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批判する、ということ [世間]

こちらで論宅さんのエントリに触れたり、こちらで津村ゆかりさんのエントリに言及したりして、ぼくのところやそれぞれの方のコメント欄なんかで結構な議論になったりした。もちろんその後の展開もフォローしてはいたのだけれど、結局論宅さんは社会学関連のジャーゴンをタイプするのがお好きなだけのようだし、津村さんはなによりもご自分のスタンスと云うのを大事にされているようなので、結果的に直接の議論としては特段の成果は見られなかった(もちろん公開の場での議論だったので、議論の展開をご覧になった方になんらかのことが伝わったかもしれないことは期待してもいいのかもしれないけれど)。まぁでも、ネットは公開の場所である以上、真摯な批判に対してどのように振る舞ったか、については多くのひとの目に触れているのだ、と云うことはもう一度思い出していただければ、と思う。正直、おふたりの振る舞いには、継続して言及する意思を喪失させるのに充分だった(言及して欲しくもないだろうけど)。
で、津村さんのエントリに対して言及した藤澤真士さんの[リンク]「ニセ科学」関連・本当の最終記事と云うエントリを読んだ。

別に「最終記事」とかしなくてもいいと思うのだけど。ブログ形式なんだし。

これは、津村さんとしてはもはやこの話題に触れたくない、と云う意思表示なんだと思う。

ニセ科学問題を扱うのは、科学素養(プラス法律素養)がある程度ある人じゃないと難しいとも思う。考える余裕がある人や興味がある人が、自分の本来の活動と絡めるなり絡めないなりに活動することになっているのではないかと思う。

これは果たしてそうなんだろうか。

私事で恐縮だけどぼくは科学的素養や法律の素養があるとはとうてい云えない人間だ。そんな奴がどうこう云うべきじゃない、と云う声も聞こえてくるけれど、その点についてはこちらのエントリでちょっとまとめめいた意見を書いたつもりだ。ぼくはニセ科学問題の裾野はそうとうな広がりを持っていると思うし、それはぼくなんかみたいな立ち位置の人間からしても、直接の利害関係があるものとして感じられる。

ましてや、津村さんは研究者だ。距離の取り方はそれぞれにしろ、ニセ科学問題に無縁であることのできる科学者なんかいない。
あまりうまい比喩ではないけれど、例えば繁華街でやくざがピストルを振り回しているときに、その場に居合わせた警察官が無縁でいることができるのだろうか。四課に所属していなくても、非番でも、無関係ではいられないはずだ。もちろん、見つからないようにその場をこっそりと離れたりはするかもしれない。でも、「所轄じゃないから関係ない」と公言して堂々と傍観することは許されないだろうし、なんとか対応しようとする同僚を嘲笑うことも許されないと思う。

すべての科学者にとって、ニセ科学はその職業倫理と直接対立するもののはずだ。立ち上がるだの立ち向かうだのはそれぞれのスタンスがあるだろうとは思う。でも、立ち向かうものに対して批判を行うと云う行為に及ぶにあたっては、おのれの職業意識に照らし合わせた熟考が必要なのではないか。

人が持っているリソースは限られているから、無駄なところへの投資は廃して、意味があるところに投資できると良いと思う。

この「ニセ科学に向けられる無駄なリソースの排除」と云うのは、菊池氏も天羽氏もいつもおっしゃっていることだったりする。もったいないもんね。


タグ:ニセ科学
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ちがやまる

ブログというのは詰まるところ「ひとりごと」なんでしょうか。そうだとすると、よほどの自覚がないとそこでの議論は成り立たないでしょう。

この方の感想・意見は、「世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。」という津村さんのことばから出発しているわけです。ところがこのことばは独立させてよく読むとはっきりした主張は出されていないのです。時間を「大きくさいて」まわす必要性を「さほど」感じない、と念を入れてぼかしてありますし。「私としては」というのも、「私個人がまわす必要はない」と考えるのか、「皆がまわす必要はない」と私は考える、というのかはっきりしません。独立させて読めばこの方と同じに、「世の中にここに挙げてある以外にも重要な諸問題があるんだから、できることや規模、緊急性に応じて対応すればいいよね」と読めて、別にこれでいいじゃないの、となると思います。

