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ミスティフィカシオン [世間]

前のエントリのコメント欄でnewKamerさんと少しお話ししていたことなんだけど、ここでいわゆる「ビリーバー」のひとの言説に言及することはほとんどなくなっている。これは単純に有効性の判断で。
でも、例えばニセ科学を「信じるべき」と主張しているひとや、それを商売に絡めているひとに対しては、信じている・信じていないを問わず言及はやめていない。それは語るひとの個人的な信条、と云う水準を越えるものなので。例えばcocokara55さんの年に一度の本音トーク;緑家と他のお店の違いなどと云うエントリ。

詳細を取り上げて言及しようと思ったけど、なんと云うかいちいちつっこんでもきりがない気がするのでやめにする。と云うかやたらと忙しい師走の候みなさま如何お過ごしでしょうか、みたいな。なので感想を3点のみ。

  1. 権威ありげな科学や宗教の言葉を適当にパッチワークして、意味を恣意的にぼやかしてミスティフィカシオンを狙う、と云う点で、ニセ科学商売のみなさんと「ニセ科学批判」批判者のみなさんはとてもよく似ていらっしゃる(当たり前か)
  2. そもそも、なにを論じているのか読んでいる人間に理解できるように書いていないという点でも同上(理解されると「なにも論じていない」と云うのがあからさまになってまずいからだと思う)
  3. と云うかこれ、薬事法的にやばいんじゃないだろうか(ネット上の言説と薬事法については、ぼくもよく読ませていただいているYamadaさんの超有名ブログのWEB制作のスキルに薬事法と医師法の知識は必要ではないかという提案と云うエントリに詳しい)

最近、「ニセ科学を批判する動機」と云うのが時折話題にのぼる。でも、例えばぼくは大事な自分のおばあちゃんがこの店のヒーリングフードでごはんをつくってくれて、ぼくを健康にしてくれるエネルギーとやらを与えようとしてくれたりしたら、とても悲しい気分になる。まずはそう云う話だったりもするのだけど。


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TAKA

poohさんを始め、ニセ批判の皆様の活動は大変心強いです。
確かに身近な話ですね。私の実家にも、やたら値段の高い健康食品のD.Mが届きます。迷惑な話です。

紹介のエントリー読みました。
食品の説明にいきなり原子ですか。
原子の構造は太陽系に近いとか言ってますね。(まあ私もつい最近までそう思ってましたから仕方ないですが)
『電子は波動の状態』の文を見て、「理系の人?」と思ったら水伝の江本勝氏の「波動」でしたか。
自ら怪しい商品だと言ってるようなものです。

将来あのサイトが摘発されても、江本勝氏までは責任追及されないのでしょう。
せめてpoohさんが言及した事で、少しでも多くの人にこのいかがわしさが伝わればいいんですが。
お金の問題だけでなく、命にかかわる事ですからね。
やっぱりニセ科学批判は重要ですよ。
by TAKA (2007-12-21 02:59) 

pooh

> TAKAさん

お褒めいただいておいてこのようなことを云うのもなんなんですが、ぼくがニセ科学について触れるのは、「非専門家でも、コモンセンスに準拠することでここまでは判断可能だ」と云うサンプルケースだと思っています(その意味でぼくは実は自分を「ニセ科学批判者」として位置づけていません。固有の高度な知見による批判への貢献を、なんらしていないのですから)。

基本的なスタンスは、「ろくに科学が分からないうすらぼけのpoohでもここまで分かるのだから、少し考えれば誰でも分かるはず」と云うものです。その意味で、こころづよく思っていただくより、読んだ方に考えていただくための投げかけとして機能してもらったほうがうれしいかな、と思います(もちろんTAKAさんがこのあたりをご理解してくださっていない、とは思っていませんけど)。
by pooh (2007-12-21 07:50) 

TAKA

私の先のコメントはpoohさんの意図から外れていましたね。一人相撲でした。
応援したいという気持ちが強すぎました。
「批判されること」を読んだ直後だったのが原因です。失礼しました。

>「ろくに科学が分からないうすらぼけのpoohでもここまで分かるのだから、少し考えれば誰でも分かるはず」

ご謙遜でも、少し気が楽になります。
実はいままで敷居が高いと感じていたのです。
雑音と捉えられるのを恐れていました。
今後は気にせずに、気になる事には積極的に書き込みます。
ご指摘、ありがとうございました。
by TAKA (2007-12-21 21:09) 

pooh

> TAKAさん

いや、これでも辛いときは辛いんですよ。お気遣い、身にしみます。
ただ、「科学者でもないのにニセ科学について言及する」と云う意味合いは、そう云うところにあると思っている、と云うことでした。

