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善ではなく、愛のために (「黄金の羅針盤」プルマン) [ひと/本]

冬休み課題図書シリーズその2。

黄金の羅針盤〈上〉—ライラの冒険

黄金の羅針盤〈上〉—ライラの冒険

  • 作者: フィリップ プルマン
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/10
  • メディア: 文庫

これを読んだのはちょいと不純な動機で。「どうせ多分映画を見に行くんだろうから、その前に読んでおこう」みたいな。

これは、ロード・オブ・ザ・リング三部作を見に行ったときにちょっと思ったことなんだけれど。
ぼくがもし指輪物語のそれなりにマニアックな読者でなかったら、多分理解できずに違和感が残った部分がいくつもあっただろう、と思う。風早彦グワイヒアが単なるでかい鳥ではなくて、鷲と云う知性を持った一族の長であること(グワイヒアが使い魔的にガンダルフに使われたのではなく、人間などと同様に中つ国に住む1種族を率いるものとして力を貸した、と云うことを知っているのと知らないのとで、2度の登場シーンの意味合いは見る側からしてまったく異なる)。なぜガンダルフが復活できたのか、そこにどんな存在の力が働いているのか(これはシルマリルの物語まで読む必要があるのかも)。こうしたことが分からなくて、結果映画製作側が込めた想いを咀嚼しきれない、と云うことになったら、それはとてもくやしいことなので。

で、それとは別の角度で興味があったのは、この小説が起こしているちょっとしたスキャンダル(ハリー・ポッターでも似たような話はあるみたいだけど)。ただ、三部作のひとつめを読んだ時点では、まだそう云う部分はほとんど顔を出していない。

でまぁ、読み終わって感じたのが、このエントリの表題のようなことで。

この小説は第一部の時点ではぼくらの現実世界との関わりはまだほとんど出て来ていないので、まぁハイ・ファンタスィと云ってもいいと思う。だから、そこにある世界の現実や、そこで暮らすひとたちの社会、モラルなんて云うものはぼくらが日常触れているものと違っていて当たり前だし、そこがぼくたちの期待する部分でもある。ある種の暗黙の了解をべつのものに置き換えて、物語を語ることが可能になるからだ。

この異世界のイギリスでは、ひとは「善」や「正義」によって駆動されるのではない。彼らを動かすのは、さまざまな対象に対するさまざまなかたちでの「愛」だ。このことはぼくたちが無意識に約束事として認識している社会のありかた、と云うものを、考える対象として異化する力を持っている。それは小説として考えた場合にその「強靭さ」のようなものに寄与しているし、読書体験としてもある種の新鮮さをもたらす。
ファンタスィと云う文学形式が描けるのは、そして読者であるぼくたちがファンタスィに求めるのは、そう云うものだ。

ちなみに同時並行でこの冬休みの本当の個人的課題図書を読んでいたこともあったので、こう云う印象が強まった、と云う部分もあると思う。とりあえず前述のスキャンダルにまつわる部分、と云うのはまだ出て来ていないので、ぼつぼつと残りの2部も読んでいく予定。


タグ:書評
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