しかし、これを「ニセ科学」でなくて「空き缶ポイ捨て」問題で使う場合を想定してみます。捨てる人の意識に訴える方法はないでしょうかね、町内会とか個人とかでできる対策はないでしょうか、という話をしている時に「世の中には他にも重要な諸問題があるんだから、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいて空き缶ポイ捨て問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。」と発言したとすると、それは町内会(でもマンションの管理組合でもいいですが)で空き缶ポイ捨てをとりあげる事への反対意見の表明になるでしょう。空き缶をその辺に置いていくヤツが悪いにきまってますが、塀の外側のくらいはそのお宅で対処してくださると大変たすかるのですけれども。
by ちがやまる (2007-09-04 04:07) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>あまりうまい比喩ではないけれど、例えば繁華街でやくざがピストルを振り回しているときに、その場に居合わせた警察官が無縁でいることができるのだろうか

 私が以前に使ったたとえ話は、「火事場の2階で助けを呼んでる人がいるときに、何も手段のない人が何もしない(できない)のと、長いはしごを持って通りかかった人が何もしないのとは、道義的な意味が違う」というのがあります。我々は少なくとも「論理的におかしい」と気がつけるだけの基礎知識を持っているという意味で、常に長いはしごをもっているに等しいわけですからね。

 ただ、このたとえ話には続きがあって、「でも、長いはしごを持って通りかかった人に求められるのは、はしごを立てかけて『これで降りろ』というところまでで、はしごを上って火の中に突入して助け下ろすことではない。もしそこまで求めるなら、はしごを持っていても隠して行ってしまうだろう」なんてことも言うわけです。

 完全な説明なんてしなくて良いと思うんですね。「自分はそれはおかしいと思うよ」の一言で良いと思うんです。完全な説明を求められたら「自分で科学を勉強しなさい、そうすればおかしいとわかるから」でかまわない。

 なんていうか、この「あれはおかしいと思うよ」を多くの自然科学の研究者が気楽に言わなくなっているということに別な意味で問題があると思うんです。気楽に言うと「きちんと説明してください」となり、そうなるときちんと調べて言わなきゃならなくなるから、気楽でなくなるみたいな感じですね。津村さんもこの部分に巻き込まれることを嫌がっておられるように思います。
by 技術開発者 (2007-09-04 04:09) 

pooh

> ちがやまるさん

ブログと云うものをどう位置づけるべきか、と云うのはまだ分からないです。ただ、それが公開の場におかれたもので、議論をするための仕組みを持っているのは確かで(その仕組みを閉じることもできるんですけど)。

なんと云うか、この種の話はkikulogでも以前あった「優先順位の議論」に関わってくるんでしょうね。どちらにせよまず、個々が優先順位が高いと考えている事柄に対して行動を起こす、と云うのが前提で。で、それを前提に「とりわけ科学者にとってニセ科学問題は優先順位が高いはずだ」と云う議論と云うか主張と云うかが生じてくるわけです。雇用や医療や安全保障や地球環境に対して科学者ができることをしてくれるのはありがたいけど、ニセ科学って直であなたたちの商売に関わってくるやん、みたいな。
by pooh (2007-09-04 07:46) 

pooh

> 技術開発者さん

そう、やっぱりぼくらは、長いはしごを持っている方には助けていただきたいなぁ、とか思ってしまう。もちろんそのはしごを使いたくない、と云うひとに無理に貸してもらうことはできないんですが、「このはしごはそんなときに使うべきではない」と云われてしまうとなんか辛い。

だいぶ前に書いたエントリを思い出しました。

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2007-02-05
by pooh (2007-09-04 07:52) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>だいぶ前に書いたエントリを思い出しました。
http://blog.so-net. ne.jp/schutsengel/20 07-02-05

このときに、書こうかと思って書きそびれたのが、ドラッカーが言っていた事だったんですね。「社会は労働集約型産業から知識集約型産業を経て、専門性集約型産業に至る」という産業構造の変化を予測した時に、「各専門性の持つ社会参画意識とかモラルが重要になる」という視点をドラッカーが述べている訳です。

