臭えぞ [世間]
TAKESANさんのところのその印象はと云うエントリ経由で極東ブログ[書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)と云うエントリを読んだ。
で、感じたことをちょっとだけ。
なんだかよくわからないのだが、やけくそで雑駁な印象を言うと、偽科学を問題にしている人って、なんか偽科学と同じような臭気を放つという点でそれほど変わらないような気がする。
ぼくもいいかげんな印象だけで云わせてもらうと、芹沢さんの例のリストに端を発したfinalventさんのニセ科学関連についての発言スタンスは、以前ここでも触れたニセ科学をネタにメタな思考実験めいたものを楽しく繰り広げることで結果的にひとを小馬鹿にしていることに気付かなかったひとや、自分の動機が保身にあることを自分で直視できなくて結果としてやっぱりひとを小馬鹿にする態度をとる道を選んだひとなんかと同様の臭気を放
っているような気がする
。
今日は。
続きのエントリーが上がっていたので読んでみましたが、ありゃ、という感じでした。
やはり、(先日より書いているように)「昨今ネットで一部流行の偽科学バッシング」(前のエントリーから引用)に関する議論を、実は、ちゃんと押さえていらっしゃらないのではないかな、と。
それ以前に、かなり文意の読み取りにくいテキストだったりする訳ですが…。
by TAKESAN (2007-12-09 12:07)
> TAKESANさん
いやいや。あれくらいが限度でしょう。権威も守らなくては名折れでしょうし。とりあえず、この話題については現状の把握についての程度をちょいと理解しました。守備範囲の広い方だから、細かいところについては一般論で代用させようとか考えるのは仕方がない。
それはそれで臭かったりはしますけど、まぁ立ち位置の違いと云うことで。
> それ以前に、かなり文意の読み取りにくいテキストだったりする訳ですが…。
芸風、と云う便利な言葉があります。
by pooh (2007-12-09 21:32)
こんばんは。とりあえず文庫化情報には感謝しているNo.4560です。(さっき買ってきたので、まだ未読です。)
で、finalventさんの2つのエントリに関して、僕もいいかげんな印象だけで書かせてもらいます。
おそらくこの本はいくら良書であったとしても、現在のfinalventさんの色んな事柄(そのいくつかはエントリにも出てきてますね)に対する「不安感」を払拭するだけの内容ではなかった、ということかなぁ。
いや、良書だからこそ、finalventさんが見ておられる現在のニセ科学批判に苛立ちを覚えておられるのかな。
どちらも同じ「不安感」から来るものなんでしょうけど、より正確に書くと『現在よく見られる「いびつな不安感」に対しての「不安感」』とでもいうか。
ちょっとだけ「その2」の方から引用しますけど、
--
関係のあるのは、社会の関わりのなかで偽科学がなにをしているかだ。
--
(finalventさんのではなく、一般的な)「不安感」には当たり前ながら、グラデーションや基準の個人差があるし、また、その「不安感」に対する向き合い方にも色々ありますよね。
水伝等に関する批判は、特に後者――「不安感」への向き合い方――に対する活動である面も(少なくとも個人的には)大きいことをfinalventさんには理解していただきたいです。
だって、finalventさんが書いておられる「偽科学への健全な批判性」を数多くの人に理解してもらうためには、
まず、「いびつな不安感」ではなくて、変な書き方ですが「健全な不安感」を持ってもらわないといけないですし、
そのためには(のっぴきならない理由がないかぎりは)「どうでもいいバカネタ」などで、簡単に「不安感」を解消されてもらっては困りますから。
by No.4560 (2007-12-12 18:48)
> No.4560さん
単純にですね。
ぼくたちがいつも逡巡しながらあれこれ思い悩んで積み重ねている議論が、「臭気を放つ」なんて云われなきゃいけないようなことなのかな、ってことなんですよ。足りないものがある、って云うのなら教えてよ、ちゃんと具体的に、って話です。
