SSブログ

ぼくたちのコモンセンス [世間]

りほさんの科学至上主義の気持ち悪さと云うエントリを読んだ。この方はマクロビオティックを実践する環境で育って、そのことを主題にブログを運営されている。

しかし、「科学的に正しくないからダメ」というのは、なんだか排他的な気がして、嫌な気がするのです。


それは、「マクロビオティックは真実だ」と言って、やっていない人を見下すのと、意識のレベルでは、全く同じことです。

科学は有用だ。それは間違いない。それは単に「実用性が高い」と云うだけの話じゃなくて、人間が「考えること」を積み重ねるために見いだした、うまく機能する方法のひとつであって。

それでも、それがどれだけ優れていても、人間からは呪術的な発想は取り去れないし、取り去るべきだとも思わない。使う場所と使い方を間違えるべきではない、と云うだけの話で、それは科学でも呪術でも同じことだ。

科学的に明らかに間違っているのに、「科学的に効果があると証明された」というフリをして商品を売る、人を騙して金儲けをする商業主義的な疑似科学は、好きではありません。


だけど、科学でわかっていないこともあるだろうし、科学とは違った説明の仕方で、物事を説明する自由はあるはずです。


別に、互いを排斥しあう必要は、ありません。

これは少し前に言及した(元)thereseさんの発想にも通じるものだと思う。

人間はそもそも不合理に考えるもので。技術開発者さんの云う「人間の基本仕様」論にも通じるのだけれど、その不合理さは殊更に貶めるべきものだとは思わない。ただし、その不合理さに目をつぶって諦める必要もなくて。その不合理さの生み出す弊害を回避するために、人間の生み出したいまのところ最大のツールとして、科学が存在するのだから。

「科学的におかしいから間違っているからダメ」というような態度の人は、実際は科学者にはそれほどいなくて、科学者ではない人に多いのではないかと思ったりもします。


科学者というのは、どれほど科学が物事を説明できていないかを知っている人達なのですから。

これはきっと、そのとおりなのだろう、と思う。
少なくとも、ニセ科学批判の前線にいま立っている科学者に、ぼくは科学至上主義者を知らない。


nice!(0)  コメント(19)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 19

りほ

こんにちは^^

取り上げていただけて、ありがとうございます。
もっと辛らつな批判をされるのかなぁと覚悟していましたが(笑)
とりあえず、コメントを残させていただきました。
どうもありがとうございました^^
それでは。
by りほ (2007-10-25 23:28) 

pooh

> りほさん

いらっしゃいませ。

ぼくたちは科学者ではなくて。だから、科学を貶めるのも、盲信するのも間違いだと思っています。
by pooh (2007-10-25 23:32) 

TAKESAN

今晩は。

「科学的に正しくないからダメ」という言明一つとっても、そこには、色々な意味が付与されるのでしょうね。同じ様な表現でも、様々なレベルがある、と言うか。また、その様な主張がなされる場面と言うか、文脈も関わってくるのだと思います。批判対象のデタラメさの度合、にもよりますよね。

りほさんのエントリーは、冷静な視点から書かれたバランスの良いもので、好感を持ちました。
by TAKESAN (2007-10-26 00:29) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

 何度でも書きますが「ニセ科学」という言葉は「科学的と思われて社会に広がっているが、科学的でないこと」という定義で使われています。科学的でない事柄でも世間の人が「科学的ではない」と思っているなら何も批判したりはしないわけです。

 少し前にあるファンタジィの結末にある「私は平和な世界の一画が欲しいだけだ」「ではなぜ私と戦った」「お前が支配する世界では私の住む一画が平和でなくなるからだ」なんて話を紹介しました。科学的でない事柄が世間に流行ったって社会の一画でなされる自然科学の探求の営みの平和は影響を受けないけど、その科学的でない事柄が「科学的」と思われて流行るなら、社会の一画でなされる自然科学の探求の営みの平和は乱されてしまうわけです。