ここは敷居は高くないと思いますよ。
ただ、意図を同じくする人間同士でも論戦がふつうに起きるので、なんかちょっとおっかないかもしれませんね。ぼくの気が短いのも影響してるかも。反省。
by pooh (2007-12-21 22:11) 

TAKA

>意図を同じくする人間同士でも論戦がふつうに起きるので、なんかちょっとおっかないかもしれませんね。

迫力ありますね。過去の記事で長く延びたコメント欄がありますが、その多くは議論が白熱していました。一気に読んでしまいました。
あの荒波に私が飛び込むとどうなるのかな。とりあえず浅瀬から入ろうと思います。
by TAKA (2007-12-21 22:58) 

newKamer

 エントリの方じゃなくて、コメントの方の話になってしまうのですが、私は非専門家だからこそできる、そしてやらなければいけないこともあると思っています。
 もっといえば、ニセ科学批判の先頭で、実際にビリーバーと対峙するのは、非専門家であるべきかもしれないとも思ったりしているところです。まだまだ考えは浅いのでかなり暫定的な意見ですけれども。
by newKamer (2007-12-21 23:11) 

TAKA

専門家は「分かりやすく話すのが苦手」という印象です。
話言葉の先輩の方が身近に感じます。
本音で語れる分、非専門家の方が話が早く進むかも知れませんね。
by TAKA (2007-12-22 00:25) 

pooh

> TAKAさん

ただ、非専門家による批判は、意義がないわけではありませんがやはり限界があって。専門家と云うのは、社会的分業のなかで一定の役割を担当する、その面に長けたひと、と云うことですから。例えばニセ科学は第一義的にはやはり自然科学の問題ですので、非専門家がその部分を突き詰めて考えるのには限度がある、と思います。

ところで、ぼくはきくちさんやapjさんなんかの言葉はとても分かりやすいと感じますよ。
by pooh (2007-12-22 05:28) 

pooh

> newKamerさん

基本的に同感です。ただ、(自分のことだけではなくて一般的に敷衍するべきではないのかも知れませんが)当然ながら原理的に非専門家の議論は専門家の議論に比べて精度で劣るわけで。
ただし、つねにいかなる場でも高い精度が最優先にされるべき、と云うことでもなくて。視座やスコープの相違によって、補える部分は少なからずあると思うんです。
また、おっしゃるように、フロントラインに立つのはひとりひとりの非専門家なのかな、と思ったりもします。そのためには、科学的思考、と云うツールをみんなが使えるものだ、と云うことを理解することがたぶん大事なんですよね。

この辺りの専門家・非専門家の議論については、以前こちらのエントリ絡みであらきけいすけさんの見解に触れた際に少し考えた部分でもあります。

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-09-10

ちょっとこのときに、「非専門家の担うべき、担いうる役割はなんなのか」と云うことを考えざるを得なかったりしました。
by pooh (2007-12-22 05:39) 

TAKA

>きくちさんやapjさんなんかの言葉はとても分かりやすい

確かに。あのスタイルは私の大学先生像を完全に打ち砕きました。
きくちさんの言葉は「電気ショック」、apjさんは「十万ボルト」という感じ。

専門家と非専門家が相互に補えば、さらに綿密な批判が出来そう。
情報がより多くの人に広がり、考えるきっかけが増えますな。
by TAKA (2007-12-22 21:59) 

pooh

> TAKAさん

> 専門家と非専門家が相互に補えば、さらに綿密な批判が出来そう。

まさにそう思います。綿密、と云うか、より「日常に応用可能な」批判ですよね。
ただ、それを行っていくためには専門性はともかく言説の水準としてああ云う方々と伍していくくらいのものをおこなっていくべき、なので、けっこう低くないハードルだとは感じています。
by pooh (2007-12-23 06:05) 

