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採点競技 [みたもの、読んだもの]

浅田真央が韓国で受けたインタビューを扱ったスポーツニッポンの記事を読んだ。

「キム・ヨナは憎くない?」の意地悪な質問には「彼女がいるから上達できる」とサラリ。

ここでは、ヨナ・キムと記述することが多い。これは、ジュニアに上がってすぐの真央のインタビューで、「競技会の場で知り合いになった韓国の選手」と云うかたちで触れられていたときの真央の言い回しを、そのまま踏襲している

そのインタビューが掲載されたのが、この本。もう4年も前になるのだなぁ。

little wings―新世代の女子フィギュアスケーター8人の素顔

little wings―新世代の女子フィギュアスケーター8人の素顔

  • 作者: Little Wings編集部
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 単行本
スーパーノービスからスーパージュニアとなったばかりの真央の「ただの子供」さ加減とか、この時点で安藤美姫が注目の選手としてすでに真央の名前を挙げていることとか(もっともそのあたり、互いにもっとも才能と実力を知る間柄ではあるはずなんだけど。幼馴染だし)、いまから振り返るといろいろと感慨深い本ではある。

で、上の真央の回答なんだけど。ぼくはこれを「おとなの回答」ではなくて、単なる本音だと思うわけだ。おなじ時期に世界に向けてデビューし、おねえさんたちを凌駕して世界一を争う場所まで駆け上ってきたおないどしの隣国のライバルに対する、素直な気持ち。
そんでもって、それってフィギュアスケートと云うのが採点競技だからなんだろうなぁ、なんて思う。

いい演技をすれば、いい成績が取れる。いちばんいい成績が取れれば、金色のメダルが手に入る。
競技におけるライバルは、自分の演技がどれほどのものなのか、表彰台のいちばん高い場所に立つためにどれくらいのものが要求されるのか、と云うことについての外的な物差でしかない。
たぶんそんなところ。

だいたいぼくはほとんどスポーツを見ない。偏見があるからだ。
スポーツはおおむね、守るべきルールを最低限(少なくとも審判に指摘されない程度に)守ったうえで、もっとも力を持ち、もっとも有利な条件をそろえることができて、もっとも卑怯なことができる人間が賞賛されるものだと思っている。実際の戦争や企業間の競争と違うのは、競うものが(極端な言い方をすれば)こどもの遊びと変わらない程度に無害なものである、と云う点くらいだ、なんて考えている。
それは確かに、人間の可能性を広げるだろう。戦争と同じように。

でも、採点競技は違う。
なによりも闘う相手は自分自身だ。どんなスポーツでもそう云う部分はあるだろうけれど、そう云う意味合いがより濃厚だ。競う相手のいい演技を見たあとで自分がリンクに出て行くときのプレッシャーは嫌なものだろうけれど、だからと云ってライバルの転倒をよろこぼう、なんて思わないに違いない。おなじ金色のメダルでも、きっと光り具合が違ってくるだろうから。
そしてもちろんそう云う競技だからこそ、根本的に他者と争うことに向いていない荒川静香のような選手が、いったんは頂点に立つことができたのだと思う。

フィギュアスケートの放送を、ぼくはすべての選手のいい演技を祈りながら見ることができる。それは多分、そう云う競技だからなのだろう、なんて思うのだ。


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