 なんていうか、防衛戦争なのか侵略戦争なのかみたいな話ですが、少なくとも我々は防衛戦争のつもりでいるわけです。だから、「流行ったって、もてはやしたってかまわないから、科学的でない事柄は科学的と思わないで流行るなり、もてはやすなりしてくれ」と「科学的でない」といっているわけです。この「科学的でない事柄が科学的と思われて流行ると社会の一画でなされる自然科学の探求の営みの平和が乱される」ということが理解してもらえないと、「あいつらは全てを科学的な事柄で埋め尽くそうとしている」みたいな侵略戦争のように捉えられてしまうのだろうと思います。
by 技術開発者 (2007-10-26 04:07) 

pooh

> TAKESANさん

結局、単純なOn/Offにはならないんですよ。その都度の判断と、その判断を導き出すコモンセンスの強化が大事なんだろう、と思います。
バランス、と云うのがたぶんなにより難しいんですよね。
by pooh (2007-10-26 07:49) 

pooh

> 技術開発者さん

> 「ニセ科学」という言葉は「科学的と思われて社会に広がっているが、科学的でないこと」という定義で使われています。科学的でない事柄でも世間の人が「科学的ではない」と思っているなら何も批判したりはしないわけです。

この部分なんですよね。
で、この「科学的」と云うことがある意味正当性を保証するものとして働くだけに、そこを利用することに問題が生じるわけで。
そもそも科学でないもの、については、別の基準に依拠して判断すればいいだけなので。

> なんていうか、防衛戦争なのか侵略戦争なのかみたいな話ですが、少なくとも我々は防衛戦争のつもりでいるわけです。

そしてぼくら非専門家は、有用なものが生き残っていってくれることを期待するわけで。だから、有用なものを見抜くためにコモンセンスを鍛える必要があるんだろうな、と思います。
by pooh (2007-10-26 07:54) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。少し、変な話をしますね。

 このまえ、仕事場で時代劇の話になりまして、「時代考証をしっかりした時代劇を作ったら無茶苦茶笑えるのだろう」なんて話になったわけです。お殿様が木曽馬くらいの大きさの馬にのって、蹄鉄じゃなくて馬草鞋だからパカパカなんて音もせずにザクザクと出てくるし、江戸の初期なら出てくる女性も帯が細くておなかの下あたりで前やら横で結んでいて、髷も結っていたり垂らしていたり・・・なんて話になったわけですね。

 でもね、そういう話をしていると、時代劇とかを見慣れたその時代の知識が無い人も「時代劇というのは実際の歴史じゃなくて作り物なんだね」と素直に理解してくれるし、だからといって時代劇を見て「面白くなくなった」なんてこともないわけですね。つまり、時代劇は実際の歴史とは切り離した娯楽用のフィクションとして成立しているわけです。

 ところが、こと自然科学的な事になるとこう素直ではないわけですね。例えば「血液型性格診断には科学的根拠はありませんよ」「そんなこと言われると面白くなくなるから言わないでくれ」なんてね(笑)。つまり、フィクションとして成立し得ていないわけです。つまり「本当だと思うから面白い」訳です。

「科学的におかしいから間違っているからダメ」なんて言うのは、科学的間違いを指摘する科学者が言っている事ではなくて、「科学的でなければ面白くもくそもなくなる」様な話を面白がっている人たちの「心の中の言葉」なんじゃないかと思うわけです。
by 技術開発者 (2007-10-26 08:21) 

apj

 なかなかいい距離感だと思ったのでコメントしたのですが、コメントが出ませんね>向こうのblog。
by apj (2007-10-26 15:27) 

元therese

あ、こんなところで再登場か。
システム上のトラブルと、ちょっと面倒なことになって、いったんブログは閉じましたが、私が今言いたいことというのは、
まったくもって形而上の問題(たとえば人間が生きる意味)と、科学的な問題(たとえば人間の消化器とか循環器がどんな働きをして生命を持続させているのか)とは別ですよね、ということです。

それで、仮に「人間は光合成で生きられる。食べなくていい」などと言い出してる人がいたとします。
それを信じて実践しようとしている人に対して、医師が「危ないよ」と警告することは正当、いや、むしろ必要だと考えます。