Jack

再び書き込み失礼します。

先日、ちょっとpoohさんが触れられているニセ科学批判の動機
なんていうのをたまたま書いたので、良かったら読んでいただきたい
と思います。拙い文章ですが一応まとめ的な意味を持たせようとも
しています。
by Jack (2007-12-24 20:35) 

pooh

> Jackさん

読みました。
思考にあたっての誠実さを感じ取れる(とか云うとなんだか偉そうですが)意義のあるエントリだと感じました。

実際のところ、ニセ科学批判を行う人間それぞれにとって、現時点ではその動機はそれぞれなんです。ただ、言説を重ね、それぞれについての意義のようなものを突き詰めていった結果、重なる部分も生じて来ています。互いの議論で、互いの思考を強めていくような経験も、現在は重なりつつある状況です。

コメント欄に早速、「『ニセ科学批判』批判者」が登場していますね(seesaaはIPがとれるんでしたっけ? だとすれば、複数ハンドルの卑怯者の捕捉は可能でしょう)。ぼくは最初からJackさんの怜悧さには信頼を置いているので、あまり心配はしていませんが。
by pooh (2007-12-24 22:32) 

apj

 そのニセ科学批判に関連し、先日、1件提訴を行いました。本人訴訟です。
 勿論、私は科学について専門家の末席に名を連ねていても、法律については自学自習中のいち素人に過ぎません。それでも、例えば
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/action/119849194645.html
に書いたように、提訴の背景やら意義を考え、説明も試みています。この先、プロの裁判官やら書記官の前で、専門ではない法律の枠組みの中で立証活動を行わないといけないし、相手がプロである弁護士を代理人にしてきても、きっちり争わないといけない。
 自分がこんな状況ですので、科学の非専門家の方に向かって、「科学の専門家でないのだからニセ科学批判についてああしろこうするな」などとは、とても言える立場ではないのですよ^^;)。

 自分で勉強もしつつ、他人にも教わりながら、少しずつ前に進むしかないんですよ、多分。
by apj (2007-12-25 00:34) 

Jack

poohさん、

読んでいただきどうもありがとうございます。
まだ何かを発するというより、まず自ら理解しようと
している文章なので、もう少し頑張らないといけないなとは
思っています。

恐縮です(苦笑)
IPアドレスは確認できます。今のところは名前ごとに(おおまかには)
別IPなのでそこまで問題は無いのですが、常にある程度は
気を付けないといけませんよね。
by Jack (2007-12-25 06:30) 

pooh

> apjさん

> 自分で勉強もしつつ、他人にも教わりながら、少しずつ前に進むしかないんですよ、多分。

apjさんにこう云っていただけると、なんとなくこころづよいような(いや、それは間違ったこころづよさかも)。
by pooh (2007-12-25 07:44) 

pooh

> Jackさん

ぼく自身、学ぶ過程で発信することがなにか(または誰か)に益することがあればいいなぁ、と思ってエントリをあげています。ひどくゆっくりしたペースでしか、ぼく自身は進めないんですけどね。
by pooh (2007-12-25 07:50) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

kikulogの方に「原則と例外」という概念を説明したのですが、どうも説明が下手なのか上手く伝わらない気がします。練習を兼ねてこちらにもう少し書いてみますね。

世の中の善悪感というのは基本的に原則論です。「人を殺してはいけない」「人を傷つけてはいけない」「人の物を盗んではいけない」「人を騙してはいけない」。これらは全て原則論であるわけです。そして原則論の場合、「その原則は正しいか?」という検証は基本的にしないことになっています。なぜなら、人類の歴史の中で成立してきた概念であり、現代の皆さんが生きている社会そのものがこの原則の上に成り立っているからです。

しかし、これらの原則には「例外」があります。「人を殺す」という大きな罪に対してすら「正当防衛の場合は」といった例外があるわけですね。問題は、その例外は「例外を主張する者が、その個別の事例に対して原則の例外であることを立証して成り立つ」ということです。間違えて欲しくないのは、原則を主張するものが「これは例外では無い」と例外の不成立を立証する必要があるのではなく、あくまで「例外であると主張する者」が立証することで成り立つのであり、立証に失敗すれば原則に基づいて判断されるべき事だということです。

ニセ科学批判の根底には、この原則である「人を騙してはいけない」という原則があります。従って、ニセ科学を批判する者に「これは例外に当たるわけではない」と例外の不成立を立証する責任がある訳ではなく、あくまで「この場合は例外である」と例外を主張する者に個別例外立証の責任があるわけです。

