」なんてのは群れを作る動物の本能だろうなと思います。なんていうか、群れで餌をあさっていて、一番端の方にいる個体が走ってくる豹とかライオンを見つけて逃げ出した時に、中の方にいる個体が「何も考えずに他の個体が逃げるから逃げる」をやらないと、群れを為している価値がなくなりそうですからね。

 でもね、こういう事を考えていたら、「群れの個体の敏感さや鈍感さをある範囲で揃える必要性」みたいなものも考えられてしまうわけです。端の方にいる個体が「バッタが跳ねても逃げる」くらいに敏感すぎたら、餌を食う時間が無くなるし、「豹が近づくまでボーとしている」と、そいつが食われるならまだしも、「隣が逃げないから」と安心していた自分が食われる事もある訳ですね。そういう意味では「他の個体はどうしようと自由よ」というのを認めない部分も何か本能的にありそうにも思うんですね。「皆、或る程度同じくらいの共通性は持てよ」というのは群れをつくるメリットを享受するために必要な要素としてあるみたいに思えるんです。

 もちろん、我々は本能の奴隷ではなくて知性というのを持っている訳だから「よく考える」という必要は常にあるんだけどね。この「群れを作るメリットを享受するためには群れの個体に或る程度の共通性が必要」といった事なども、知性の部分でよく考えてみて欲しい部分なんですね。

by 技術開発者 (2008-04-16 12:41) 

pooh

> 技術開発者さん

> この「群れを作るメリットを享受するためには群れの個体に或る程度の共通性が必要」といった事なども、知性の部分でよく考えてみて欲しい部分なんですね。

もともと学問と云うのは、そう云うことを考えるものでもありますし。
基本仕様が変わらなくても、そこをいかに上手にコントロールするか、でもある訳ですよね。
by pooh (2008-04-16 22:07) 

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