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「ものがたり」を選ぶこと [世間]

年末年始にまたがった一連の「一部の政治系ブロガーによる『水からの伝言』騒動」でいろいろと考えたことがあるのだけれど、リンクを貼って言及したりトラックバックを送ったりと云うことに対してはそのひとの所属する文化圏によっていろんな捉え方があるようなので、いくらか腰が引けていた。ただ、とりあえず「話題は他人事ではないけど立ち位置としては外側」の人間として、今回の騒動について少しだけ思ったことを書いておくことにする(コメント欄にお越しいただいた当事者の方のためにも)。ぼくは多分この騒動の当事者のみなさんとは違う文化圏に属しているので、あさっての方向からの見解になるのはご勘弁いただくとして。
今回大量にリリースされた「騒動」関連のエントリのなかで一番重要な視点を提示していると思ったのは、sivaprodさんの「共感」という「ものがたり」と云うエントリだった。

アウトサイダーなのでいきなり醒めたことを云ってしまうと、多分政治系ブログと云うのは、なんらかの実効を挙げることを目的としているんだろうな、と思う。そうするとまずは数が必要で。で、そのためには団結だの共闘だのはまぁ、重要な要素になってくるんだろうな、なんて理解する。そのことの是非はひとまず問わない。

でも、共闘するための「正しさ」はもちろん必要で。ただ、数を集める過程で「何が正しいのか」みたいなことを悠長に考えている余裕はないのかもしれない。

”リベラル系ブロガー”たちは、Bさんの「知」による指摘を「共感」という「ものがたり」で拒否したのではなかったか。

もちろんできるだけ多くのブロガーを糾合するためには、知的誠実さよりも「ものがたり」のほうがツールとして高性能で(政治に興味があるひとなら、ひとびとがどのように動かされてきたか、についての歴史は踏まえているだろうし)。
ただ、そのためには(たとえ方便でも)「ものがたり」は「真実」である必要がある、はず。少なくとも、糾合されるひとたちが信じることができる程度には。

だから多分、安易に「水からの伝言」にとびついたのはまずかったんだろうなぁ、と思う。そこにあるのは、あまりにもあからさまに「都合のいい真実」だから。それを「ものがたり」として選択することが、その選択の意図まで透かしてみせるほどに、あからさまな。

「水からの伝言」が提供する(信じることによってのみ成立する、誠実な思考を拒むことによってのみ成立する)「ものがたり」を採用したのは、この場合の目的を達成するためには適切ではなかった、と云うことだろう。ツールとしてニセ科学を選び、その選択の不適切さを糊塗せざるを得ない状況になったために、「誠実さ」を示す機会を逸したことが、ちょっとした「騒動」につながったのだと思う。
まず最初の段階でニセ科学を「ものがたり」として選んだこと(これはその時点で、「誠実に考える」ことを怠った結果だ)。そしてその「ものがたり」の選択によって、結果的に知的誠実さよりも目的を重んじる態度が表面化する結果となったこと。これらは不幸といえば不幸だし、本質があらわになることによって「本当の同志が誰なのか、その同志はどんな要素を軸に『共感』しているのか」と云うことがはっきりした、と云う点では(他人事としては)そう悪いことでもないのかも知れない。

こう云った辺り、例えば同じような視点で同じようなテーマを論じているひとたちとも日常的にきったはったを繰り返しているぼくなんかからすると、おそらくどうやってもほんとうには「共感」できない部分なんだろうなぁ、なんて思うけれど。


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黒猫亭

この辺、別エントリへのコメントでpoohさんが仰った「敵・味方という議論軸」と関係してくるのかな、と思います。明確な敵がいれば人間の集団は団結する。それは問題の在り方が「敵を打倒する」という単純明快な目的に収斂するからです。

オレは政治関連の言説においては「連帯共闘して敵を打倒する」式の立場には与しないことにしていて、それは政治の問題の多くは「悪人を排除すれば解決する問題」ではないと思うからです。誰かが不正を働いたことが直接原因で起こる政治問題というのはそんなになくて、政治的課題の多くは、どのような政策がどのように行われたのか、合理的に考えてどこがどのように失敗しているのか、それにはどのような解法が在り得るのか、そういうふうに考えるべき事柄であって、政治的不正というのはその過程で発生するヒューマンファクターに過ぎないと考えています。