> 水伝等に関する批判は、特に後者――「不安感」への向き合い方――に対する活動である面も(少なくとも個人的には)大きいことをfinalventさんには理解していただきたいです。
まぁ、いただきたいですけど、期待すると辛い目に遭いそう。
by pooh (2007-12-12 21:22)
> poohさん
最近全く批判活動をしていない僕が書くのもどうかと思うんですが、イメージ戦略、というか、営業努力が足りないのかなぁ、と思ったりもしています。
あくまで僕ら(と今の僕が書いても良いのかなぁ)は、「ニセ科学について興味を持ってもらいたい側」なので、一見さんお断りのイメージや、実際に一見さんお断りだとちょっとまずいように思います。
(一見さんにこそ興味を持ってもらい、きちんと理解してもらいたいのですけど、一見さんの受け入れに関しては(大部分の)ニセ科学側の方が圧倒的に有利。)
最近のkikulogも、一見さんにどう思われているのか、ちょっと気になったりもいますし。
なら具体的にどうしろ?と言われるとちょっと現段階では返答に困るんですが…、最近それなりには考えているつもりなので、何らかの形にはします。
finalventさんには、『わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか』読後に何か書いてトラバを送るかもしれません。(ROMの何人かに伝われば、それでも十分。)
by No.4560 (2007-12-12 22:48)
読み返していて思ったのですけど、場合によっては上で書いた「営業努力」がニセ科学と同様の「臭気」を放つのかもしれません。
(より正確に書いて)興味を持ってもらうための「営業努力」においては、ニセ科学とニセ科学批判は同じ土俵ですし。(向こうはルール違反可能ですが。)
無論、finalventさんの書いた「臭気」の意味は知りませんし、おそらく上で書いた意味ではないと思います。
後、ここに書き込んでおられる方は皆さん守っておられますが、「(礼儀)作法」についても、若干気になっています。個人的には特にmixi内で。
正直、僕も人のことは言えませんが。
by No.4560 (2007-12-12 23:02)
> No.4560さん
実はおっしゃるようなことはずっと気にはなっているのです。
ただ、議論は重ねていくと深まりますし、そうするとすでに議論されたことは前提としてバックナンバー処理されてしまう。そうなると、今北さんたちには確かに敷居が上がってしまいます。
そのあたりどうなのかな、とは前から思っています。
でも、個人的にできるのは、例えばここのコメント欄にそれまでの議論を踏まえていないような方が来られた場合でも、そこで「もうこの話には首を突っ込みたくない」みたいに思われないような応対をするとか、そう云った辺りが限界だったりもして。
ここはそれでもまだ、ぼくの神経が行き届くスケールではあると思うんですよ。kikulogくらいになると(きくちさんをもってしても)コントロールは難しいだろうな、とか思います。
どこでどうやってその辺りのバランスを取るのか、と云うことについては難しいです。とりあえずニセ科学をあげつらって悦に入っているひとたちに思うところはなくもないですが、そう云う意味では多分ここは以前からいちばんアグレッシブなスタンスを取っているので、云えた義理か、ってのもありますし。
できる範囲のことをする、と云うのが、自然にコモンセンスの醸成に繋がっていかないものか、なんて思ったりします。
by pooh (2007-12-12 23:44)
こんにちは。
やっぱり、finalventさんは影響力ありますね(^^;
poohさんの
>できる範囲のことをする、と云うのが、自然にコモンセンスの醸成に繋がっていかないものか、なんて思ったりします。
という点に関して、最近思うことがあるのですが、
例えば、批判派からは「ニセ科学批判」などと一緒くたにされてしまいますが、きくちさんとapjさんと技術開発者さんではニセ科学批判のために行っている具体的な活動(の範囲)はそれぞれ違うわけですよね。