実のところ、この自らの労働を通じての社会参画意識の重要性というのは、労働集約型産業の時代からあるわけです。つまり「一日ミシンを踏んで、給料を貰う」という労働集約型産業の労働者が、「こうやって作るシャツが世界のどこかでは着られる」と思ってミシンを踏むのか、「とにかく時間内は与えられた事をやつていればいいや」と思ってミシンを踏むのかは、てきあがったシャツの品質(不良品率)に現れる訳です。この参画意識の重要性は、知識集約型産業になるともっと大きくなって、「与えられた期間内に新車の設計をして給料貰う」という設計チームにとって、「自分たちの設計したトラックで誰かが物を運ぶ」という意識が強いとハブの設計にあたって強度試験を省くということはやりにくいのだけど、「期間内に設計すれば良いんだ」とだけ思うなら、ハブが壊れてタイヤが飛ぶようなトラックの設計ができるわけです。つまり、こうやって産業構造が労働集約から知識集約型になるほど、個々の労働者の社会参画意識の重要度は増すわけです。

産業社会は否応なしに労働集約から専門性集約型への変化を起こしている訳だけど、各専門家の社会参画意識とか専門性モラルというのが、そこについて行けない面があるように感じている訳ですね。
by 技術開発者 (2007-09-04 08:18) 

newKamer

> 「世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。」

 というのは、そういう考え方もあって当然だと思うのですが、ニセ科学の問題についてよく知らない状態のはずの津村さんが、結論として語るには、ちょっと先走りしたもののように感じてしまいます。
 個人的な“感想”に過ぎないわけで、先走りしちゃいけないってことも無いのですが、なんとなく「う~ん…」という気持ち悪さを感じてしまいます。
 私が「専門家」のラベルに対して、過剰な期待をかけているだけかもしれません。
by newKamer (2007-09-04 10:01) 

ちがやまる

「労働を通じての社会参画」は技術開発者さんのおっしゃるとおりだと思います。もうひとつ「日常生活での社会参画」というのもたぶんありますよね。小さいこどもが一人で歩いていたりすると、保護者は近くにいるだろうか、さしあたって危険はないだろうか、というような事をさりげなく確認する、というようなことがうまく機能する社会だといいように思うのですが(私はそういう大人たちの視線を感じながら大きくなった気がするのでそう感じるのかもしれません)。ただ、この例ですと、そんな社会のリソースを無駄にするような行動は許せん、保育士なりベビーシッターなりに預けておくべきだ、と言われかねませんが。電車で年配の方に席を替わるのをあまり見なくなったのも、一時の疲労回復や資料確認が次ぎの仕事でのパフォーマンスに直結するからで年寄りに替わるようなゆとりはないよ、という具合なのでしょうか。
社会全体としても参画意識・モラルが問われてますよね。
by ちがやまる (2007-09-04 10:14) 

きくち

> 「世の中には雇用や医療や安全保障や地球環境などをめぐる諸問題があり、それらのニュースを読んだり考えたりする時間を大きくさいてニセ科学問題にまわす必要性を私としてはさほど感じません。」

こういう大人をバカにするような発言をしてはいけませんよね。
だめすぎです
それなら、初めから無視すればいいわけ。
by きくち (2007-09-04 13:46) 

内海

結局、彼等2人とのやりとりで得た物はなにも無かったですね。
特に津村さんの場合、きくちさんや技術開発者の貴重な時間を無駄にさせただけだったと思います。
プロの研究者として、ある意味小飼弾氏よりダメな議論の仕方だったな、と。
「プロの研究者といえども、ニセ科学問題に真剣に向き合う気が無い人は、むしろ素人よりも足を引っ張る可能性がある」というのが唯一得られた教訓でしょうか。
by 内海 (2007-09-04 19:09) 

ヨシダヒロコ

(理科系出身者かつ非専門家です)

津村さんの話では、「頭の固いお方だ」と思いました。全部は読んでないんですが。柘植さんの意見が学会としての意見でないことは一目瞭然なのだから、なにをむきになっているのだろうかと。

きくちさんが気の毒でした。
by ヨシダヒロコ (2007-09-04 20:23) 

内海

すいません、技術開発者さん。
上の私のコメントで呼び捨てにしてしまいました。
お詫びします。
by 内海 (2007-09-04 22:27) 

NO NAME

こんばんは
 
津村さんはどのような意図で書いたかではではなく、どのように受け取られるかの視点が少し弱いのだと思います。今までの話を前提として読むというバイアスがどのようにかかるかを考慮していかないと難しいですね。無防備は言いえて妙で、その見方を想定していないのでしょう。曲解だとおっしゃっていますが、もしそうならば曲解されやすい表現の仕方をなさっています。文章を通じての意見交換に慣れていないのかもしれません。
 
真意はさておき、今までのお話も「私からはこう見える」という視点が強く、相手からどう写るのかも見ている相手の視点を想定するのではなく、見られている自分からの視点で物事を測る傾向が強く感じられました。
by NO NAME (2007-09-04 23:11) 