その意味で、連帯・共闘を訴える政治的言説が単純でわかりやすい「悪人退治」の「ものがたり」に乗り、「敵・味方という議論軸」に囚われるのは大変危険なことで、政治的課題の解決を特定党派や特定政治家への責任追及や攻撃に求めて、そのような特定のヒューマンファクターに穢れの一切を乗せて祓え流してしまうことで足れりとする姿勢に繋がるんではないかと。

以前書いた政治関係のエントリーで、小泉改革の支配原理は「悪者退治の物語性」だと指摘したことがあるんですが、今現在小泉・竹中的な新自由主義を攻撃する側までが、小泉同様の「悪者退治の物語性」に乗って政敵打倒という単純な思考停止のスローガンを連呼することに、ブログの効用として何の意味があるのかと疑問に感じます。

そういう意味では、連帯・共闘路線を批判していた論者までが「敵・味方という議論軸」に囚われるという事態はまことに遺憾で、たとえば単純に新自由主義者を悪人として指弾するだけではなく、問題点を子細に検証し解法を探る言説を展開されていた論者まで、ブロガー同士のお附き合いという窮めて狭い問題性の次元において敵・味方的な第三者にとっては窮めてどうでも好い対立に積極参入する事態には暗澹たるものを感じます。

リンク先の方も同じようなことを仰っていますけど、政治的活動というのは社会に向けて影響力を行使することなんだから、その言説にはまず社会に対する責任がある。目に入る限りの仲間内やお附き合いの相手が対象なのではなく、社会全体に対する責任や誠意というのがいの一番に重視されるべきではないんですかね。

そのような観点においてのみ、最初に批判さるべきは水伝を採り上げながら仲間内の附き合いに配慮して適切な対応を誤ったブロガー氏であると思います。個人的な日記であろうが何だろうが、政治的な言論者に連帯・共闘を呼びかける以上、それは社会に対する影響力行使を前提とした言説なんですから、その連続上の言動にはまず真っ先に影響を及ぼそうとする対象である社会に対する責任が問われて然るべきでしょう。
by 黒猫亭 (2008-01-16 08:55) 

技術開発者

こんにちは、pooh さん。相変わらず遠い話を書いてしまいます。

>でも、共闘するための「正しさ」はもちろん必要で。ただ、数を集める過程で「何が正しいのか」みたいなことを悠長に考えている余裕はないのかもしれない。

悪徳商法批判者だった頃に、TVが悪徳商法を取り上げて「こうしてローンだけが残りました」と泣く被害者の姿で終わる様な取り上げ方に強く噛みついていました。それはそうですよね、こっちは毎日のように「このローンは払わなくてはならないのでしょうか?」「いいえ、割賦販売法には『抗弁権の接続』という事がきちんと書かれていますから支払わなくてもすみますよ」なんてやって居たわけですからね。

今でも、そんな番組の作り方はして欲しくないと思いながらも、悪徳商法への抑止力として、「ローンの支払いを拒絶して頑張っています」という終わり方よりも、「ローンだけが残りました」と泣く被害者で終わる方がインパクトが強くて、視聴者に「気を付けよう」と思ってもらいやすいことは分かる訳です。

なんとなく、関係しているようなしていない様な話ですけどね。
by 技術開発者 (2008-01-16 09:00) 

pooh

> 黒猫亭さん

おっしゃるニュアンスはよく分かります。
実際のところ(こちらをご覧いただいている、と云う前提で書きますが)ぼくは発端となったたんぽぽさんにも批判的ではあるんです。それは事後処理の部分で。ご本人が意図したことではないにしろ、あたかも先方が提示した感情論による「敵・味方という議論軸」に乗ったように見える言説を提示したのはマイナスです。瀬戸智子さんのように、議論を矮小化する方向を暗示してしまう。

で、「共闘路線を標榜する一連の政治ブロガー」の方についてなんですが、政治的な活動を行おうとする中心人物がそんなにナイーヴなはずはない(ナイーヴであってはまずい)と思うのは、ぼくが塩野七生を読み過ぎているせいでしょうか(^^;。