そういう、「色々な人のできる範囲のこと」の積み重ねが、色々なところに存在するニセ科学(やその芽)に対抗するものとして機能するというのが重要なのではないか、と。
だから、finalventさんの記事にpoohさんの記事がトラックバックとしてリンクされているように、webのどこをふらついていても、ニセ科学の臭いがあるところ(の近く)にはそれに対するきちんとした批判が置いてある、という状況がなるべく広い範囲で実現しているというのがかなり重要なんじゃないのかな、と。これだと手段としては弱いんですかね…
その点で、もし「営業」が得意な方がしっかりしたニセ科学批判の営業をするのであれば、それは心強いのかも、とは思うのですが、そういうのが得意な方々(の一部)がいわゆるアルファブロガーと呼ばれる方々ですよね。うーむ。
長文失礼しました。
>No.4560さん
もしかしたらmixi同じところに出入りしてる可能性があるかも…です。
まあ僕は完全にROMなんですけど。
by dlit (2007-12-13 10:08)
こんにちは、皆さん。
前にどこかで書いたけど「痛い思いをしたくない教」なんてたとえ話を紹介しますね。
質問者:「将軍様をどう思いますか?」
一同:「我々の優れた指導者です」
質問者:「う~ん、政治体制に思想統制されているな~」
質問者:「痛い思いをしたいですか?」
一同:「そんなの嫌です」
質問者:「う~ん、『痛い思いをしたくない教』に思想統制されているな~」
なんてね。なんていうか、一つの話に対して多くの人の反応が揃うということのみに注目するなら、上の2つの場合の反応は同じように感じられるかも知れませんね。でも実は違うわけです。前者は、人間の本質的なバリエーションが失われて揃っているのに対して、後者はもともと人間の(というか痛覚のある動物の)本質的な一致点により揃っている訳ですね。
ニセ科学の蔓延とニセ科学批判に関しても似たような面はあるわけです。科学的でない事柄が科学的と思われて蔓延し、なんとなく皆が「科学的な事なのだから確かなのだろう」と思っていく「揃い」というのは、本来ある様々な懐疑性によるバリエーションが失われる事によって揃う現象ですが、「あれは科学的なものではありませんよ」という情報に接することで、かなり多くの人が「酷い話だ、腹が立つ」と反応が揃うのは、「自分は人に騙されることを好まない」という「痛い思い」と同じような性質の一致点により揃う訳です。
こういうバリエーションの喪失による揃いと本質的一致点による揃いの違いを見ずに「反応が揃う」ということに臭気を感じるなら、それは同じ臭気と見えることになるのではないかと思います。
by 技術開発者 (2007-12-13 10:44)
こんにちは、皆さん。上のたとえ話は「臭気」という事に反応しすぎて、少しピンボケだったかも知れませんね。
なんていうか、一国の政府が選挙の時に「やります」と言った事ができないと分かったときに「解決するとは言っていない」とか「努力目標として言いました」なんてのが正しいかという重大な話をしている時に、私なんかが「なんか、『消防署の方から来た人』に消火器を売りつけられたみたいだ」なんて卑近なたとえ話を挙げて、「人がそう受け取るように言ったのなら、そのものズバリを言わなくても言った人には責任がある」なんて説明責任の話をしたら、「大事な政治責任の話をしているのに、くだらない悪徳商法を叩く事で話がかすむ事が心配だ」と言われた様な感じを受けるわけです。つまり私の芸風の否定にもつながりそうです(笑)。
何を言いたいかというと、私なんかはマイナスイオンの流行とか、水伝が教育に取り入れられた問題を取り上げることで、バークなんかが取り上げている大きな虚偽の問題の根底にある社会のゆがみみたいなものを理解してほしいと思っている面があります。それは、きくちさんなんかも同じだろうと思います。言葉で言うなら「科学リテラシーの重要性」なんて事に成るのですけどね。科学リテラシーの低下とかその重要性に気が付いて貰うという目的に向けてなら、バークの取り上げた問題よりも、卑近な水伝なんかの方が分かって貰いやすいのではないかと思うのですけどね。
