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もやもや [余談]

Genさんの疑似科学批判者は「何を批判しているか」自覚せよと云うエントリを読んで、非常にもやもやしている。もやもやしたままで書く。
以下に書くことは、本来ぼくが書くべきことではないことだ、と云う自覚はある。恥晒しだ、と云う自覚も。だから、ここから先は嘲笑覚悟だ。

このエントリは疑似科学を批判する人は謙虚であれと云うエントリに対する追記として書かれたもののようだ。で、この元のエントリを読んだときに、相当に困惑した。

たとえば、疑似科学を信じている人たちを、「トンデモさん」と呼ぶ人がいる。こりゃ、あかんやろ。「トンデモさん」というとき、疑似科学批判者は、批判対象の全人格を否定してしまっている。

ぼくは一度も「トンデモさん」と云う用語を使ったことはないはずだ。だから、これはぼくのことを云っているのではない、と捉えることもできる。自分のことを云われているような気がするのは、単なる自意識過剰だ、というふうに。

科学は「どう生きるべきか?」「どのような人間が優秀か?」「どのような人生がより価値が高いのか?」を絶対に明らかにしない。

これはぼく自身、けっこうくどくど云っている。もちろんぼくだけじゃなくて、ほとんどのニセ科学批判者は(ぼくの知っている限り)この見解に異論はないはずだ。

批判対象(疑似科学を信じている人たち)に対し、むしろ「あなたの生き様は認めますよ」という肯定的なメッセージを発する必要があるのではないか。

なぜこう云う結論になるのか分からないけれど、ぼくの批判対象はおおむね疑似科学を信じている人たちではない(だいたいはそこにロジックをくっつけて広めようとしているような言説を行っているひとたちだ)ので、やっぱりこの方の言葉はぼくに向けられたものではない、と考えるのが妥当なのだろう、とか思ったりする。

でも、追記となるエントリを読んで、やはり戸惑ってしまう。

ところが、2の道徳的・政治的な批判については、白黒(批判が正当かどうか)をはっきりつけられる根拠が存在していない。この部分は、人文学的な「解釈」の領域です。あるいは、どちらの方が社会の支持をより集めることができるのかという、政治的パフォーマンス(言説バトル)の領域です。

これについては同意することができる。政治的パフォーマンスなんて呼んでもらえるほどのものではないけれど、ぼくがここでものしている言説はそう云う性格のものだ。このあたりで、ひょっとしてこの方の書かれていることはぼくにも関係のあることではないのか、と云う気がしてくる。
ところが、この言葉に続けて、

だから、感情的になりやすい。「疑似科学(を主張すること)によって多くの先人や現在科学に携わっている人々の人生が否定されてしまうこともある」(参照)と憤る気持ちや、「怪しげな話をして人を惑わしてはいかんのではないのか」「法的にも道徳的にもどうなの」(参照)と感じる気持ちはわかりますが、これらは科学そのもの(事実の領域)とは無関係であることを確認してください。

と云う記述がある。感情的になりやすいからどうだ、とおっしゃっているのだろう。「おまえの言説は感情的で有害だ」と云われているのなら、あぁそう読まれる可能性も充分あるなぁ、なおいっそう気をつけなきゃなぁ、と反省することはできるけど(ただ、この時点でも依然として「おまえの言説なんて問題にしていないよ自意識過剰野郎」と嘲笑われる可能性はもちろんある)。

つまり、「市井のふつうの人」が疑似科学を批判するとき、「科学のモノサシ」は彼らの批判の正しさを保証しないのです。「2.道徳的・政治的な批判」と、「科学のモノサシ」は、無関係です。すなわち、「2.道徳的・政治的な批判」を行うときには、「自分たちが絶対に正しい」ことを保証する科学的な根拠は存在していません。

これはある意味当たり前のような気がするけれど、そう思えるのはぼくがGenさんの伝えたいことを理解していないからなんだろうか。ぼくの言説は「科学のモノサシ」がその言説の内容を絶対に正しいと保証してくれると云う思い込みに支えられたものなのだろうか。そんなつもりはない、と云うのは単純にぼくが無自覚なだけなのか。そうかもしれないけど納得しかねる。

自分の主張は、疑似科学批判側と疑似科学信仰者のあいだに芽生えている相互不信というかディスコミュニケーションを改善するために、「2.道徳的・政治的な批判」において、疑似科学批判者側が「自分たちは絶対に正しく、有能だ」と思う気持ちを封印して、より対話的な態度を取ろうではないか、ということでした。あるいは、「2.道徳的・政治的な批判」のトーンを下げることによって、「1.事実のみに関わる純科学的な批判」を通しやすくなるのではないか、ということでした。少なくとも、科学的手続きに正しさを保証された「1.事実のみに関わる純科学的な批判」と、絶対的な正しさは保証されない「2.道徳的・政治的な批判」を、自覚的・意識的に分離させて感情を鎮めようではないか、ということでした。そしてできれば、「2.道徳的・政治的な批判」を行う際には、ニヒリズム(「生きる意味」の喪失)の問題を真剣に考えて欲しい、ということなのでした。

列挙してみると、

  1. 疑似科学批判者は「自分たちは絶対に正しく、有能だ」と思っている
  2. 意義のある言説は「1.事実のみに関わる純科学的な批判」のみであり、「2.道徳的・政治的な批判」はその機能を阻害している
  3. 「2.道徳的・政治的な批判」感情的に行われている(従って妥当性はないし、実効性にも乏しい)
  4. ニヒリズム(「生きる意味」の喪失)の問題については「2.道徳的・政治的な批判」を行っている論者は意識していない

と、これだけのことが前提にされているように読める。で、とりあえずぼくはこの全項目に対して異論があるし論陣を張る覚悟もあるのだけれど、でもここで「おまえのところのど田舎過疎ブログなんて眼中ないよ、すっこめナルシスト野郎顔じゃねえぞ」とか云われる可能性もあるし、そう云われれば恐れ入ってすっこむしかない。

結局、もやもやしているのはGenさんの言説から学んだり警告を感じたりすべきなのか、自分とは関係ないこととして気にしないのが正しいのか、と云うのが分からないからだったりする。

ぼくがここで誰かの言説に対して言及するときには、まず確実にそこにリンクを張る。トラックバックも飛ばす(届かないときも、届いても受けてもらえないときもある。もちろんそれは完全にトラックバックを受けた側の自由な判断による)。で、「誰の」「どう云う言説」に対して意見を述べているのか、できる限り曖昧さが残らないようにエントリを書く(文章力のつたなさのために充分に伝わらないこともあるけれど)。それは暴力的で、感情的で、攻撃的で、「上から目線」のものに見えるかもしれない。でも、受け手が「こいつがどこまで分かって書いているのかわからない」「なにを云われているのかわからない」と困惑することはない、と思う。
そして、反論を、批判を、なによりも対話をぼくは歓迎している。折りに触れて言明すること以外に、このことを示す手段を持たないけれど。

正直、Genさんのこういう書き方(「何を批判しているか」自覚せよと迫りつつ、自分が何を批判しているかについて曖昧な部分を残しておくスタンス)が、非常に高度な政治的手法を用いたものだ、と考えることもできる。「誰のことだとは云っていないけれど、身に覚えのある奴はとりあえず黙っとけ」みたいな感じで。目的は分からないけれどそういう意図があったとすれば、少なくともぼくがこの見苦しいエントリを書くのに感じた猛烈な抵抗感からしても、戦術としてはかなり効果的だったと思う。
——と云うのはもちろん、下司の勘繰りに類することだろう。ただ、ひとに「批判のしかた指南」をできるくらいのスキルをお持ちなら、勘繰られないような書き方もできただろうに、なんて考える。