今回のことで、その「共闘」は客観的な政治的状況を背景にしているのではなく、「ひと」を中心とした一種呪術的なものであることが明らかになったのは、部分最適的な意味では(どちらの陣営にも)必ずしもネガティブなことだけではなかったかもしれません。
by pooh (2008-01-16 21:41) 

pooh

> 技術開発者さん

どうするのが有効なのか、と云う種類の議論は(いくつかの題材で)ここでもさせていただいて来たと思います。

ただ、ほとんどのニセ科学批判者は結果的にここまではevilでないやり方を選んできました。それがよかったのかどうかはもちろん分かりませんけれど、ある種の強靭さには繋がっている気がします。効率は低いでしょうけれど。
by pooh (2008-01-16 21:44) 

黒猫亭

>技術開発者さん

直接お話するのははじめてですよね、はじめまして。

オレとしては、ニセ科学批判の言説においては、過剰に合目的的な手法を採ってしまったら批判の意味が形骸化するとは思います。ニセ科学批判が睨む射程として、ニセ科学で儲ける輩を社会から排除出来ればそれで好いのかと言えばそうではなく、ニセ科学に騙されない程度のコモンセンスが社会に根付くような到達点が目指されているんですから、その過程でイッパンタイシューのお人好しに付け込んで操作するような方法論を採ったのでは意味がないと思います。

たとえば合目的的な言説というのは、イッパンタイシューの知的可能性や理性の力を懐疑して、情報操作やマインドコントロールも視野に入れつつ、みたいな話になるんでしょうけど、それではニセ科学で儲けたい勢力と科学的に開明された世の中を善しとする勢力の社会的闘争という次元に堕してしまいます。そうすると、ニセ科学批判批判のと或る方が提唱する「ニセ科学批判はイデオロギー」という言説に反論出来なくなってしまいますが、オレはニセ科学批判の一般的な動機というのは、社会を構成する不特定多数の人々の知性や理性の可能性に対する信頼だと思っています。
by 黒猫亭 (2008-01-16 23:12) 

黒猫亭

あ、すいません、なんかこれだと技術開発者さんがそういう手法を採るべきだと主張していたように見えますね。そういう意味のご意見ではないと勿論思っています。おそらく技術開発者さんが仰っているのは、反則に対してフェアプレーでしか応じられないタイガーマスクのジレンマみたいなモンだとは思うんですが、そこで不特定多数の善意の第三者までevilな方法論で操作しようとしたら、それはコイズミだよなぁ、タケナカだよなぁ、電通だよなぁ、そいつらと同じことをしたらオシマイだよなぁ、と思ったものですから。
by 黒猫亭 (2008-01-16 23:20) 

pooh

> 黒猫亭さん

いや、これは以前から議論のある部分なんですよ。
有効性は考えられるべき、重んじられるべきファクターなんです。個々にその方法を模索しながら、と云うのが、いまのところ結果的に選ばれている方法ではあるのですが、それはほんとうに「結果的に」と云うことに過ぎなくて。

ただ、ぼく(たち)にはきくちさん、apjさん、左巻さん、田崎さんと云うロールモデルがありますので。
by pooh (2008-01-16 23:39) 

黒猫亭

>poohさん

そうですか、そこは前提を共有していませんでした。言説の到達範囲と強度や深さというのは、たしかに有効性を尺度にして戦略や戦術で考えられねばならない部分ではありますね。そして、社会に対する働き掛け一般においては、なんというか、そこで躓くか、伸び悩むか、意義を失うかという微妙な分岐点だと思います。

TAKESANさんのところでも少し語りましたが、純粋な言説が現実的な社会への影響の具体に降りていく場面では、そこの手法面の部分がいちばん重要になってくるわけで、理念的な意義と実効のバランスというのは難しい課題ではあると思います。その意味では元々の主題である物語の持つ力というのは魅力的ではあるんですが、個人的には現実的な問題性において、語られる物語に注釈を加えられるような理性の在り方が、どのようにすれば在り得るのかということを考えたいです。

