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現実までの距離 (「反自殺クラブ 池袋ウエストゲートパーク 5」石田 衣良) [ひと/本]

もちろん実際には、ここにはストリートの現実なんかない。
でも、そのことは、物語として必要な距離をとるためには欠かせないことだ。

反自殺クラブ 池袋ウエストゲートパーク 5 (池袋ウエストゲートパーク (5))

反自殺クラブ 池袋ウエストゲートパーク 5 (池袋ウエストゲートパーク (5))

  • 作者: 石田 衣良
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/03/10
  • メディア: 単行本

もちろん同時代性は、このシリーズの大事な軸だ。でも、そこに描かれる同時代はテレビのスクリーンを、新聞の粗い紙面を通じて見ることのできるものと同質のものだ。そこにはある洗練、ある抽象化がある。
奥田衣良の視点は確かで、現実をすっきりと見つめ直す。でもそこには、なんと云うか、「現場」にあるべきなにかひりひりしたものが抜け落ちていて、脂っ気が飛ばされている。

おそらくそのことが、彼が数多くの読者を獲得している理由なんだろう。だから、必ずしもそれが悪い、と云うわけではない、と思う。上手に蒸留されていても、それは作者の表現する「同時代」には違いない。なまの風景がもたらす違和感が、ちゃんと呑み込みやすく火を通されているだけのことで。

そして、登場人物たちの心情、そして行動は、その「同時代」を背景にしながらもとても馴染みやすい。現実に押しひしがれて、そのなかでそれぞれの正義を通そうとするひとたち。そしてまた、押しひしがれたあげくにその「正義」そのものが歪んでしまったひとたち。そして、それらを結節させる、実はもっともゆるぎない存在であるマコト。この構造が絵空事にもならず、正視し難いような悲惨の暴露にも着地しないのは、やはりその「視点の洗練」だと思う。

ただ、そろそろその構図があまりにも危なげなく固まりつつある気がするのが、今作を読んで少し物足りなく感じた理由だと思う。タカシもサルもゼロワンもつねにマコトの頼れる、いつでも力を貸してくれる味方と云う場所に落ち着いてしまっている。読者としては安心感を得ることができるけれど、でも逆に緊張感が薄れつつあるようにも感じられてしまう。同時代のリアリティとマコトたちのファンタスィが混じり合うポイントが、スリルを欠いた側に振れたまま固まりつつあるようにも見えてしまう。

彼の読者が、このシリーズに何を求めているのかは知らない。だれもが別段池袋を舞台に展開されるシティ・オブ・ゴッドを求めているわけではないだろうな、と云う気もする。でも、いまのスタンスで時代に追い越されないようにするには、相当の力技を必要とするだろうなぁ、なんて思った。


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