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Gen

schutsengelさん、はじめまして。丁寧にご指摘いただいてありがとうございます。

多くの方々が指摘されている通り、具体的な批判対象となる言説を明示しなかった点で、不必要にもやもやさせてしまったのだと思います。申し訳ありませんでした。

>例えば、もし批判の目的が「ビリーバーまたはビリーバー予備軍に対する訴えかけ」だったとします。それならば、ビリーバーやビリーバー予備軍に届くような言葉で、批判をしなければなりません。黒影さんやGenさんの意見は、はっきり言えば「不当に」批判者に過剰な負担をかける内容です。しかも、その負担が報われる可能性もあまりないと思います。しかし、もし目的が「ビリーバーまたはビリーバー予備軍に対する訴えかけ」であり、訴えかけの方法としてそこまでやらなければ届かないというのならば、公平さなど無視してやるしかないわけですね。(コメント欄参照;newKamerさん)
http://shibuken.seesaa.net/article/81331477.html#comment

という内容を訴えたく、そのために疑似科学批判側が道徳的・政治的な批判のトーンを落としてはどうか、という提案だったのですが、個別具体的に論じなければおっしゃるとおり「非常に高度な政治的手法」に堕してしまいますので、ネット上での議論を再勉強したのち、個別具体的に”「生きる意味」をかけて「科学的事実という土俵」で戦いを挑んでくる相手に対して、その「生きる意味」を傷つけずに科学的事実における批判だけを行い対抗する上手い方法”を考えていきたいと思っております。
by Gen (2008-02-01 23:03) 

pooh

> Genさん

いらっしゃいませ。

アップが最悪のタイミングになってしまいました。これでまた「誰にでも噛み付く狂犬ブログChromeplated Rat」の悪名が高まってしまいますね。

ぼくの事情なんかもちろん斟酌に値しないのですが、それでもお書きの一連のエントリを読んだときには、かなり強いショックを受けました。なんと云うか、「ここまで伝わらないものなんだ」と感じて。

正直云って、このエントリは自分自身のために書いたものです。Genさんの問題定義になんらかの回答を示さないと、多分ぼくはニセ科学についてなにひとつ語れなくなってしまう、と感じました。まぁ、それはそれで泡沫論客がひとり消えるだけで大勢に影響はないのですけれど、本人にとってはそれなりに重要なことです。

ぼくは非常にきつい批判をします。それは主に、批判に挑む自分の退路を断つためです。そうでなければ、ひとがしあわせに信じているものに対して何かを云う資格はないと思っています(それがロシアの農奴と同種のしあわせであっても)。傲慢にも映るでしょう。気持ち悪くも見えるでしょう。覚悟の上です。
ただ、それはぼくの内的な事情であって。傍から見ている分にはそんな覚悟なんてなんの意味もないんだ、と云うことを、今回学ばせていただきました。

どうやったら伝わるのか、と云うことを、これからも継続して考えていこう、と思っています。
by pooh (2008-02-01 23:28) 

pooh

> Genさん

追加です。

非常に高度な政治的手法、と云うのはけしてネガティヴな言い回しではないつもりで、むしろ賞賛に近い書き方のつもりです。すべての言説は一面政治的ですし、誰かに影響を与えようとしてだれもが語るのですから。
by pooh (2008-02-01 23:35) 

Gen

poohさん、お返事ありがとうございます。
「どうやったら伝わるのか、と云うこと」、これは本当に難しい課題なのだと思います。事実と規範を区別せよという要請自体が、ひとつの規範であり、そうは感じない人も大勢いるのですから。

ところで、これは質問なのですが、ニヒリズム(「生きる意味」の喪失)と疑似科学(批判)の関係を論じた、ネット上での議論はこれまでありましたでしょうか?もしご存じならば、教示いただけると幸いです。
by Gen (2008-02-02 00:20) 

玄倉川

私にはGenさん(に限らず「ニセ科学批判批判」論者)のお考えがよくわかりません。
何を求めて何をしようとしているのか見えません。むしろニセ科学信奉者の考え方のほうがよくわかります。
自分の頭が悪いせいなのかと思ってましたが、poohさんがもやもやしておられるのを見てなんだか安心してしまいました。
by 玄倉川 (2008-02-02 02:28) 

pooh

> Genさん

直接的なものではありませんが、例えばここの「世間」カテゴリのなかで医療・代替医療について述べたエントリをお読みになっていただければ、と思います(すみません。どのエントリ、と示すのはご勘弁ください)。コメント欄も併せてお読みいただければ、少なくともそのことに対する意識がない、ということが誤解なのはお分かりいただけるかと思います。
by pooh (2008-02-02 06:12) 

pooh

> 玄倉川さん

こんな恥ずかしいエントリを書かないと前に進めないくらいには、まぁ、ぼくも脆弱だ、と云うことです。いいことか悪いことか、それをGenさんのおかげで満天下に晒してしまいました。
by pooh (2008-02-02 06:15) 

Gen

poohさん

ありがとうございました。

玄倉川さん

>私にはGenさん(に限らず「ニセ科学批判批判」論者)のお考えがよくわかりません。何を求めて何をしようとしているのか見えません。

ニセ科学批判者のスタンスが様々であるように、ニセ科学批判批判者のスタンスも、ひとつのレッテルでは括りきれない多様なものであると思います。ニセ科学批判批判者の大部分の人々は、「ニセ科学批判をぶっ潰したい」と考えているわけではありません。「社会にとって適切なニセ科学批判のあり方はどのようなものか」を、それぞれの立場で問うているはずです。たとえばfinalventさんは(その批判が適切かどうかは別にして)リソース配分の問題を指摘しているのだと思いますし、私は(詰めが甘いながらも)ニヒリズムの問題を指摘したかったのです。

ニセ科学批判は、1.科学的のモノサシ(科学合理性)に基づく事実に関する批判と、2.社会的な価値観(社会合理性)に基づく政治的・道徳的な批判の両者を含んでいますが、ニセ科学批判批判者は、多くの場合、1については疑問視していません。おそらく、2.政治的・道徳的な批判について敏感であるのだと感じます。政治的・道徳的価値観は、実験で白黒つけられる類のものではなく、議論と対話を重ねた上で「裁判型モデル」(妥協型モデル)で解決するしかない問題です。

たしかに、「ニセ科学批判で人々を惑わすのは常識的に考えてあかんやろ」とおっしゃる気持ちはわかります。しかし、人文学は、「常識」を疑い「常識」を覆すことによって社会を住みやすい場所に変革してきた歴史を持っているため、繊細な問題にこだわり続けてしまうのです。また抽象的な議論になってしまいました。悪意はないことと、ニセ科学批判批判者はそれぞれさまざまな問題意識を持っており一枚岩の存在ではないことを、ご理解いただけたらなと思います。
by Gen (2008-02-02 07:30) 

Gen

たびたびすみません。誤記訂正させてください。
×「ニセ科学批判で人々を惑わす」
○「ニセ科学で人々を惑わす」
by Gen (2008-02-02 07:34) 

pooh

> Genさん

Genさんのおっしゃる「ニセ科学批判批判者」とは、例えばどなたですか? finalventさんは存じ上げていますが(彼の批判の角度は、正直理解していませんけれど)。

「ニセ科学批判」批判者もそれぞれだと思います(ここやほかのブログのコメント欄とか2ちゃんねるに意味不明のコピペを繰り返して議論の崩壊を執拗にもくろんでいる某氏も、ご本人は「ニセ科学批判」批判者のつもりでしょう)。そのなかから一般論を導き出すのなら、それなりの数の事例を踏まえていることが前提になるでしょう。「多くの場合」とおっしゃるからには、名前かURLだけでも複数の例示ができるはずですよね。

どなたですか? 論宅さんですか? 津村ゆかりさんですか?
それぞれに対するぼくの議論はお読みになられましたか? なんならURLを提示しますよ。

悪意がないのは分かります。でも、悪意がないことがひとに空論を仕掛けることについての免責事項になるとお考えなら、それは自分以外の論者のリソースに対する敬意の欠如だと思います。
by pooh (2008-02-02 08:41) 

pooh

ひょっとしてoruteさんだったりするのかな。
だったら笑える。
by pooh (2008-02-02 08:44) 

pooh

訂正です。

「免責事項」ではないですね。「免責事由」でした。
by pooh (2008-02-02 08:52) 

黒猫亭

>Genさん

はじめまして。剰りくどくど言うとキツくなるので一つだけ指摘させて戴きますが、オレも含めていろいろな論者がGenさんの言説で共通して批判している点とは、

・根拠や実例もないのにご自身の思い込みを一般解として主張されること

だったりしませんか?