対話不能性から入っていくと、やはりどうしても物語の持つ力に絡め取られてしまいがちだと思うんですが、物語には物語固有のダイナミズムがあって現実性のレベルでは不合理だと思うので、その方向性には剰り希望はないと思うんですよ。そこで入り口を対話可能性の側に据えて、そこからの到達範囲を考えていくということになるのかな、というふうに漠然と考えているんですが、ちょっとわかりにくい言い方ですね、すいません。
by 黒猫亭 (2008-01-17 00:34) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

>>いや、これは以前から議論のある部分なんですよ。
>そうですか、そこは前提を共有していませんでした。

私とpoohさんが以前からゆっくり考えていたのは「ロジャースの採用者分布曲線」みたいなことです。
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/earlyadapter.html

ニセ科学批判という事の社会的普及を考えるときに、きくちさんやapjさんはイノベーターにあたり、私やpoohさんはアーリーアダプターの最もイノベーターに近い側に位置するかなと思います。

ロジャースの理論で重要な部分は「革新性という点ではイノベーターが一番高いが、極めて少数であるうえに価値観や感性が社会の平均から離れすぎており、全体に対する影響力はあまり大きくない。それに対してアーリーアダプターは社会全体の価値観からの乖離が小さく、そのイノベーションが価値適合的であるかどうかを判断し、新しい価値観や利用法を提示する役割を果たす存在となる。」の部分です。

 私はワープロの普及に関して「あっ、あの人ワープロで書いている、すごいな、でもあの人は専門が計算機だからね」と及び腰なのが「あっ、この人もワープロだ。この人はあまり計算機とか強くなかったはずなのに。自分も使えるのかな」となっていくなんて話をこさえたりしましたが、きくちさんやapjさんがやっているニセ科学批判が「大学で科学を教える特殊な人たちだから、ニセ科学批判をできる」という視点でみられる限り社会には影響を及ぼさないわけです。

なんていうか、アーリーアダプターへの普及やアーリーマジョリティーへの普及の段階では初期のイノベーターがこだわっているマニアックな部分がそぎ落とされる面はあるわけですね。
by 技術開発者 (2008-01-17 05:21) 

pooh

> 黒猫亭さん

あ、いや、踏まえていらっしゃらないのは当然のことで。
議論はどうしても縦に深まりがちなので、なにが「すでに語られている」のか、はその議論の場にいなかったひとには見えなくなってしまう。なので、「何度も語ること」の重要さをぼくは感じていますし、言葉はよくないですが「蒸し返し」的なことも大事だな、とも思っています。

「語り方」はどうしてもある程度「語られること」を規定してしまいます。ここはある程度語るスキルで回避できる部分ではあるのかもしれませんが、そう云うリスクがつねにあることは認識しておかなければなりません。おっしゃるようなバランスは意識しながら、いかにして有効に行動していくか(自分のなしうる行動でどのような方法がもっとも有効か)を考えながら、と云うのが、いまのところぼくのできる範囲だと思っています。
by pooh (2008-01-17 07:41) 

pooh

> 技術開発者さん

やはり、ぼくなんかはある意味「翻訳者」なんでしょうね。
by pooh (2008-01-17 07:42) 

技術開発者

こんにちは、 poohさん。

>やはり、ぼくなんかはある意味「翻訳者」なんでしょうね。

私はイノベーターに極めて近い位置にいるアーリーアダプターの「翻訳」こそがアーリーアダプター層の形成のキーポイントではないかと考える面があります。

少し私がネットの悪徳商法批判者だった頃に考えたことを書いてみますね。私は技術屋であり法律家でも法曹人でもありません。しかし、ネットで悪徳商法の啓発サイトが芽吹いた頃から悪徳商法にまつわる法律の説明などをしていました。その世界では「バッチ効果」などという言葉があります。被害を受けた消費者が悪徳商法業者に解約通知を送ってもまともに相手にされないけど、弁護士バッチを付けた弁護士が解約通知を送ると簡単に解決してしまったりするわけです。実はこのバッチ効果は被害者とアドバイザーの関係にも生じます。上に述べた「ローンを払わなくてはなりませんか」に対して弁護士なら「払う必要はありませんよ」で充分な信頼が得られるのに対して、どこの馬の骨かわからないネットの上の技術者が「必要はありませんよ」と言ったって、被害者の不安は解消しないのです。そのため私は、法律を示すだけでなく、官庁の通達を示したり、裁判になって勝った事例も示しながら、その上で、その法律ができた経緯やらその法律が意味している事をできるだけかみ砕いて書いてきたわけです。つまり「立場による信頼」を得られない部分を多くの情報の提示で補わざるを得なかったわけです。