しかし、「こういうことを言い出すヤツがいるから、”宗教”または”スピリチュアル”やってるやつはどうしようもねえよ」って、いっしょくたにして攻撃するというのはいけないよ、といいたかったんですよ。そういう態度、ここに出入りしている人ではない物理愛好者のブログでみつけてしまったから、今はなき問題のエントリを書いたわけで。
実際、懐疑主義を標榜する人の中には、『ビリーバー』をバカにして
2ちゃんの「晒すスレ」に書くために、科学記事を読むという姿勢の人もいるとしか考えられない言動も見られます(実例は省略)。
そういう傾向を持つ人がどれだけいるのか、調査なんかしようがないからわかりません。でも周囲にはこういう人を簡単に見つけることができます。そういうあたりりほさんが「気持ち悪い」とするところじゃないかな。

そして、スピリチュアルをやっている人の中にも、自分の主張が正しいことを裏付けるために
「最新の量子力学では、意識が物体に影響を与えていることが証明されようとしている。」とか言ってる人がいます。
で、一般の人は量子力学なんてとんでもなく理解できない世界だからまず、そこをあっさり信じてしまいます。ついでにそのスピリチュアルをやってる人の言説も鵜呑みにしてしまいます。
こういうところを指摘することができるのは、現に量子力学を専門にしている人か、その周辺にいる人だけだと思います。
だから対立とかそういう問題じゃなくて、それこそ棲み分けです。
長くなってきたので、まとまりませんがこのあたりでやめときます。
by 元therese (2007-10-26 17:21) 

りほ

当該ブログの著者です。こんにちは。

>apjさん
折角コメントいただいたのに、公開が遅くなってすみません。
コメントは承認制にしていますので、
遅れることは多々あると思いますが、ご了承ください。


上に、「防衛戦争」という言葉がありますが、
現代においては科学が権威である(と思われている)以上、
疑似科学側からみれば、防衛戦争ではなくて、
権威争いであり権威付けなのではないかなぁと思います。
だから、ある意味仕方ないのかなぁ、とわたしなんかは思います。

もちろん、科学者の方がニセ科学を批判されるのは非常に有意義ですし、
それ以前に、科学者という立場上、「防衛戦争」は当然のことだと思います。

科学至上主義者にも、科学嫌いの人にも、どちらにも
科学が高圧的なものに見えている人がいるでしょうね。
特に「科学者は漢方医学や信仰を否定する」と思っている人がいますが、
そう思わせているのが、本当に科学者なのか、科学信奉者なのか、
科学そのものなのか、学校教育や理科の先生なのか、
科学と結びつく別の思想なのか、そのあたりはまだよくわかりません。


科学が絶対だと信じ、そしてそこに安住して、
宗教やスピリチュアルなことを言う人を見下し、
怪しげで高額な浄水器を買っている人なんかを見ると、
「・・・。」となります。(知人です。)


長々と失礼いたしました。
by りほ (2007-10-26 21:22) 

りほ

すみません、言葉足らずです。

>もちろん、科学者の方がニセ科学を批判されるのは非常に有意義ですし、
>それ以前に、科学者という立場上、「防衛戦争」は当然のことだと思います。

「当然のこと」⇒「当然の権利」に読み替えてください。お願いします。
by りほ (2007-10-26 21:35) 

pooh

> 技術開発者さん

科学がもたらす、その裏付け故の面白さとか興奮とか云うものがあって。それはぼくみたいなSF者出身の人間にはとてもなじみ深いもので。
でも、それって「科学ではない」と云うことが明らかになった段階で失われてしまうもののなのですよねぇ。だから、最初から科学なんかに依拠しなければいいんです。それで力を失うような言説は最初からその程度の強度しか持っていない。

思い出したのでひどくくだらないことを書きます。
むかし仲間内で、「究極の江戸」ってネタを考えたことがあって。
将軍が吉宗で、副将軍が光圀で。南町奉行が遠山景元で、北町奉行が大岡忠相。火付盗賊改方が長谷川平蔵で、同心は中村主水。その辺を歩いている職人風の連中はみんな実は仕事人で、ついでに魚屋は一心太助、って云う。悪人は息を吸うこともできないクリーンシティ、ってそれだけなんですが。
by pooh (2007-10-26 22:11) 

pooh

> apjさん

距離感、って云うのは言い得て妙です。
ぼくたちが必要としているのはいろんな考え方に対する適切な距離感なんだろうと思います。
by pooh (2007-10-26 22:12) 