Genさんご自身が認められたように、ニセ科学批判と言っても一口に括れるものではないです。それと同時に、ニセ科学批判批判と言っても一口に括れるものではないでしょう。それはニセ科学を批判する立場の論者もわかっています。しかし、少なくとも、

>>ニセ科学批判批判者の大部分の人々は、「ニセ科学批判をぶっ潰したい」と考えているわけではありません。「社会にとって適切なニセ科学批判のあり方はどのようなものか」を、それぞれの立場で問うているはずです。

こういう種類の批判を今まで受けた覚えがないので、まあ最低限こちらに書き込みをされているような方々は「大部分の人々は」「はずです」式の断定をされても全然納得出来ないのであって、具体的な実例のご指摘がない限り、Genさんの断定をどう判断して良いものかすらわからないでしょう。

つまり、対象がニセ科学批判者からニセ科学批判批判者に変わっただけで、またしてもGenさんは同じ論法を駆使しておられるわけで、何故具体的実例や根拠も提示せずに思い込みを語られるのか、そのような論理が問題なのです。

オレなどは無遠慮ですから、他の方よりもう一歩踏み込んで、Genさんはご自身の考えを根拠附ける為にネットで実例を検索する労力を払っておられないのではないかとすら推測しています。たとえばGenさんが「ニセ科学批判者」をディスクライブする際に、たまたま目に停まった正月の事例「だけ」を視て物を仰っているのだろうと思っているし、さらに今回のお話の「ニセ科学批判批判者」などは、たまたま黒影さんや庄内さんという信頼出来そうな論者が語っておられることを以て一般解と解釈され、ご自身が拠って立つポジションだから自分に言い切る資格があるとでも考えておられるのではないかと踏んでいます。

そういう姿勢は、一般的には「手抜き」レベルの初歩的な不誠実さだと見做されるのだし、今回のように無用な反撥を招いたりしますが、一番問題なのはそういう雑な流儀で語られた主張が不当な誤解を招くことであり、被害を被る側から視ると多大な悪影響を受ける大きな誤解が、常に単なる「手抜き」によってもたらされるという事実に、皆さん苛立っておられるのではないですかね。
by 黒猫亭 (2008-02-02 10:15) 

pooh

> 黒猫亭さん

あぁあ。
ぼくは黙っておきます。恥はかくだけかいたんで。
by pooh (2008-02-02 12:37) 

Gen

>poohさん, 黒猫亭さん

「ニセ科学批判批判者」を過度に一般化して語った点、そして過度に一般化することによって言説が(第3者にとって)不当な政治的な効果を持ってしまうかもしれない点について、お詫びします。コメント欄であるからと、気を抜いてしましました。ご指摘の通り、現時点で、私はネット上での議論をそれほど追いかけていません。だから、あくまで私個人の話に限定します。

>悪意がないことがひとに空論を仕掛けること~

私の問題提起は果たして「空論」だったでしょうか?もちろん、「疑似科学批判者はXせよ」という命題を立て主語を過度に一般化した点は完全なるこちらのミス(空論に該当する部分)なのですが、黒影さんの「科学のモノサシ」論、とくに以下に引用した部分を読み、

>「疑似科学批判批判」とは、突如「科学のモノサシ」を押しつけられ、自らのモノサシが否定されたと感じた彼らの、「比較対象間違ってませんか!?あなたの物差しはそれですか!?」「絶望した!科学のモノサシに絶望した!」という彼らなりの異議申し立てであり、悲鳴なのである。

この「絶望」の背景には近代が生んだニヒリズム問題が横たわっているな、という気づきを、私個人の私的な経験から帰納的に得て、それを文章に起こしたわけです。黒影さん個人が「ニヤリ」としてくださった時点で、「社会にとって適切なニセ科学批判のあり方はどのようなものか」を問うひとつの問題提起は成立したのだと考えます。

もちろん、そのようなことをあらかじめ了解している疑似科学批判者の方はたくさんおられることを学び、その点で、「疑似科学批判者はXせよ」という一般化した命題は(第3者への政治的効果を含め)大変不当なものであったと、強く反省しています。
by Gen (2008-02-02 18:12) 

黒猫亭

>Genさん

順番から考えて、poohさんのお返事を待ってからオレがレスするのが筋かとも思うのですが、一つだけ確認させて戴きます。Genさんは「黒影さん個人が『ニヤリ』としてくださった」と仰っていますが、その意味を少し確認させて戴きます。

これは幻影随想別館の記事の記述を指しておられるのだと思うのですが、ここで黒影さんが「ニヤリと」されたのは、黒影さんの表の記事のモノサシ論がニセ科学批判一般に当てはまるかどうかは別にして、少なくとも発言者である黒影さん自身に対する自己言及であることは黒影さんご自身が認識しておられて、おそらくGenさんの「トンデモさん呼ばわりをする人」というのはご自分を指しておられるのだろうと解釈して、モノサシ論の自己言及性に気附かれた論者の方がいらっしゃるということに「ニヤリと」されたという流れになるでしょう。

ここで黒影さんは、徹頭徹尾ご自身に対する批判の言葉としてGenさんのご批判を受け止めておられるし、その限りにおいて「全面的に同意」しておられるわけです。その意味では、本当は黒影さんは他の論者の方とは違ってモノサシ論に、一般論に見せ掛けた自己言及という意味合いを込めておられたのかもしれない。そういう黒影さんのデリケートなレトリックが、Genさんの記事を介して暗示出来ることに「ニヤリ」なのかな、というのがオレの解釈ですが、Genさんご自身は自身の記事で黒影さんを直接批判されたご自覚はおありでしょうか。

失礼ですが、ひょっとしたらそこでもコミュニケーションの混乱があったりしないのかな、と思ったものですから、非礼を承知で敢えて確認させて戴きます。
by 黒猫亭 (2008-02-02 21:42) 