この簡単な理屈が失われている事がなにより問題だろうと感じています。
by 技術開発者 (2007-12-25 08:17) 

apj

技術開発者さん

 原則と例外は、法律を学ぶ者として非常によくわかります。
私も今後、このことを含めて議論していきたいと思います。近々、これを参考にしたエントリを書くことを試みたいです。
by apj (2007-12-25 09:47) 

pooh

> 技術開発者さん、apjさん

原則なくして例外なし、なんですよね。原則を疑うことに意義なし、とはなりませんが、例外をいくら並べてもそれだけでは原則そのものに対する異議申し立てにはならない、と云うことだと思います(特に例外同士が論理的に矛盾する場合には)。
by pooh (2007-12-25 21:26) 

apj

ということで、
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=7215
を試作してみました。
by apj (2007-12-25 22:32) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

悪徳商法批判者だったころに電子消費者契約法の説明をしていて、「法律も危機に瀕しているな~」なんて考えたことがあります。社会の法的なリテラシーがあれば、こんな訳の分からない法律は不要であると感じたわけです。

どういうことかというと電子消費者契約法で、ワンクリック詐欺を防ごうと決めた部分が原則の例外の例外を定め、とはいえ濫用を防ぐためにさらにその例外まで定めていたからです。まず民法第95条に「錯誤無効」というのがあります。「錯誤の上の意思表示は無効」というのがこの場合の原則です。そしてこの第95条には例外を定めた「但し書き」があります。「重大な過失の上で錯誤した場合は無効にならない」これが例外です。本来、「あなたの錯誤は重大な過失ですから無効にはならない」と立証する責任はそれを主張する者に課せられ、その立証に成功しなければ原則に基づいて無効となるだけのことなんです。ところが、ワンクリック詐欺が流行ったときに多くの被害者が「自分がうっかりクリックしてしまったのだから」と錯誤無効を主張もしないし、相手に「例外立証」を求めもしなかったわけです。それでいて「ワンクリック詐欺が流行っている、なんとかしろ」という声が高まって電子消費者契約法ができたわけですが、そこには「電子消費者契約では民法第95条の但し書きを適用しない」と書かれたわけです。つまり原則の例外の例外を規定したわけですね。でも民法第95条の但し書きは法の濫用を避けるためのものですから、「適用しない」だけだと濫用が懸念されるわけです。そのため、さらに「契約意志についての確認作業がある場合(これから契約するかどうかの選択に入ることを確認するためのクリックなど)については『この限りではない』」とさらに例外を付け加えているという形なんです。

正直なところ、これは恐ろしくいびつな法律だと思いました。別に法律がいびつでもかまいはしないのですが、そのようないびつな法律が必要される現代の日本の法律理解のいびつさに背中が寒くなる思いをしたわけです。
by 技術開発者 (2007-12-26 04:27) 

pooh

> apjさん

一読しました。さすがのすっきりしたまとめ方だと感じました。

ただ、こうしたすっきりしたまとめは「すっきりした例外」が生じやすい部分もあって。改めて精読します。
by pooh (2007-12-26 07:39) 

pooh

> 技術開発者さん

ぼくは文系を自称しておきながら法律については不勉強だしあまり知識もないのですが、ほんのわずかでも触れたことがあれば、「その法律の文言よりも『なぜその法律があるか、が持つ意味』のほうが重要であること」「それによって運用も、その法律のスコープも変わってくること」がわかるはずなんですよね。そうすればどこかでだれかが主張していたような「おれが好きなことを云う権利は憲法で保障されている」みたいな言い回しはでてこないはずなんです。

この部分はつきつめると「ぼくたちはどんな社会に暮らしたいのか」と云う部分の意識に関わってくる話なんだろうな、と思います。
by pooh (2007-12-26 07:46) 

亀@渋研X

大学時代に法学部に在籍してて、ちょっとだけ法律をかじりました。でも、条文とかは、ほとんど全部忘れましたんで、全然専門知識はありませんので「非専門家」であることには違いありません。学部での訓練って、そんなもんてばそんなもんかもしれないけど(学科によっては違うのかしら)。
んで、技術開発者さんのお話を読んで、こりゃとことん「大きなお世話」な社会になりつつあるんだなあ、なんて思ってしまいました。

>ところが、ワンクリック詐欺が流行ったときに多くの被害者が「自分がうっかりクリックしてしまったのだから」と錯誤無効を主張もしないし、相手に「例外立証」を求めもしなかったわけです。それでいて「ワンクリック詐欺が流行っている、なんとかしろ」という声が高まって電子消費者契約法ができた