ところが、こういう行動は思わぬ副産物を生みました。同じように被害者にアドバイスをし始める人を増やす効果があったわけです。私が書き続ける沢山のかみ砕いた情報は、ネットの上で「悪徳商法けしからんな、被害者はなんとかできると良いな」と思っていた人たちに「語るべき言葉」の提供と成っていた訳ですね。こうやって「悪徳商法レス屋」と言われる人たちが生まれてきたわけです。私が引退して消え去ってもその流れは続いているわけです。
by 技術開発者 (2008-01-17 08:32) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。連投で申し訳ないけど関係する話なので書いてみます。

東大の高橋さんという経営学の人が書いた「虚妄の成果主義」という本の中に「成果と報酬を直接結びつける事が良くない結果を生むのは、報酬に動機付けのインパクトが無いからではなく、むしろインパクトが強すぎる事から生じる。或るレベルを超えた強いインパクトは、短期的には効果をもたらすが、インパクトに対する麻痺を生じさせ、さらに強いインパクトでなければ動機付けの効果を生まなくなる。これが成果主義の多くが失敗する原因である」といった主旨のことが書かれています。

政治的発言でアレ、ニセ科学でアレ、これと同じ事は起こるのではないかと思ったりします。なんらかの主張があり、それを広めたい場合に、インパクトのある発言をしたくなるのは人情であるわけですが、いたずらにインパクトを求めるとその主張は短期的な効果を生むだけであり、すぐにインパクトの麻痺を引き起こして、より強いインパクトのある発言をしなくてはならなくなるわけです。現実にそれがいろんな所で起こっている様な気もします。

むしろ、インパクトが弱くても「じんわり」と納得を呼び、「じんわり」と人を動かす発言を大事にする事を考えるじきだろうと思ったりします。
by 技術開発者 (2008-01-17 09:05) 

pooh

> 技術開発者さん

あぁ、東芝ストーカー事件から続く、「教科書に載らない日本のインターネットの歴史」の一幕ですね。あの頃ぼくはなにも行動しない(と云うかコールセンター側の人間だったのでできない)いちファンでした。

できること、と云うのを考えます。
ぼくは無力です。思考能力も怪しいし、専門的な知識もないし、ひとびとを糾合して運動をかたちづくる能力にも欠けている(と云うかそんなことをできる魅力を大きく欠いている)。なら、自分にもできるかもしれない「伝える」ことをやっていこう、伝えるべきことを意義のある、強靭なものにしていこう、なんて思って今があります。

単にまぁ、劇薬的な意味で使える武器を持っていないだけだ、と云うことでもあるんですが。
by pooh (2008-01-17 22:00) 

黒猫亭

ここのお話がいちばん「コモンセンス」に近いのかな、という気がするんですが、何だかんだ言ってオレは人間の現実において「何が正しいのか」という問題に関しては「ご町内の物知りのご隠居に聞いてみよう」でも好いのかなと思うんです。また、それがたとえ「ちはやぶる」的な滑稽譚でも構わないと思うんですよ、カジュアルな知的好奇心において取得可能な情報の限界という意味で(笑)。

技術開発者さんの挙げられたリンクの基準にならえば、イノベーターは常識知の基準となる認識を整形した者、アーリーアダプターはその原理的な解釈を受け継ぎながら一般化のトバ口を開いた者とするなら、「ちはやぶる」のご隠居というのはアーリーマジョリティー程度の位置附けになるのかなと思います。こういうご近所の知識人というのは、決してイノベーターが切り開いた意味性の直接の継承者ではないが、けっこう役割としては大きいのかもしれません。
by 黒猫亭 (2008-01-19 18:45) 

pooh

> 黒猫亭さん

この「コモンセンスが大事」と云うスタンスに届くのにも、結構な試行錯誤とかなり大量の議論を経由してるんですよ(いや、ひとえにぼくの頭の血の巡りの程度に問題があったわけなんですが)。