Gen

>黒猫亭さん

>Genさんご自身は自身の記事で黒影さんを直接批判されたご自覚はおありでしょうか。

この点は明確に認識しています。そして私の「モノサシ論の自己言及性」についての指摘は、黒影さんのモノサシ論が成り立つ限りにおいてのみ有効であることも認識しています。だから、「疑似科学批判者はXであれ」という一般化された命題形式を私が用いたのは、とても不用意なことであったな、と思います。
by Gen (2008-02-02 22:46) 

apj

 主に水関連の「ニセ科学」を批判していて、かつ、と学会会員でもあるので一言。
「トンデモ」と「ニセ科学」は違います。「ニセ科学」言説が「トンデモ」になっている例は確かにあるのですが、「ニセ科学」ならいつも「トンデモ」かというとこれは違う。「トンデモ」になるには、本人の意図を越えて笑える部分が出てこないとダメなんです。単に間違っているだけではだめで、「おぉ、そう来たか!」とウケるようなものなんです。
 と学会的には「獲るトンデモから育てるトンデモへ」などと言ってまして、これまでは勝手に出てくるトンデモを鑑賞していたのですが、今後はもう少し積極的に育てることも考えないとネタが尽きて楽しめないではないか、ということになってきています。いやまあ、具体的に「育てる」とはどうするのかというところまでは確立していませんが。
by apj (2008-02-03 00:56) 

pooh

> Genさん

ぼくの認識では、Genさんは「近代が生んだニヒリズム問題が横たわっているな、という気づき」と云うことについて、まったく論を起こしていらっしゃいません。問題を提示されているだけです。想定されている受け取り手がその問題をどう捉え、どう考え、対応すべきなのかについては、云い方は悪いですが「投げっぱなし」です。

なので例えばまず、ぼくなんかは「果たしてその問題提示の対象が自分であるのか」と云うところから悩むことになってしまう。明示的に言及されているのは黒影さんだけですし。

で、「こんな問題もある。それを考えないのはおかしいだろう。どんな問題か、って? それくらい自分で考えろ」的な態度に見えてしまうんです。これって、投げかける側からは簡単かも知れませんが、投げかけられる側からすると非常に辛い。どれだけ考えても、それがそもそもの問題提示に対して適切にそぐったものであるかどうかが分からないからです。

提示された問題点は存在すると思います。でも、その問題点に対してどのように把握すべきか、については、現段階ではGenさんは黙っておられる。そこでぼくが何を書いても、空論しか生じ得ない。「無配慮な批判者」にしかなり得ない。これが政治的な効果を狙った手法なら見事ですし(そうだと思っているわけではありませんが)、実際に例えばぼくになにかしらの思考と配慮を惹起させようとしているのだとすれば、それはあまりに乱暴です。
by pooh (2008-02-03 06:25) 

pooh

> 黒猫亭さん

ちなみに、ぼくは黒影さんの元エントリには言及していません。
これは黒影さんとぼくの認識の角度の違いがそのまま相補的に働きうるもののような気がしている(とくにそこに議論の必要はない)と思ってるからなんですが、どうなんでしょうね?
by pooh (2008-02-03 06:29) 

pooh

> apjさん

なんかそう云う視線の角度が、と学会自体とか周辺への反発を生んでいる、と云うのは昨今あるような気がしています。で、それがニセ科学批判と混同されて、同種の批判が向けられている、と云う部分も。

と学会的にはこの種の反発には真っ向から立ち向かうスタンスなんだろうな、と思うしそれでいいと思うんですが、それがニセ科学批判にもそのまま向けられると「はぁ? なに云ってんの?」的な感覚が生じてしまうんですよね。
by pooh (2008-02-03 06:34) 

亀@渋研X

poohさん、みなさま、おはようございます。
学ばせていただいた御礼をしに暢気に訪ねて来て、珍しいものを見てしまった……。ええと……(しばし呆然)。

あっ!
まずは御礼を。poohさんの最近のエントリのおかげで、一人でわかって気になっていた部分を「ちゃうんでねえの」とひっくり返していただき、それどころか、しんどいけれども自分のドブさらいに手がつきました(ごく一部だけど)。
多分、直接的には「こんな恥ずかしいエントリを書かないと前に進めないくらいには、まぁ、ぼくも脆弱だ、と云うことです」とのフレーズが、ぼくに自分のドブを思い起こさせてくださったと思います。ほかの誰にも価値はなくても、必要なことをひとつしたような気が、今は(^^;; しています。

ありがとうございます。

我が家の方は、いつの間にか雪が降り始めています。おかげで、今朝の仕事の予定だった団地の一斉草取り(爆)は日延べになりそうなので、もう少し長居をさせてください。

さて。
この件については、すでに周回遅れというか、野暮用にかまけていて置いてけぼりみたいなことになってしまった私ですからチェック不足かもしれません(自業自得。調べたり考えたり書いたり捨てたりほかのことをしていたりする間も、議論は待ってくれない。とほほ)。が、しかし。
ひょっとするとGenさんは、「あの論が対象としていた人」について「そのなかの一人」としてでも、ここで初めて言及されたのではありませんか。これは「ブラボー!」です。

以下、明日の自分ちで<ぉぃ
by 亀@渋研X (2008-02-03 07:02) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

えぇと、なんか難しいです(^^;。ぼくのあたまの血の巡りでは、お書きのことがよく分からない。ごめんなさい。

Genさんはいろいろと考える機会をくださいました。そこから考えたことが、Genさんが「考えるべき事柄」として提示されたものそのものなのかどうかはまた別として。
by pooh (2008-02-03 09:42) 

黒猫亭

>poohさん

>>これは黒影さんとぼくの認識の角度の違いがそのまま相補的に働きうるもののような気がしている

たしかにそこに議論の必要はないように思います。オレとしても直接黒影さんのモノサシ論を批判する意図はないのですが、Genさんと庄内さんの言及を通じて、かなり広い範囲で元の黒影さんの予期を超えた意味附けが施されているように感じます。

おそらく庄内さんのエントリーを通じて黒影さんのエントリーに触れる方もたくさんいらっしゃるでしょうが、それらの人々は庄内さんの意味附けを前提にして黒影さんの記述を読み解かれることになると思います。その意味で、「庄内さんが意味附けたモノサシ論」には議論の余地が大いにあるわけで、オレ自身newKamerさんが書き込まれるまで黒影さんについてさほど固まったイメージを持っていたわけではないですから、「多分この人だけは違う意味で仰っているのではないか」的な言及しか出来ないわけですね。

黒影さんのレトリックは、ニセ科学批判の積み重ねを共有していない読み手にとっては、割合Genさんや庄内さん的な読みを引き寄せてしまうところがあったのかな、という気はしています。Genさんは生真面目に批判に応じておられますが、庄内さん辺りだとそもそも元の論者の意図には無頓着なのかとも思いますし、黒影随想別館の記述を拝読する限り元の記事の含意を自己批判に一義的に回収しようとされたのかな、と思わないでもないですが、それもかなりデリケートなレトリックだよなと思うわけで。

オレは今回の一連の問題を「誤解の流布」的に捉えると、その本丸はやはりGenさんというより庄内さんんのほうだろうな、と思うので、「庄内的意味附け」から一旦モノサシ論を回収する手続きは必要だろうな、と思います。その意味で、庄内的モノサシ論はやはり対象との「てにをは」が違うだろうという意見にならざるを得ないんですが、大本の黒影さん的な文脈に立つならさほど議論の余地はないということになり、結構ややこしい話だなと思っています。
by 黒猫亭 (2008-02-03 09:59) 

黒猫亭

>>黒影随想別館の記述を拝読する限り元の記事の含意を自己批判に一義的に回収しようとされたのかな

舌足らずですいません、ここの主語は勿論黒影さんご自身です。
by 黒猫亭 (2008-02-03 10:06) 

pooh

> 黒猫亭さん

黒影さんには以前からの論の文脈があって、その文脈上では件のエントリの内容も正当だし、特に例えばぼくの方から指摘すべきこともなかったりするわけです。誰が何を重視して言説を為すのか、と云う点で、重視している部分に相違があっても、そのこと自体は望ましいことで(一から著述するかわりに、より洗練された論考を引用させてもらうことが可能になるので)。

なんかその辺りのスタンスが理解しづらいのかな、と思わないでもありません。でもこれって、例えば論の進行に伴ってニセ科学関連の論者の間にだけ共有されている認識、とかそう云う性格のものではそもそもないだろ、とか思います。
by pooh (2008-02-03 10:44) 