これ、もしも20年ほど前なら「そんな立法は不要だ」という意見が大勢を占めたんじゃないかと思えてならないんですよ。
実は、ネットだろうがなんだろうが、この程度までなら「ちゃんと考えて行動しなさい」ってことで片付いてたはずなんだけど。世間って、その程度には冷たくないとちゃんと機能しないというのが法律をこしらえる連中のアタマにあったはずなんですよね。

でも、たとえばネットをあまり使用しない人たちなんかは、こういうことも「世の中が複雑になりすぎたから」とか言っちゃうんじゃないかしらん。もちろん、上記の「たとえば」な人たちは、ぼくの脳内「わら人形」なのかもしれないけど、このわら人形、増えすぎちゃってて困ってます。
by 亀@渋研X (2007-12-26 11:35) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

ぼくも経済学士ですが分からんですけーざいがく。

結局、なんのために法律があるのか、と云うのがよく見えなくなってしまっているのかも。「そんなことどの法律に書いてある」的な議論って、なんかニセ科学に似たトートロジー的な香りがどこか漂います。
by pooh (2007-12-26 21:44) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

「自助・互助・公助」なんて言葉があります。悪徳商法に関して言うなら、「悪徳商法に引っかからないようにする」「悪徳商法に引っかかったら消センなどに相談する」というのは、まあ消センとい公助を利用するのではあるけど、行く気になる部分については自助ですね。それに対して「悪徳なんだろうか?誰に聞けば良いのだろう」なんて人に「それはTVでやっていた内職商法と同じだよ。消センに相談しなさいよ」なんて周りの人が勧めたりすることは互助の面がありますね。それに対して、「消センは相談に来る人だけでなくて、困っている人を自分で見つけ出して助けなさいよ」なんて話が出てきたら、それは「公助をもっと広げなさい」という話であるわけですね。

現代の日本を見ていると「互助なんてものは不要だ」と皆さんが思っておられる様に見えて仕方ないのです。自助と公助だけの社会をみなさんが望まれているので、「これは科学的に見えるけど科学的なものではありませんよ」なんて互助的な行為は「いらない」という反応がおきている気もします。
by 技術開発者 (2007-12-27 09:17) 

pooh

> 技術開発者さん

> 自助と公助だけの社会をみなさんが望まれているので、「これは科学的に見えるけど科学的なものではありませんよ」なんて互助的な行為は「いらない」という反応がおきている気もします。

これはどうでしょうか。一概に同意はしかねますが。
ただ、「互助なんて不要だ」と思っている種類のひとが、いろんなことを決める場所にいる状況にある気もします。
by pooh (2007-12-27 21:55) 

apj

ネット上のあちこちで実現している一種の集合知というのは、互助そのものではないかと思うが。
by apj (2007-12-28 00:28) 

技術開発者

こんにちは、 poohさん、apj さん。

>これはどうでしょうか。一概に同意はしかねますが。

私自身「同意はしかねる」のですよ(笑)。ただ、最近、妙に皮肉屋的になることがありましてね。「なんか世の中ひどくなったね」て言われると、「そうね、皆さんの望んだとおりになりましたね」なんて返して、反発をかったりするんですね、「誰が望むものか」とね。でもね、現実というのは厳しいもので、ある予想が立つ行為を行うならその予想の結果は「望んだこと」と捉えられても仕方ない面があるんです。「どういう社会に住みたいか」を考え、そのためには「自分は何をしなければならないか」を考えて、社会がその方向に近づくためのわずかな労力を惜しまないという事から「逃げる」なら、その労を惜しんだ結果の社会は「望んだもの」といわれても仕方ないのじゃないかな。

>ネット上のあちこちで実現している一種の集合知というのは、互助そのものではないかと思うが。

悪マニなんかは、まさに「互助」の集合知ですよね。あそこの開設者が京都府警に踏み込まれて事情聴取されて「お前らがやることじゃない」みたいに言われたとかいったことというのが、まさに「互助は不要」という世の中の雰囲気を表している気もするのですよ。
by 技術開発者 (2007-12-28 04:47) 

pooh

> apjさん、技術開発者さん

あぁ、確かに。ネットの上ではわりとふつうに互助が成立しますよね。これ昔は、そもそもTCP/IPが互助を原則としているので、仕組み的にそう云うものを生み出しやすいのかなとか考えて納得していたんですけど、よく考えると最近のユーザはTCP/IPの存在自体ご存じない方も多いし。なぜだろう。