広げる、と云うミッションがあるわけです。だったら、どうやったら広がるのか、なんてお話をしたりしていたんですね。順次広がるとすれば(そしてイノベーター理論でよく用いられる正規分布グラフに準拠するとすれば)アーリーマジョリティに理解を手渡せれば、これは万々歳、ってことです。
イノベーターを必死に追いかける必要はありますが。結構全力で。
by pooh (2008-01-19 19:30) 

黒猫亭

コモンセンスとロジャーズ曲線というお題を戴いてから少し考えているんですが、こういう文脈の中で自分の言説というのはどういうポジションに当たるのかな、と考えると、多分オレは剰りイノベーションに興味を持たない保守中道辺りに位置すると思います。

たとえばpoohさんが「この『コモンセンスが大事』と云うスタンスに届くのにも、結構な試行錯誤とかなり大量の議論を経由してるんですよ」と仰るとき、オレの感じ方だと少し奇異に感じるというのがそのヒントなのかもしれませんね。おそらくオレが疑似科学なりニセ科学なりの問題に興味を持つのは、それが「常識」の知的な部分に纏わる問題だから、というのが直接の動機なのではないかと思います。だから、これはオレの中では最初から「常識」の問題なんですね。

poohさんのお言葉に接した時、そのような議論を通過せずに最初から常識の問題として前提視していたのは安直だったのかな、と少し考えてみたんですが、全体の文脈を考えると、それは話が逆だったのかなと結論附けました。おそらくpoohさんたちの問題性の捉え方は常識に纏わる問題性というのではなく、知的な領域から常識に降りていくというプロセスだったのかな、と思うと、オレのように常識の知的な領域の問題性として捉えている人間の言説とは、そこで接点が生じたという経緯だったのかもしれませんね。

ブログという発話手段を持っていない頃から、ちょいちょい安井先生の環境講座とか天羽さんのサイトは読んでいたんですが、これはいずれ常識のレベルに降りてくる問題だろうという関心において考えていたというところですね。持続可能性の問題にせよニセ科学の問題にせよ企業倫理の問題にせよ政治の問題にせよ、いずれは生活者の常識のレベルに降りてくる問題で、専門家が生活者の識らないところで頑張っていれば済むという問題じゃないだろうな、という感じ方ですね。

ロジャーズの分布でいうと、イノベーターからアーリーアダプターまでの部分というのは、知的活動に専従している人間の領域で、アーリーマジョリティー以降からが所謂生活者の領域ということになるのかもしれません。で、多分生活者の領域以降が常識の範疇の問題としての性格を帯びてくるのかな、と。
by 黒猫亭 (2008-01-20 03:16) 

黒猫亭

まあこれをもっと平たく言うと、ちゃんとした大人ってどういう人をいうのかな、ちゃんと社会を担うというのはどういうふうに行動することなのかな、という問題性において社会的な事象一般を捉えているということなんですが(笑)、最初からそれを言っちゃうと議論抜きで結論が見えたような気になって話が終わってしまうので難しいところです。

ウチのほうで最初に「ニセ科学ではなく疑似科学を問題視している」というふうに言ったのは、そういう文脈の発言でして、やはりオレの主要な関心はニセ科学の欺瞞性や悪意性ではなく、ニセ科学に騙される人々の心性の在り方なんですね。そう考えるとニセ科学ではなく疑似科学一般の話になってくるわけで、TAKESANさんのところでも少しお話が出た「自然科学的な物の考え方」というのは、学究の間だけの問題ではなく将来的な「ちゃんとした大人」には最低限必要なんではないか、と考えているわけです。

そういう意味で、今回上げた記事のような反科学の情熱とも、生活者の言論の領域で戦う必要があるだろうという気がしてくるわけです。自然科学的な本当らしさの捉え方を一方で具えつつ、自然科学的方法論だけが絶対的な世界の見方ではないんだ、というのが一種健全な常識の到達点なのかな、と思いますので、「ニセ科学批判は自然科学を絶対視している」式の自然科学に対する怠惰な拒絶の身振りに対して許し難いものを感じるわけだし、公益的な観点を顧みない言論者の利己的で不誠実な姿勢が許せない。