黒猫亭

>poohさん

>>でもこれって、例えば論の進行に伴ってニセ科学関連の論者の間にだけ共有されている認識、とかそう云う性格のものではそもそもないだろ、とか思います。

仰る通りです。それまでの文脈を踏まえればよりわかりやすいと思いますが、このエントリー単体で言い切られている内容だってそれに直接向かい合えば素直に理解可能な話なんですが、例示から逆に辿って他の論者に意味附けされてしまうと、それを前提とした読み解きになってしまう部分があると思います。

庄内さんの言及が黒影さんの論に対して「他人が書いた序文」としての機能を果たしてしまうわけで、庄内さんの言説の「わかりやすさ」や「タイムリー性」がかなり強い印象として他者の言説を意味附けている部分があると思うんですよ。この辺、講読によって原典の意味合いや重点が変わってしまうのと同様の機序で、庄内さんの言及が遡って黒影さんの元のご意見の各要素の重点の掛かり方をかなり変えてしまって、元の文脈を共有していない読み手の読みをかなり支配しているのかな、と思います。poohさんたちには元々の文脈という拠り所があるから、そういう操作の何処がおかしいかわかりやすいが、そうでない読み手には庄内さんの読み解きがまず読解の拠り所として機能する可能性があるということです。

poohさんにご理解戴きたいのは、こういうふうに他者の言説を道具視して引用することで第三者の読みを恣意的に支配する手法に対して感じる反撥が、オレがこの件で抱いている不快感の中心だということです。その観点からも庄内さんのご意見に対抗しないと、かなりの範囲の読み手に対して「黒影さんのモノサシ論はこう読むんだ」という読み方が定着してしまうんではないかと思うんです。
by 黒猫亭 (2008-02-03 12:07) 

Gen

>poohさん >黒猫亭さん

私自身の問題意識を細部まで煮詰めていない現段階でこれ以上発言すると「空論しか生じ得ない」ことになりますので、今回は一旦打ちきりにさせてください。不快な思いをさせた点については、申し訳ありませんでした。そして色々とありがとうございました。
by Gen (2008-02-03 12:08) 

pooh

> 黒猫亭さん

善し悪しではなく、黒影さんのもとエントリはたぶん明解な分抽象的に受け取りやすくて、そのせいで結果的に汎用性が高いんですよ。それは言説としての強さ、染み込みやすさでもあるんですけど、それだけにそこからアウトプットに繋げる段階で文脈から切り離されやすい(なにしろ切り離されても「死なない」ので)と云うことなんだろうな、とか思います。

前のコメントでいただきましたが、「元の記事の含意を自己批判に一義的に回収しようとされ」るにあたって、なんとなくぼくは勝手に苦笑いする黒影さんの表情を想像しながら読みました。なんとなくぼくがこのエントリを書くにあたって感じた気恥ずかしさに近いものがそこにあるように感じた、と云うのはこちらがわの勝手な解釈ですけど。
by pooh (2008-02-03 16:20) 

pooh

> Genさん

またお越し下さい。
煮詰まってなくても結構ですので、ご自身の論を読ませて下さるのをお待ちしています。
by pooh (2008-02-03 16:22) 

黒猫亭

>poohさん

オレはこのレベルの論客の方が何の意図もなく思い附きでモノを言ったりしないと思っていますので、手強そうな方のご意見については「どういう意図で仰っているのか」をかなり勘ぐるほうですが、そういう意味では黒影さんはそれを剰り直截明示されるほうではないな、と思います。表面的にはマンガのセリフを使ったりしてカジュアルな文体ですが、その実かなり洗練されたコミュニケーション手法を採られる方で、そこにはpoohさんの所謂「気恥ずかしさ」のような含羞の感覚があるのでは、と思います。

庄内さんやGenさんのコメンタリーを受けた発言がそのような性格のものであったり、最新エントリーがあのような意味深長なものであったりする辺り、有情の人に通じる繊細な機微ではあります。でも、その一方で庄内さんのような論者は、何かを語りながらその何かを識ろうとはせず、他者の発話を引きながらその真意を識ろうともせずに雑駁に括ったりするわけですが、それでもそこまで乱暴だからこそ、一定数の受け手にご自分の意見を通すことが出来る部分もある。

庄内さんの意味附けによって黒影さんのモノサシ論の有用性がかなり限定されてしまっていたことは事実なので、そこはやはり言及すべきかなと思うんですよ。そういうふうに考えていくと、モノサシ論をニセ科学批判対ニセ科学批判批判という対象に適用することや正月の騒動に言及することで、庄内さん式の意味附けに乗じられる隙はあっただろうと思うんですね。

ウチのエントリーへのnewKamerさんのコメントのように、合理を以て非合理と対峙する活動一般においては非常に明快な比喩なんですが、それこそ文脈が「ここ数か月流行している」「新しい議論」の延長上にあることで却って誤解を呼び込む部分がある。ここからたとえば「新しい議論」に対してモノサシ論をぶつけることで、「新しい議論」のローカリティから「合理と非合理の対話」の原点に回帰する道筋も在り得たのかなと思うんですが、真っ先に目を附けたのは正月の騒動を説明する道具としての表面的な有用性に着目した論者だったわけです。

黒影さんがモノサシ論を語られたことや、newKamerさんがとくにオレのエントリーにコメントして「ベタベタなところ」に注意を喚起されたのは、ビリーバーとの直接対話の実感もなしに観念論で論じることがブロゴスフィアの自己満足しかもたらさない空論に繋がる危惧を覚えられたからだと思うんですが、そこに関する議論が始まる前に横取りされたというところではないでしょうか。
by 黒猫亭 (2008-02-03 17:43) 

pooh

> 黒猫亭さん

おっしゃる感じはわかります。
その意味ではここでも黒影さんのエントリで提示された内容に言及して、ぼくならぼくなりの文脈(あるいは共有されている文脈)のなかで位置づけておいたほうがよかったのかもしれません。

ただ、心理的に難しい(^^;。
それはぼくが、自分の論の担保みたいなものとして「論者としての考え方」みたいなのを差し出して、そこに棹差して議論を進めている部分があるからで。非常に個人的な話なんですが、どうしても自己言及みたいな部分が生じてしまうので、ひどく恥ずかしかったりもするのです。
なんか、この場合自分の論の正当性と一緒に、「論者としての自分の正当性」みたいなのを主張する部分が生じる気がして。これはぼく個人としては辛いです。以前たんぽぽさんのやり方にちょっとだけ違和感を表明しましたけど、近いニュアンスの方法をとらざるを得ない部分が生じてしまう。

できれば黒影さんみたいな力のある論者に対しては、(直接自分の文脈を左右する質の言説以外に対しては)賛同は「引用」と云うかたちで表明したい、とか感じたりもしていて。ここに対して、例えば黒猫亭さんやTAKESANさん、dlitさんのところほど言説相互の文脈の関連性が濃いわけではないですから。

って、もうこの辺になると完全に自分語り的な話になってしまいますが。
そう云うエントリにぶら下がっているコメントなので、ご容赦ください。
by pooh (2008-02-04 08:01) 

黒猫亭

>poohさん

なんか心情的には気の進まないことを無神経に急き立てているのかなぁとか思いつつお話を進めてきましたが、こちらこそそういう言いにくいことを言わざるを得ないように仕向けてすいませんでした。今回はその関連の横道でレスさせてください。