なんか、「どう云う社会に住みたいか」と云うことをあまり考えていないひとが増えているのかも。とすればこれは、技術開発者さんのときおり言及されるコミュニティの問題につながってくるのか。
by pooh (2007-12-28 06:19) 

PseuDoctor

こんばんは。

>なんか、「どう云う社会に住みたいか」と云うことをあまり考えていないひとが増えているのかも。
ああ、そうかもしれませんね。
私がメインに主張したい事の一つに「もっと想像力を鍛えましょう」というのがあります。「想像力」というと誤解されがちですが「想いを馳せる」とでも言えば良いのでしょうか。そういう部分が不足して「今現在自分の目に見えている部分にしか考えが及ばない」という傾向があるように思います。最初は気付かなかったのですが、確かにこれは技術開発者さんがよく仰っている事とも共通する部分があるようです。例えば、
・自分の目に見えない場所で社会の仕組みを維持している人達の営みに「想いを馳せる」。
・この社会構造や学問体系を作り上げるのに先人がどれほど努力してきたかに「想いを馳せる」。また、現在我々が行っている事は歴史上の過ちの繰り返しではないかという点に「想いを馳せる」。
・現在の我々の選択の結果がどういう未来に結び付くかに「想いを馳せる」
一応「現在」「過去」「未来」に対比させてみましたが、更には時間軸だけではなく空間の広がりも考慮すべきでしょう。

で、これがニセ科学やオカルトの流行にも繋がってるのかも、と思う節もあります。例えば、宇宙人と聞くと「グレイタイプのヒューマノイド」しか連想できない人に遭ったりすると「何たる想像力の貧困か」と思う訳です。もっと言えば、そもそも「オカルト」とは「隠されたもの」の事ですから、そういうものに興味がある筈の人が「見えない部分に想いを馳せる事が出来ない」というのは、何だかなあ、という気になります。
by PseuDoctor (2007-12-29 00:18) 

OSATO

こんばんは。
PseuDoctorさんの「想像力」という言葉に反応してしまいました。これから述べる事は今までの議論とは大きく外れると思いますがお許し下さい。

私は少し前、教育現場での「酒井式」という図工の方法(私はこれを「ニセ美術」と思っております)を批判してました。そこの議論で浮かび上がってきた事が「想像力」をどう培うのかという事でした。
そしてその議論の中で、学力という、点数だけで判断されてしまう社会に対する疑問が湧き上がりました。

理科教育の重要性を訴える意見はようやくこの頃認められてきた感がありますが、美術教育に関してはまだまだ理解が足りないという現状です。
理科と美術、まるで関係ない項目の様に思えますが、実はこれらの根底に共通しているのが「想像力」です。
その目に見えない、点数化されない部分についての社会の理解があまりにもなさすぎるという事を私は憂いています。

PseuDoctorさんの仰る「もっと想像力を鍛えましょう」という事については全面的に支持します。「想いを馳せる」事は、目の前の事ばかり見ていただけでは出来ません。その先、その裏側を見れるような訓練(ここが教育の最も重要な部分)が必要かと思います。
私には、どうも社会全体が、目に見える目先の結果ばかりを求めるような風潮になってしまった、その結果の「ひずみ」が今噴出しているという様に思えてならないのです。

ちょうど教育問題を扱っていたNHKの番組を見ながら、現在の社会の風潮とニセ科学の蔓延とが妙に符合してしまう不気味さを感じております。
by OSATO (2007-12-29 01:43) 

pooh

> PseuDoctorさん

「想像力の貧困」と云うのは、あるんだと思います。と云うか、おっしゃるように「思いを馳せる」ことがない。それはたぶん、「分かりやすく」ないんです。

で、ひょっとするとそれは「価値観の貧困」なのかも。
と云うような話を随分前から実は「ロハス」に絡めて書きたいなぁ、なんて思ったりしていますが。
by pooh (2007-12-29 06:19) 

pooh

> OSATOさん

これ、やっぱりそう云うところを評価するのが大変だからでしょう。
点数だったり金額だったり、誰がみても見間違いのないような価値は、その意味を個々人が咀嚼する必要がないわけですもん。「分かりやすい」。
by pooh (2007-12-29 06:21) 

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