PseuDoctor

こんばんは。
うーん、結局、どこまでもいっても自分の「感覚」が最優先なのですね。
私にとって唯一の収穫は「ビリーバーよりも『批判の仕方批判をする人』の方が厄介だ」というのを改めて実感できた事です。お二人が丁寧に粘り強く議論されているのを拝読して本当に敬服したり感心したりしていたのですが、外から見える形で議論がされた事で多くの人の目に触れたでしょうから、その意味では必ずしも無駄ではなかったと信じたいです。

ところで、ニセ科学問題を扱うのに何かの素養が必要だと言うのなら、最も必要なのは「想像力」だと、私的には思います。
by PseuDoctor (2007-09-04 23:24) 

corvo

PseuDoctorさんのコメント
「ところで、ニセ科学問題を扱うのに何かの素養が必要だと言うのなら、最も必要なのは「想像力」だと、私的には思います。」
に「表現力」も加えていただければと思います。
科学教育とともに、芸術教育の重要性も、多くの方に認識してほしいなあと思っています。
by corvo (2007-09-04 23:34) 

FREE

by NO NAME (2007-09-04 23:11)
は私です。名前を入れ忘れてしまいました。
by FREE (2007-09-04 23:46) 

pooh

> 技術開発者さん

> 各専門家の社会参画意識とか専門性モラルというのが、そこについて行けない面があるように感じている訳ですね。

これ、重要なご指摘と云うか、問題点の提示だと思います。

ただ、その「モラル」と云うのが、どこから生じてくる(べき)ものなのか、と云うのが気になります。専門性はモジュール化でもある、とすると、むしろそれが社会のなかで自動的に生じてくる可能性は薄まっているのではないか、と云う気もします。どうなんでしょうね。
by pooh (2007-09-05 00:21) 

pooh

> newKamerさん

この点は明白に論旨のすり替えです。善意で見ても、津村さんご自身の私的な問題意識の強引な敷衍以上のものではありませんよね。
by pooh (2007-09-05 00:22) 

pooh

> ちがやまるさん

挙げられた例は、技術開発者さんのおっしゃることと基本的に通低していると思います。
それが「どう求められるのか」「だれから求められるのか」と云うのが大事な部分かと。
by pooh (2007-09-05 00:26) 

pooh

> きくちさん

たぶん、「自分ならこう振る舞いたい」と云うことと「こう振る舞うべきだ」と云うことの間の整理がつかないまま、ネット上の言説として展開してしまった、というところなんだろうなとか思います。それにしても不注意すぎですが。
なんかご自分にもリアリティのなさそうな一般論を書くこともないのになぁ、とかぼくは思いましたが。言説そのものの信頼度を下げてしまう。
by pooh (2007-09-05 00:29) 

pooh

> 内海さん

論争の中心となられたきくちさんやapjさん、柘植さんのご意見はしりませんが(ぉぃ)、議論そのものは無駄だった、とはぼくは思いません。少なくとも、論争の過程で得られた認識は、ぼくにとってはけっこう多大でした。
論争の一方のパートである論宅さんや津村さんには届かなくとも、多くのROMの方に届いたものはあるんではないでしょうか。はてなブックマークなんかを参照する限り、そう感じます。
by pooh (2007-09-05 00:34) 

pooh

> ヨシダヒロコさん

多分「学会としてそちらの方向に向かうと(津村さんご自身が)嫌だなぁ」と云う議論を、一般論に広げてしまったのが、云うなれば混乱の原因なんでしょうね。柘植さんが呼びかけたのは組織としての対応ではなく組織を構成する個々人への「専門家としての意識のありかた」だったと思うんですが、そこを意図的にか無意識にか読み違えてしまった。

> きくちさんが気の毒でした。

これ、やっぱりなんらかのかたちでFAQを準備するとかしないと、効率は上がらないのかなぁ。
by pooh (2007-09-05 00:42) 

pooh

> FREEさん(a.k.a.NO NAMEさん)

やはりネット上で言説をなすにあたっては「どう読まれるか」の視点は大事ですよね。そこをなおざりにすると、結果として誠意そのものが疑われるような不本意な結果に終わってしまう。
きくちさんや柘植さん、apjさんの言説はその意味で鍛えられているので、それらの方々がお書きになったことをまずはストレートに受け止めるだけで、逆にそこから「その場での自分の言説の位置づけ」を読み取ることも難しくないと思うのですけど。