>>なんか、この場合自分の論の正当性と一緒に、「論者としての自分の正当性」みたいなのを主張する部分が生じる気がして。

こういう含羞というのは、善し悪しは別にして庄内さんには全然ない部分ではないかと思います。最終的には自身の論の有効性を放擲してでも「論者としての自分の正当性」を防衛されたわけですから。で、これは公的発話においては悩ましい部分で、当ブログでも少し前にさせて戴いた話ですが、多くの人は「そのコンテクストは正しいのか」という命題の立て方をせず「それを語っている論者は正しいのか」という基準で言説を判断する部分があります。

つまり、正しさというものを、言説それ自体に関する属性ではなく、それを語る論者の持つ属性と解し、誰を信じるかによって言説を判断することで、言説それ自体に対する検証的評価を放棄するという部分がある。誰それの言うことは信用出来るから、彼の語るこれこれしかじかは正しいという論法ですね。適切なバランスであれば効率的で問題ないのですが、物事は往々にして極端から極端に飛躍するもので、それ一本で言説を判断している人はかなり多いでしょう。

つまり、多くの人に訴える為には「自分の主張は正しい」という論を語るより「自分は正しい」という論を語ったほうがアピールする。でもそうなったら「自分は正義の味方である」「正義の味方が行う改革だから正しい」とするコイズミ政治と同じですからポピュリズムであり情報操作なんですよね、筋を外して目的だけを方法的に追求しているわけですから。

不特定多数の受け手のそういう性質を既存の前提として織り込む論者は、そのような正しさへの期待に対して責任を感じる、ということはあるかもしれません。だから多少個別の論でふらついても、「論者としての自分の正当性」をプライオリティとして防衛するということになるのかもしれません。庄内さん辺り、最新のエントリーでも無関係な顔をして「多様な価値観」とか言い出してるのが往生際悪いですが(笑)。
by 黒猫亭 (2008-02-04 15:24) 

黒猫亭

poohさんに倣って自分語りで応じますと(笑)、オレ個人としては、poohさんや黒影さんほどの清潔な含羞はないけれど、庄内さんほど割り切ったプラグマティズムに対しても忌避感情を覚えるというところです。論の正当性を主張する過程において不可避的に論者としての自分の正当性を主張するような気恥ずかしい側面が生じても悪照れしている場合ではない、というほどの感覚だと言えるでしょうか。或る種の臆面もなさを仕方なくやり過ごす、ということかもしれません。

その替わり、というのでもないですけれど、自身の無謬性に対しては常に諄いくらい可謬性の注釈を施すのだし、論者としての正しさの主張にプライオリティを置かないことで、対話の中で相手の論のほうが有効だと思えればそれを臆面もなく受け容れることを躊躇いたくない。つまり、絶え間なく「論者の正しさ」への期待を裏切り続けながら論それ自体の有効性を高めるということを目指すしかないのかな、と。それを語るオレが主語になるのではなく、オレによって語られた言説が主語になるという意識を忘れないということなんだと思います。

というのは、方法的に「論者としての自分の正当性」を主張する論者に対してそれをポピュリズムであり知的に不誠実な姿勢として撃つ場合、そのような姿勢をあらしめる不特定多数の期待に対しても効果的に対峙する必要があると思うからです。「オレは正しい、だからオレの意見『も』正しい」という姿勢を採用する論者に対して、言説一本で対抗するというのはけっこう大変なことで、オレ個人の例で謂えば常に個別領域における自分の無名性を拠り所として信頼しているところはありますね。

政治の論壇においてもニセ科学批判の論壇においても「黒猫亭何某」の名前など何ほどの意味もないわけですから、最初から「正しさへの期待」とは無縁で、言説一本でそれ自体の妥当性を主張しなければならない。正しさを期待されるということは各領域の事柄に対する継続的言及への期待も受けるということですから、そういう期待に対しても応じることはしない。そういうことを繰り返しているから、いつまで経ってもアクセスが増えないんですが(笑)。

で、poohさんが仰るのは、こういうふうにたとえばオレが自身の言論姿勢を整合附けて説明することも「論者としての自分の正当性」の主張を目的としたウロボロス的自己言及になるという部分だと思うんですが(笑)、それはもう「正しさ」を巡る言説を発話している以上しょうがない恥かきだから受け容れる、ということです。
by 黒猫亭 (2008-02-04 15:24) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。黒猫亭さんの所に仕事場の安全巡視の指摘との類似性なんかを書きましたが、こちらでももう少し書いておきます。

なんていうか、安全巡視とかで理由がよく分からない事を「ここは直しなさい」と言われると反発する気になるのは当然なんですね。でもって理由をきちんと言っても「そんなのはめったに有る事じゃないだろ」という反発は残ります。ただ、安全巡視なんてのは、そんなにめったに有る事じゃない事故でも防がなくてはならないから指摘して直させる訳です。

でもって、「反発する」という事と「反発を合理化して説明する」事はその影響力が違います。例えば、「直しなさい」と言われて反発しながらも格好だけ直した振りをするのと、「あいつは偉くなって、威張りたいから、全く安全に関わらないことでも指摘して、良い気分になっているだけだ。みんな、あいつの言うことなんか聞くなよ」という事の違いです。なんていうか、そういう職場で事故が起こったときに、前者だとたいてい本人が事故に遭うけど、後者だと本人以外の人が事故に遭う可能性が高いわけです。

Genさんには、この2つの区別を付けて欲しいと思っています。
by 技術開発者 (2008-02-04 17:40) 

pooh

> 黒猫亭さん

なんと云うか、論は論で流通してほしいんですよね。そのうえで評価してほしい。当然ぼくの論も政治的な側面を持っていて、それなりの影響力をもくろむものではあるんですが、それはそう云う力をそのものとして発揮してほしい。でも、その評価からpoohと云う論者に対する評価を切り離すのは難しかったりするんです。で、ある程度poohってのは誰なのか、みたいなことを見せていく必要も生じたりする。

ただ、ぼくに関して云えば、その順序は断じて逆ではない。
もちろん逆の方もいらっしゃるだろうし、それが悪いとは思いませんが。

ちなみにぼくから見ると、黒猫亭さんの議論における出し惜しみのなさはすごいな、と思いますよ。あれだけの論じ方をすれば、その議論に向かう黒猫亭さんご本人の内面も剥き出しじゃないですか。そう云う意味で、いつもエッジに立っていらっしゃると思います。
by pooh (2008-02-04 22:30) 

pooh

> 技術開発者さん

Genさんについては、ある意味これからのコミットが問われて来ます。まぁご本人がどう思われるか次第ではありますけど、多くのひとがGenさんの言説を自分自身のコミットに対する問いかけだと受け取った事実があるわけですから、問いかけたものとしてその事実をどう処理するか、と云う向き合い方のアスペクトはすでに生じてしまっているんですよね。これは言葉を発するものとしてけして軽いことではないですし、そのことはご理解されていると信じます。
by pooh (2008-02-04 22:38) 

黒猫亭

>poohさん

言説と発話者という面倒な問題を言い出しちゃったなぁと思いつつ(笑)。

poohさんの仰っていることとズレてくるかもしれませんが、発話者と切り離されても成立する言説とそうでないものがあることはたしかですよね。また発話者の言説の積み重ねの中で特別な意味を持ってくる言説もあります。その意味で一概に言説と発話者を切り離して考えられるかと言えばそうではないんですが、以前語ったように、科学を装うことで説得力が生じるという機微は、「論者としての正当性」に一義的に依拠して言説の正当性を判断する感じ方と密接に関連していることは事実だと思います。

その意味で、発話者に対する信用というのが大事なことも事実ですが、やはり言説の妥当性というのは発話者の如何によらず個々の言説ごとに視ていくべき事柄で、どんなに信頼性のある論者でも時々変なことを言い出すというのは、finalvent さんのニセ科学批判批判な例もありますので忘れてはいけないと思います。