pooh

> 元thereseさん

あ、いや、再登場と云うより、元thereseさんとりほさんのエントリを読んで感じたことが、ぼく個人のなかでひとつらなりだった、と云うことなんですよ。

実際のところ、ひとの考えは揺らぎ、不安定にうつろうものです。そのことに対する人間の智恵の集積が、科学であり、また(カルトではない)宗教なんだと思います。
だから、これらは一面的に対立概念ではない、と思っています。
by pooh (2007-10-26 22:23) 

pooh

> りほさん

例えばapjさんは、ニセ科学を批判する動機は完全に利害だ、とおっしゃっています。それはもう明解に。

で、ぼくはそれを支持します。科学者がそのあるべき責務を公益にかなうかたちで全うしようとすれば、ニセ科学とは利害関係が生じるのは当然だと思います。
by pooh (2007-10-26 22:26) 

亀@渋研X

はあああ……。自分の世間の狭さを改めて痛感しました。まともに「科学的じゃないからダメ」なんて主張する人が本当にいるのだろうか、それは聞きかじりの話を誤解しているのではないか、なんて思ったりもしてました。そうじゃないんですね(いや、ある意味では重なるようでもありますけど)。
しかし、人を見下すためのネタ探し……すさまじい世界ですね……。ぼくが暢気な世界に生きているだけかもしれませんが(あっ、地続きだということは理解しています)。反スピリチュアルが勢い余って高価な浄水器なんていう類いの人は、ぼくの近所にもいそうな気もしますし。
ウチの《私家版「ニセ科学の基本用語・簡易版」β1》で、科学原理主義者なんかの説明に「実在が疑わしい」なんて書いちゃいましたが、修正しないといかんですね(汗
by 亀@渋研X (2007-10-27 01:41) 

元・therese

ごめんなさい、”再登場”というのは冗談です。
こういうブログに書くのは慣れてないので、文章的に変なところがあるところも重ねてすみません。もちろんpoohさんのおっしゃっていることはよくわかります。

>棲み分けです。
と書きましたけど。
私は科学はわからないけれども、人間の生活にどれだけ貢献してきたかは習ってきました。ただしドーキンスさんのような人の本を読むと、「創造論じゃなくて、キリスト教まで否定するのはどうかな」という気持ちがあり、そういうところで、「棲み分け」といいたい気持ちがあったんです。だから、ここに何か書くとすごくずれた感じがしていやだなと思ってました(書かなきゃいいのに)。

これまでニセ科学批判に対して、あんまり深刻には考えてこなかったというところが如実に現れているからでしょうね。
でもここにきて、apjさんの動機とか、技術開発者さんの
「科学的でない事柄が科学的と思われて流行ると社会の一画でなされる自然科学の探求の営みの平和が乱される」
という言葉を読むと、なるほどこれは自然科学者の方々が積極的に介入していかなくてはいけない問題だと、納得することができました。

だから、「心を扱うもの」と自然科学は棲み分けできるけれど、そのためにも、ニセ科学を批判するということは有用なことだ思う、と訂正させてください。また長くてすみません。
by 元・therese (2007-10-27 02:20) 

pooh

> 亀@渋研Xさん

最近いろんな凄まじいひとが存在することを知ったんで(あまつさえその凄まじさを実感させていただけたりしたんで)多少のことは驚かなくなっていますけどね。
でもぼくはいまのところ「科学原理主義者」と云う言葉は、だれかがそれを非難する文脈(藁人形論法含む)でしか見たことないですけどね。
by pooh (2007-10-27 06:11) 

pooh

> 元・thereseさん(呼びづらいんで、「元」を取りませんか?)

コメントはいくら長くても構いませんよ(システム上書き込み文字数の制限はあるみたいですが)。ぼくのレスはたまにピンぼけだったりしますけど、それはご容赦ください。

ぼくは基本的に元・thereseさんのスタンスは重要なものだと思っています。でも、突き詰めると相対主義に陥ってしまう可能性もある(元・thereseさんがそうなると云う意味ではなくて、ぼくが同じスタンスに則った場合、と云うことです)。その辺り、考え方の精度を上げていく必要があって。

「ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!(ローラースケートパーク/小沢健二」ってスタンスを保っていきたいな、とは思っています。
by pooh (2007-10-27 06:39) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

関連記事ほか

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。