津村さんの今回の「曲解されやすい表現」は、裏に「ストレートに書けない内的事情」があったことから生じている、と感じていたんですが、如何でしょう。
by pooh (2007-09-05 00:49) 

pooh

> PseuDoctorさん

想像力はつねに重要だと思います。
それなしに視点を定めることが、そもそも困難なのですから。
by pooh (2007-09-05 00:51) 

pooh

> corvoさん

その点については同意しますし、多分corvoさんとぼくとの間で意見の齟齬はそれほどないんだろうなぁ、と思いますが、ちょっと今回の議論のスコープの延長線上にはない気がします。
by pooh (2007-09-05 00:56) 

pooh

津村さんのところでの、2007.09.04 at 10:13 PMのご本人のコメントを読んで、自戒を込めて思ったこと。

なした言説と、その言説の主体である自分との間の距離は、少なくとも文章表現の上では受け手が混乱しないように明示されなければいけない。気をつけよう。

「私はどうすればいいのか」
知りませんがな。なすべき言説をなせばいい。
by pooh (2007-09-05 01:11) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

 私が時々「象徴的貧困」なんて話を書くのは「社会が陥っている」ということに気がつくというよりも、「自らもまた何らかの形で陥っている」可能性に気がついて欲しいからです。私自身も何らかの形で自らの想像力やイメージ力の貧困化を起こしているのかも知れないし、皆さんもどこかに貧困化を起こしているのかも知れない。そして津村さんも起こしているのかも知れない。

 私は分析技術者の講習会の講師などをもう何年もやっていますが、必ず言うのは「自動化装置を使う限り、自分の中にスイッチマン・スイッチウーマン的な部分が生ずるのは避けられない。やれることは、完全なスイッチマン・スイッチウーマンにならないように努力することだけだ」なんて話をします。何せ担当しているのが、サンプルの重さを図ってターンテーブルに乗せると分析結果をプリンターが吐き出すような装置なのでね。怖いのは「スイッチマン・スイッチウーマン」という言葉からステレオタイプのスイッチマン・スイッチウーマンを思い浮かべて、「あぁ、自分は違う」と安心してしまうことなんですね。

 ニセ科学関係で言うと、たとえば「マイナスイオン」が世の中で流行する過程には、多くの科学者の沈黙があるわけです。沈黙という行為は一つだけど、沈黙が「否定的沈黙」か「肯定的的沈黙」かは、沈黙する者が自ら決めることができなくて、周りの意識によるところがあります。周りが「肯定するなら必ず発言するだろう」と思っている中での沈黙は否定の意思と取られるし、周りが「否定するなら必ず発言するだろう」と思っている中での沈黙は肯定の意志と取られてしまう面があるわけです。学会内部における沈黙、つまり無視は多くの場合否定であるわけです。ところが社会という場で「これがおかしなものなら、専門家が文句をいうだろう」とかいう期待があるなかで沈黙すると、何らかの形で肯定に取られてしまうわけです。でもって、実際にニセ科学批判の講演会とかやると、一般の聴衆から「なぜおかしなものだと今まで行ってくれなかったのだ」と反応がでるように、「専門家が文句を言うだろう」という期待はあるわけですね。

 このように沈黙するという行為一つとっても、周りの期待とかに対して想像力を働かせないと、自分の意図と周りの取り方が一致することはないわけです。
by 技術開発者 (2007-09-05 04:14) 

pooh

> 技術開発者さん

おっしゃるような、なんと云うか客体を捉えるにあたっての主体の曖昧さをファクターとして計算に入れる、みたいな部分は、文系的な知のあり方、と云うか身のこなしであるように感じています。いろいろなことがグレーであるなかで、部分最適に陥らないよう事柄を把握していく、みたいな。

絶対的に正しい振る舞いはないし、津村さんの言説も津村さんの角度からは妥当なんだと思うんです。その意味で、津村さんのそもそもの問題提起自体は決して無価値なものではない。それは多分、議論が進んでもどこかに常在するものだと思います。
でも、そのことを認めたうえでなお、津村さんの振る舞いにはみなさんが指摘されているような問題点のようなものがあると思います。で、それは「社会と専門家」と云うようなもっと大きな枠組みでの問題につながっていくものだと考えます。
by pooh (2007-09-05 07:53) 