>>あれだけの論じ方をすれば、その議論に向かう黒猫亭さんご本人の内面も剥き出しじゃないですか。

これはもう、仕方のないことかな、と思っています。たとえばニセ科学批判の論者の方を詳しく識っていくと、大概名だたる方は知的活動かその隣接職種の専門家だったりするわけですが、オレの場合何の専門家でもありません。つまり、自身の拠って立つ知の体系の抽斗から言説の付加価値を生み出すことは出来ないわけで、常に必要な情報を泥縄で収集しながら論じていたりするわけです。

その上でオレの言説に何らかの視るべき点があるとすれば、容赦なく議論を徹底する部分じゃないかと思うんですね。とりあえず手持ちの材料で徹底的に突き詰めて行くという方法論は常に意識していますし、そうなると勿体振って「オレが何を識っていて何を識らないかとか、どんな個人性を抱えているかなんてどうでもいいじゃないの」というわけには行かないですね。直接間接を問わず、個人性のバイアスも明示して行かないとやはり何処かで不徹底な論になってしまうし、その分減点法になってしまうと思うんですよ。

そういうふうに個人性の部分で躊躇して、そこを他の論者に見抜かれて「黒猫亭の論はここが不徹底で、それにはこういう個人性の動機があるのじゃないか」とか指摘されるのは、ぶっちゃけ「美味しくない」わけです(笑)。他人に言われるくらいなら自分で言うよというところで、そこまで織り込んでしまえば、少なくとも他者から不徹底を指摘されても、それはオレという凡庸な個人の力の限界だろうというふうに納得が行くんですね。

多分、オレにも知的なプライドや羞恥心というものはあると思うんですが、そういう部分にあるわけではないというところじゃないかと思います。
by 黒猫亭 (2008-02-04 23:46) 

pooh

> 黒猫亭さん

論は一人歩きしてくれるくらいのほうが望ましいんですけどね。望むらくは文脈も引きずって歩いていってほしい。難しいですが。

少なくとも論者にとっては、論を発するにあたって内面との密接な関係は避けがたくて(それは感情であったり、内的規範であったり)。ただ、そのことを論の前提とするのかどうかで、論者の立ち位置がある程度決まってきて、さらにそれが論の質を規定する、みたいな、ここでもウロボロス発見的なところがあるのでしょう。
by pooh (2008-02-05 07:45) 

黒猫亭

>poohさん

一人歩きを始めたら始めたで、「使える」と踏んだいろいろな人が勝手にいろいろな服を着せて連れ回すようになるわけで、それが「俗化する」ということなのかもしれませんが、メイド服やゴスロリや特攻服を着せられていいように使われているのを視ると、たまに親が附いていって「そんな子に育てた覚えはなくてよ!」と変なコスプレを剥ぎ取ってやる必要がありますねぇ(笑)。

論と論者の関係性というのは、本当に難しい問題です。一概に「不即不離」と謂ってしまえば簡単なんですが、簡単に謂うということは何を言ったことにもならないということですし。具体性に即して謂うなら、オレの場合はその論の原文に当たればそのテクストの範囲内でおおむね妥当に意味が通じること、というのを基準にしています。その個別の点としての論から繋がるノマド的リゾームを踏まえて初めて意味が特定されるような論は、読み手に過剰な負担を与えることになるのかな、という程度の意識ですが。
by 黒猫亭 (2008-02-05 13:27) 

pooh

> 黒猫亭さん

なんか、テンプレ化、ってのもありますよね。構造だけ持っていかれてしまう、と云う。あれは納得いかない気分になるでしょうね。

> 個別の点としての論から繋がるノマド的リゾームを踏まえて初めて意味が特定されるような論は、読み手に過剰な負担を与えることになる

ああ、これは生じますね。これは気をつけたい。
by pooh (2008-02-05 21:54) 

TAKA

Genさんは話の分かりそうなお方なので、今後に期待できる予感がします。Genさんが、「ニセ科学批判を誰が、誰に対して、何の目的で、どの様に展開されているか」を調べれば、その認識も変わってくると思います。

その場合、私などは足元にも及ばない批判者になっているのではないでしょうか。そうなったら私はここで、「メタで与太でオタでハイソで空疎な放言」でもしています(^^。poohさんのネタが途切れたら大変ですからね(^^。

ちなみに黒影さんについては、私は当初信頼できるお方だと思ってサイトをよく訪れていましたが、最近は減りました。別館の書き込みで、人をからかう様なコメントを見てからです。本館でも同じ態度ならばまあ、そうでもなかったんでしょうけど、ちょっと感心できないな、と思いました。
豊富な知識を身に着けた人は、気を緩めるとどうしても人を見下してしまいがちです。残念ですが、そのうち完全に見なくなることでしょう。
by TAKA (2008-02-06 01:14) 

pooh

> TAKAさん

Genさんには、もう少しだけ深く考えていただければ、と思います。それを発信していただければ、もっとありがたいかと。

> 人をからかう様なコメントを見てからです。

このあたり、難しいんですよ。どんなふうに表現すれば有効なのか、は一概には云えなくて、正解もまだなくて。場合によってはからかうようなコメントが有効かもしれないし、罵倒が有効かもしれない(もちろん逆かもしれない)。
必ずしも、見下している、ということではないんだと思います。ただ、そう云う印象を与えることが有効性を殺いでいる、と云うことはありえますし、そこはやっぱり考慮すべき部分なんでしょうけれど。
by pooh (2008-02-06 07:43) 

ゆんゆん探偵

>このあたり、難しいんですよ。どんなふうに表現すれば有効なのか、は一概には云えなくて、正解もまだなくて。場合によってはからかうようなコメントが有効かもしれないし、罵倒が有効かもしれない(もちろん逆かもしれない)。

類似の問題として、と学会の人たちが確立した「トンデモを笑い飛ばす」と言う態度がありますね。あれ、特に生真面目な人が「真剣な人間相手に笑うとは何事だ」って怒ることが多いんです。

でも、あの「笑い飛ばす」という態度で救われた人ってすごく多いと思います。トンデモという概念が発案された当時、ニセ科学と言うものの存在は今ほど一般的な物として認知されていませんでした。巷にあふれるトンデモな言説に触れて、そんなわけはないと思いつつ、微妙な不安を抱いてる人は多かったと思うんです。

それを「ばかばかしい物は笑い飛ばしたってかまわないんだ」と言う当たり前の事を再認識させてくれた「トンデモ概念」の功績は大きいです。笑いの異化効果は強力ですから。

ニセ科学に対峙するにあたってどんな態度を取るべきかと一概に言うのは難しいというお話。
by ゆんゆん探偵 (2008-02-06 10:48) 

pooh

> ゆんゆん探偵さん

もうひとつぼくなんかの現実から云うと、批判者の資質の問題、と云うのもあります。そのひとがどんな手法を使ってアプローチするのが、もっとも実効性の高い結果に結びつくのか、みたいな。

この辺りぼくなんかも多少計算している、と云うよりむしろできる方法しか取れない、みたいな部分なんですけれど。ユーモアが上手なひとは、上手にユーモアを武器にしてほしいと思いますし。
by pooh (2008-02-06 22:13) 

TAKA

本人相手に正面から笑い飛ばしてくれれば、見ている側もすっきりするのです。本人当てでは無く、他の人との会話上で槍玉に挙げているのを見ると、
「本館とは随分態度が違う。今まで冷静に批判していた様に見えていたけど、本当は優越感に浸りたいだけだったのでは。」
と疑念が出てしまうのです。もちろんそれは、黒影さんの本意では無いと思います。それだけに、残念です。