by 技術開発者 (2007-12-13 17:54)
> dlitさん
やっぱり、ぼくらはばらばらなわけです。「ニセ科学批判者一派」のようなものがあるわけではなくて。そこは重要だと思っています。各自違った視点から補強しあえるし、見解の相違する部分については議論によって問題把握をしていくことができる。
以前にも云いましたが、ぼくは対抗言論をウェブ上に「存在させておく」ことが、自分にできることだと思っています。泥臭いし、目障りだろうな、とも思っていますけれど。
by pooh (2007-12-13 22:05)
> 技術開発者さん
ぼくは一刀両断にしづらい、してはいけない問題について論じているんだって意識がありますし、これはある程度みなさんお持ちだと思うんですよ。そのなかで見解を(結構遠慮なく)ぶつけ合ってるので、そこで一致する部分と云うのがあった場合には、それは相当本質的なものだ、と思うんです。ただ、それが傍からみてどんなふうに見えるか、と云うのは別ではあるんですが。
そうした議論の中でどなたかが、その方の捉えた問題のスコープの中で、非常に蒸留度の高い見解を示されることがあります。ぼくが時折使う「マスターピース」と云う言い回しは、そういうものを指しています。で、これはもう「ある角度から見た」問題点とその評価が凝縮されているので、その角度で問題を議論するときには引用の対象になります(その意味で芹沢さんのリストは現時点でマスターピースとすべきではないと思いますし、亀@渋研Xさんの「基礎知識」もまだその過程にあるものだ、と認識しています。これは試みとしての価値を貶めるものではまったくありませんが)。
で、ぼくと技術開発者さんの問題認識の角度は結構近いと思っているんですが、マスターピースをつくれるだけのところには(ぼく自身が)まったく辿りついていない。これはその角度がとても複雑なものだからだ、と思うようにしています(^^;。
by pooh (2007-12-13 22:07)
コメントを読んでいて色々と考えていたんですが、文章が完成しそうにないので、差し当たり。
>ditさん
色々見て回っているんですけど、現在確実に見ているのは以前、kikulogで話題になった(具体名良いのかな?)「水は答えを知っている」コミュです。
僕自身は、一悶着した後、退会してしまいましたが。(^^;
陰謀論やホメオパシー関連は、一部の批判者の方々に対して口を挿みたくなる時もあるんですけど、
こういうのもやり方の一つなのかなぁ(有名な方が参加しておられることも多いですし)、と現在はROMで勉強中といった感じです。
by No.4560 (2007-12-13 23:21)
> No.4560さん
有効な批判の仕方、と云うのは考えますし、その意味で他の批判者の方の行動がネガティブに見える部分も出てきます。でもまぁぼくの場合自分自身のリソースも知れているので、それをどう使うのが有効なのか、とか考えるようにしようとしています。
この「しようとしています」と云う辺りの腰抜け感加減にポイントがあると思って下さい(^^;。
by pooh (2007-12-14 07:52)
話の流れのすごいところで(ついででも)言及してもらえたので、うれしくなってコメント。
ほんとにあの「ニセ科学用語の基礎知識」を、マスターピースに近いものにでも育っていけたらなあと念じています。
やっぱり、たとえば「ブログ丸ごとでひとつの言説」というのは、書籍か雑誌の連載にでもなればともかく、ことネットでは成立しにくいのだなあと改めて考えています。従来型のWebサイトのように構成を考えて作っていくのであれば、多少は違うかもしれませんが、ピンポイントで一部分だけ読まれることが多いのがWebだなあ、という程度の話ですが。なんぼリンクが貼ってあっても読まれなければその読者にはないも同然という。人のことは言えませんが。
それにしても、「遠くから見れば一緒」というのは至言だなあ、と思う今日この頃。「遠く」にもいろいろありますが。
by 亀@渋研X (2007-12-14 08:44)
> 亀@渋研Xさん