「オレはオレの動機において個人の権利として異議申し立てを行いたい」という利己性は、垂れ流し日記をやっている罪のないブロガーとは違って公的発話として振る舞っているわけなんですから、途轍もなく不誠実な言説だと思うんですよ。
by 黒猫亭 (2008-01-20 03:17) 

pooh

> 黒猫亭さん

ぼくから見ると黒猫亭さんも「発話するもの」である以上アーリーアドプターの場所にいらっしゃると捉えられますけれど。

非常に個人的な話なんですけれど、ぼくは最初はニセ科学問題に対してまず菊池誠の言説として接しました。つまり、最初にぼくの前にあったのは、専門家の知見から見た問題点だったんですね。

でも、自分なりに考えているうちに、どうもそう云う話ではなさそうだ、と。で、そう云うときに自分なりに考え直すプロセスを辿らないとぼくは思考を進められないんですが、自分が漠然と把握している「そもそもなんかおかしいぞ世の中」的な部分との結構ストレートな合致に至って、結果自分の立ち位置と云うのが見えてくる、と云う流れを踏んでいます。いや、ふつうのひとなら最初から分かってるぞ、と云う話もあるんでしょうけど(^^;。

多分現時点でのぼくの着地点は、黒猫亭さんとかなり近いポジションにあるのかと感じます。
by pooh (2008-01-20 05:55) 

黒猫亭

>poohさん

まあ、たしかに公的に発話して「かくあるべし」論みたいなのをぶつことは、アーリーアダプター的な行動なのかもしれませんね。そうだとしても、生活者の常識の次元まで降りてこないと、発話のアクションを起こさないということは言えるかもしれません。

ニセ科学批判に限らず、イノベーターに当たる方々の発信に対するアンテナもそれほど感度が良いわけでもないですが、マジョリティの間で流布している一般的見解が本当に妥当なのか、という懐疑は常にあるので、その関心の延長上にイノベーター的な方々の仕事が引っ懸かってくるというイメージですね。

そういう意味では、どんな問題でもアマチュアとして接するというポジションではあるんですが、そのようなアマチュア的ポジションで可能な発話を探る自ブログに共通する手法を分析すれば、このエントリーの主題とも関係してくるんですが、「探偵という役割」を想定しているのかな、と解釈しています。あ、いきなりビックリさせてすいません、一応正気です(笑)。

元々ミステリ好きだったということもありますが、ブログを続けるうちにぼんやり気附いてきたのは、多分オレが各領域の問題性を切り取る方法というのは「ミステリ的物語化」なんだろうということです。そういう意味で、今回上げたエントリーみたいな記事を書くのがオレの役割なんだろうな、というふうに考えています。

ミステリ批評の分野では、ミステリという物語の問題性のプロセスとは「事件→調査(情報収集)→推理→真相開示→解決」という物語化によって、現実の事象を相手取るという方法論とされているようです。つまり、「事件」という問題性の切り取り方も虚構なら、「真相」や「解決」という概念も虚構だろう、しかしその種の物語化によって一連の状況の総体を人間の営みにおいて有用な形で情報パッケージ化可能である、そういう視座ですね。それはつまり、知的活動一般に共通する「設問→解答」的な普遍的な問題化の虚構のプロセスの有用性に根拠を持っているからですね。ただまあ、メタミステリ批評的な文脈では、こうしたミステリ的物語性(つまり「推理」や「真相」の虚構性)に対する懐疑を語るほうが多いようですが(笑)。

ミステリの名探偵は、たとえば人が密室状況で殺されたというような事象を「事件」と捉え、「解決」という到達点を想定して、それを成立させる「真相」という物語を構築する為の「推理」に必要な情報を「調査」する。この場合、たとえば「ニセ科学批判批判事件(笑)」みたいなミステリ的物語化を想定するなら、探偵という役割はアマチュアでも成立するんですね、調査の過程で必要な情報を収集すれば好いわけですから。

たとえば今回のエントリーを書いたのは、ニセ科学批判対ニセ科学批判批判という構図を想定した場合、後者の動機が読めないとう「謎」が存在するわけで、動機が読めない以上何を目的としたどのような根拠に基づく言説なのかが合理的に解釈出来ないというわけで、どうしても対症療法的な手当になってしまいます。この動機を解明して情報パッケージ化する「真相という物語化」は、ニセ科学批判批判という事象の総体を厳密に誤りなく記述する言説では在り得なくても、少なくともニセ科学批判がニセ科学批判批判に効果的且つ効率的に対処する為の姿勢決定の場面において有用な意見だろう。