そういう意味では、すぐに本音で語る黒猫亭さんの方が、まだ安心して見れます(^^。

ちなみに私は切れ芸の人も、好きです(^^。(たとえば、JosephYoikoさん、ながぴいさん、こなみさん。他にも居たかな?)poohさんは静かに怒るとこが良いですね(^^。
by TAKA (2008-02-07 20:49) 

pooh

> TAKAさん

でも、正面切って笑われるのもひとによっては随分堪えるみたいですよ。笑いの力と効用は大きい、と云うことは知っていながらも、ちょっとぼくも及び腰になってしまう部分があります。

ちなみにぼくの場合、怒り方が陰湿なんです(^^;。
その辺りネガティブにイタリア人的だと思います。
by pooh (2008-02-07 22:53) 

apj

 「ニセ科学」かどうかの判定基準は変える必要が無いとしても、「批判のあり方(態度等)」や、「批判批判への対応」については、対象によって変えても良いのではないかと思ったので、
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7937
を書きました。
 資料のつもりで引用部分が多いですが、議論は最後の方に少し書いています。
by apj (2008-02-11 00:46) 

pooh

> apjさん

トラックバックを下さいな。これからでも。
若干ながらアクセスをお渡しできるはず。
by pooh (2008-02-11 07:07) 

pooh

あ。そうか。うちへの言及がないからトラックバックを蹴っちゃったのかな。
失礼しました。
by pooh (2008-02-11 10:59) 

pooh

Genさんの新しいエントリを読んだのだけれど。

http://plaisir.genxx.com/?p=187

> 道徳的なスイッチが入ると、ある事態の改善策を冷静に練るよりも、<敵/味方>的な論法や思考に陥りやすい。たとえば、疑似科学批判を少しだけ批判した者が執拗に叩かれるのは、このような理由が存在しているからでもあるのだろう。

さすがにもう新しいエントリを上げて言及するだけの気力はない。

あちこちでしつこく謝罪を繰り返して、対話に応じる格好だけつけて、結局のところどうして自分の発言が取り沙汰されたのかすこしもまじめに考えてみることもせず適当に放言だけを繰り返す。とりあえず謝らせとけばいい、涙のひとつも流させればいい、みたいな安直な判断を下したどこぞの「アーティスト」を名乗る芸能人のスタッフと程度が変わらなかったってことか。
by pooh (2008-02-13 21:47) 

TAKA

と言う訳で、Genさんの文章を検証します。

>道徳的なスイッチが入ると、ある事態の改善策を冷静に練るよりも、<敵/味方>的な論法や思考に陥りやすい。

主観を優先すると、ご自身の主張を客観的に見れなくなります。今回Genさんは、ニセ科学批判者たちが「一枚岩では無い」という事に気づく機会を、逃してしまいました。

>たとえば、疑似科学批判を少しだけ批判した者が執拗に叩かれるのは、このような理由が存在しているからでもあるのだろう。

何故批判されているのかを再考すると、あらたな境地が開けるかも知れません。しかしGenさんは、それをするつもりは無いようです。いちいち調べるのも面倒だし、自尊心を傷つけられた様にも思えて納得できないのが、その理由なのでしょう。

どこからとも無く聞こえる自信に満ちた声。
「注意され、聞いてる振りして舌を出す。分岐の地図も、我は気にせず。」

「地元の人が何か言っている。案内板にも何か書いている。それでも私は、この道を選ぶ。私の過去の経験こそ、正しい登山の地図なのだから。」
またしても遠回りをする人が誕生してしまいました。残念な話です。
by TAKA (2008-02-13 23:51) 

pooh

> TAKAさん

いやまぁ、対話できているように思えても、これほど伝わっていないんですね。場合と、相手によっては。
by pooh (2008-02-14 07:39) 

dlit

もう一つの(はてなの)方にはっきりこういう意見の表明をされているので↓
http://d.hatena.ne.jp/amourix/20080213/1202871096

個人的には、まあ仕方無いのかな、と思ったというかむしろなんだか色々納得してしまいました。
by dlit (2008-02-14 16:01) 

亀@渋研X

ううむ。「頭を下げて叱責が通り過ぎるのを待つ小学生」だったのかあ。
まあ、その「熱意の非対称性」は世間のどこにでもあってね、だからウカツなタイミングと場所でウカツなことは言えないわけで、なんてことも言ったって始まらないのだろうなあ。

しかし、彼のような「なんでそんなに熱くなってるの?」という人たちが抱く違和感には注意しないと足下をすくわれますね、きっと。
by 亀@渋研X (2008-02-14 17:49) 

pooh

> dlitさん、亀@渋研Xさん

まぁ、仕方ないですよ。自分探し(笑)(ママ)なんだそうですから。

とりあえずぼくがここで、「人目のあるところで平然と『自分探し(笑)』を晒して、そこに熱意がないから何を云っても免責されるなんて思い込む心理」について考察したりして、そこにどんな適当なことを書いてあてこすろうが、この方は許容するんでしょうね。ぼくにとっては「緩い関心を持っている」程度のことだし、「趣味」のブログだし(まぁ実際に書くとしても、もっと適任の方はいらっしゃるような気もしますが)。

ってえかこんな程度のことで仰々しく「軋轢」なんて言葉を使うなよ、とか思います。軋轢を起こしたかったら、おいらがこんな生温い書き方をするわけないだろっての。
by pooh (2008-02-14 22:30) 

TAKA

最近もやもやしています(^^。(理由は「事象の地平線」の「博士持ち教員」のコメント欄参照なの)
>ちなみに私は切れ芸の人も、好きです(^^。(たとえば、JosephYoikoさん、「by TAKA (2008-02-07 20:49)」

ここの部分、撤回します。私の目は節穴でした。
気に食わない、という理由だけで切れるのは「芸」じゃないですね。怒っている理由を明確に述べず相手をただ罵倒するだけでは、読んでる方も「はぁ?」としか言いようが無いです。

これならまだorute氏の方がましです。orute氏は罵倒しながらも、自分の気持ちを素直に出していましたからね。(ただし論理は繋がっていなかった^^;)

切れ芸が成立するには、相手が乗ってくれるかどうかに掛かっています。空振りしている様子は哀れで見るに耐えないです。あさっての方向じゃなくせめて、「明日に向かって」撃ってほしいです。

ちなみにアマサイ氏のコメントは過去の卑下した私にそっくり。他人とは思えません。思わぬところで他山の石ゲット。(ポケットが重い^^)
by TAKA (2008-03-15 21:36) 

pooh

> TAKAさん

うぅむ。
この件については正直ぼくの関心外で、だからなにかしら介入するようなとば口もなくて、なんとなくはらはらしながら眺めていたんですけど。

どうもですね、ぼくは「芸風」を自認して標榜するのがあんまりいいことではないような気がしていて。どうもそのことが自分の言動を規定してしまうような気がするんですね。芸風による自縄自縛、と云うか。

ぼくみたいに余裕がなくて素でふるまうしかできない手合いと違って、JosephYoikoさんは自分のふるまいを自分で選択できる、知的な余裕みたいなものをお持ちだと思うんですよ。でも自分の芸風とか、なんと云うか身内意識みたいなものによって、ふるまいが不自由になってしまう、みたいな部分があるのかな、とか云うふうに見えるんですね。これはもったいない。

あと、アマサイさんのへりくだり方は、政治的な計算が見えてあんまり好感が持てません。2ちゃんねるのapjさん叩きのみなさんには大好評みたいですけど。「政治的に」勝ってもしかたないだろうに、とかぼくなんか思うんですけどね。
by pooh (2008-03-16 06:09) 

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