どんな議論が積み重ねられているのか、と云うのを伝えるのには、ブログと云うのは不向きなジャンルかも知れませんね。
でもキャッチフレーズ勝負、ひとこと勝負と云うのは割合紋切型的に不毛だったりもすると思います。悩ましい。
遠くから見れば一緒、と云うのはあるかも知れませんね。
仕方ないです。その程度のことしかできないのが、多分ぼくなんかの分相応なんです。
by pooh (2007-12-14 22:54)
こんばんは。
確かに、FAQとかマスターピースを置いておくのにブログは不向きかもしれません。少し前から、Wikiの方が向いているんじゃないかという気もしています。
うーん、ブログの管理は無理でも、無料のWikiを借りて、実際のコンテンツ作成には色々な方々の絶大な協力を頂ければ、私でも運営していけるかなあ、なんて事もちょっとだけ思ったり。
by PseuDoctor (2007-12-15 00:40)
> PseuDoctorさん
ブログも「届ける力」の強さ、と云うメリットはあるんですけどね。
by pooh (2007-12-15 08:03)
>poohさん
「ばらばらだ」ってことも、しつこいぐらいに主張しないとわかってもらえないのかもしれませんね。kikulogに定期的に出現するニセ科学を肯定する(特に、「そんなに向きになって否定しなくても…」とか言ったりする)人々を見てると、その認識が全く無いんじゃないかなあ、ということを良く感じます。
上で亀@渋研Xさんも触れているように、言説や議論のようなある程度まとまった形で捉えないとよく分からないものに対しても、web上の情報に対しては刹那的、部分的にアクセスする方が多いと思うので、そんな人たちの目にも少しでもニセ科学批判関係の情報が映る機会が増えるというのは重要だと思います。
>No.4560さん
おっと、そちらでしたか(^^;
僕はmixiでは最近はあまり水伝関係のところには出入りしてませんでした。むしろホメオバ、自然~系のところを巡ることが多いですかね。
mixiは批判派、懐疑派にもアグレッシブな方が結構いますよね。そのせいか、変に本筋と関係無いところで荒れたりすることもそこそこ見かけるような気がします。
まあ、といっても僕は議論に参加する勇気も知識も無いのですけれど。同じくROM修行中です。
by dlit (2007-12-15 08:25)
> dlitさん
いずれにせよ、スマートには行かないんですよ。多分。
by pooh (2007-12-15 08:42)
>いずれにせよ、スマートには行かない
それには全く同意(同感)です。
by dlit (2007-12-15 13:57)
こんばんは。
>ブログも「届ける力」の強さ、と云うメリットはあるんですけどね。
それは私も感じます。ブログでの議論にはダイナミズムと言うか、ライブ感があるので、メッセージ力は強いですよね。
ある程度議論が進んだからといって、結論だけを通常のHPに載せてしまうと、その「生きた」議論が「陳列物化」してしまう危険性は確かにあると思います。
by PseuDoctor (2007-12-16 22:59)
> PseuDoctorさん
最初の頃のエントリを読んでもらうと書いているのですけど、ここを設置した最初の頃の意図には、その辺りの検証、と云うのがあったりしたのです。それは今でも失われてはいない(いや、主眼は映っているのかもしれないですけど)。
「生きた議論」と「リファレンス」との兼ね合いをどう考えるのか、と云うのは、ニセ科学問題に留まるものではなく、今後の「ウェブと云うものの佇まい」と云ういろんな意味で大きなテーマに関わってくる話だと重います。
by pooh (2007-12-16 23:09)
こんばんは。
>最初の頃のエントリを読んでもらうと書いているのです
すみません、見つけられませんでしたorz
その代わりという訳でもないですが、最初の方を読んでいて見つけた記事にコメントさせてください。
by PseuDoctor (2007-12-18 23:43)
> PseuDoctorさん
ぼくもどこに書いたかは覚えていないのですが。
by pooh (2007-12-18 23:46)