オレのようなアマチュアが、各専門領域の問題性に対して「常識的な範囲の知力で可能な発話」によって貢献可能だとすれば、こういう物語化の方法論においてだろうな、という気がするわけです。
by 黒猫亭 (2008-01-21 02:56) 

pooh

> 黒猫亭さん

事象そのままと云うか、なまの現実と云うのはそのままでは理解できないじゃないですか。なので、なんらかの遠近のなかに位置づけないと呑み込めない。
遠近なので、その方法にはいろんなレイヤーがあるわけです。科学もそうだろうし、呪術もそうで。だから手法もいろいろあって、目的に応じて使い分けられたり。出すべき結果の水準もさまざまで。目的が手法を規定する、と云う部分ももちろんある。

で、わりと黒猫亭さんやぼくは、低い(地べたに近い)レイヤーでの遠近の設定をしようとしている、のかな。そう云うお話として理解しました。
by pooh (2008-01-21 07:48) 

pooh

なんかこの辺りの話、もう少しインサイダーに近いところからぼくと似た認識に至ったエントリを読んだので、ここからリンク。

http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080120

「政治ブログ」文化から云うと、トラックバックを送るべきなのかも。
by pooh (2008-01-21 22:21) 

TAKA

ここのコメント欄の一番最初の黒猫亭さんのコメントは、考えさせられました。(by 黒猫亭さん (2008-01-16 08:55)」)

実は最近、某森林ジャーナリストさんのブログで安全と環境に関連した記事を読んだ後、「上手く説明できない違和感」を、私は覚えました。そのお方は食品偽装について、騙した側の業者の見方だけを、強調している様に見えました。その後に続く木材関連の話の進め方も、今一納得できませんでした。
私は、今までそのお方の合理的で鋭いご意見に賛同していただけに、今回の論の進め方に戸惑いを感じました。私は森林ジャーナリストとは、「業者と消費者の意識のずれを指摘し、両者の距離を縮める役割を果たす立場である。」と、認識していました。私のこの認識は間違っていたのかと、しばらく悩んでいました。

しかしながら黒猫亭さんの先のコメントを読んだ今は、得心しました。「ブログでの発言は、その人なりの事情が反映している。今までの印象だけで、安易に判断しない。冷静なブログ主も、時には愚痴をこぼす時がある。その時、読者がブログ主の意を酌まずに迂闊な反応をすると、余分な時間を消費する可能性が出てくる。」

これからしばらくは、「一見しただけでは曲解に見えてしまう発言」をネットで見かけた場合には、「それに調子を合わせた、美辞麗句を並べただけの優等生的なお返事」をするようにします(^^。その方が私の時間を無駄に使わずに、済みそうだからです。ただし私がこの先、「論理的な思考」が出来る様に成った暁には、大真面目に議論をします。(例えば「目撃例によってはUFOは宇宙人の乗り物とは限らない。よって馬鹿話と切り捨てるのは早計である。」などです(^^。)

無名の立場で、尚且つ人気の少ないネットの隅で放言しているだけなら私も、「うん、そうそう。」との生返事で済ませられるんです。しかしながら人目の多い所での発言には、細心の注意が必要だと、改めて感じています。(と言う訳で無名の私は今、poohさんの所で大放言している次第です(^^。)
by TAKA (2008-01-25 21:18) 

pooh

> TAKAさん

ただ、発言においてぶれを感じさせてしまうことは、その発言の信憑性を致命的に毀損してしまう可能性があるので、極力避けたいことではあるんですよね。もちろんあらゆる発言にはそのひとなりのバイアスが存在しますし、そう云う意味ではすべて「政治的」ではあるのですが(ぼくの言説を含め)。
こちらもネットの片隅とはいえ、場合によってはのべ4桁のひとの目に触れることもありますから、TAKAさんもお気をつけあそばせ(^^;。まぁここくらいならそんなに気にすることはないですけど。
by pooh (2008-01-25 22:18) 

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