ちがやまる

私が問われていたことについて。
ち:社会全体としても参画意識・モラルが問われてますよね。
p :それが「どう求められるのか」「だれから求められるのか」と云うのが大事な部分かと。

技術開発者さんの「労働を通じての社会参画」に表現をそろえて問題点と思うものを指摘したもので、求められる「必然性」はどこからか導かれるものとは考えていません。「私個人」からみた「あってほしいこと」を述べたもので、強制力はどこにもないと思います。日本という地域で成員それぞれが自律性を持っていると感じられる社会が維持できない(将来にもそれを達成する見込みがない)事態になるとしたら、それは大変困ることだとは思います。しかし、歯がみをしたところでどうかなるものでもないと思います。
poohさんは何かアイディアはおありですか?

私がお聞きしたいこと。
pooh: 絶対的に正しい振る舞いはないし、津村さんの言説も津村さんの角度からは妥当なんだと思うんです。その意味で、津村さんのそもそもの問題提起自体は決して無価値なものではない。

私がsarcasticなコメントを続ける理由は、妥当と思える角度がわからないからだと思うのです。「津村さんの角度からは妥当なんだと思」えたpoohさんにどう見れば妥当なのかお教えいただきたいと思います。
by ちがやまる (2007-09-05 09:38) 

かも ひろやす

一日ぐらい水を飲まなくても死にはしない。しかし、酸素がないと十数分で死んでしまう。水よりも酸素が大切だ。水を飲むのはやめて、そのためのエネルギーを酸素を吸うために使うべきだ。

津村さんの優先順位論って、要するに、そういうことですよね。
by かも ひろやす (2007-09-05 12:34) 

pooh

> ちがやまるさん

お書きの意図についてぼくが誤解をしている可能性を留保させて下さい。

技術開発者さんのおっしゃる「労働を通じての社会参画」に関して云うと、労働を行うにあたってのある種のモラルのようなものを求めるのは相対的に(あくまで相対的に)簡単だと思うんです。それは市場経済の仕組みからも要請することができる。

でも、ちがやまるさんのおっしゃる「日常生活における社会参画」はもう少し難しいな、と思う部分があって。それを要請しうるのはコミュニティだと思うのですが、さて現在日常生活において個々人が所属するコミュニティがそれを要請する力があるのか、と云うと、ぼくの認識としては簡単には云えないなぁ、と思うのです。

いったんコメントを分けます。
by pooh (2007-09-05 21:58) 

pooh

> ちがやまるさん

> 私がsarcasticなコメントを続ける理由は、妥当と思える角度がわからないからだと思うのです。「津村さんの角度からは妥当なんだと思」えたpoohさんにどう見れば妥当なのかお教えいただきたいと思います。

「技術系サラリーマン」と云う用語があります(あるようです)。これはおそらく企業に所属してその録を食んでいる研究者のことを云うのかと思います。で、当然ながらその個人は「サラリーマンとしての自分」と「研究者としての自分」に引き裂かれるケースが出て来ます。その両方を視野に入れると、「まずは保身、そしてできることから」と云うスタンスは一概に責めうるものではないと考えます。で、津村さんはその位置にある「技術系サラリーマン」の本音を、ある意味赤裸々に曝け出すことになったんだと思います。多くの方が実際にその立場にいらっしゃることを考えると、「そう云う立ち位置があること」自体は、ぼくたちは(少なくともぼくは)意識から外してはいけないよなぁ、と思ったのが、最初に津村さんに言及したエントリを上げた意図でした。

ただ、本来「研究者であること」と「サラリーマンであること」は、個々人をふたつの立場に引き裂くようなものではないはずですよね(それこそ法人も本来「労働を通じての社会参画」を求められるべき存在ですから)。実際には発生するとしても、もともとそのこと自体おかしなことなんです。で、それを「おかしなことだ」と認識せずに、目先の問題と状況に寄り添い過ぎてしまうと、ぼくが言及した後に津村さんが追加エントリやコメント欄でお書きになったような、どうにも守りに入ったような意見になってしまう。「どうあるべきか」の議論ではなくて、「こうとしかあれないので、それは仕方がない」の方に思考が引きずられてしまってそこから出られなくなる。

津村さんのお考えになるのと同じ角度に立ち位置を定めざるを得ないかたは多くいらっしゃるでしょう。その方達をそもそも論で責めることはできない。でも、だからと云って開き直ることは肯定できない、と云うのが「ふつうのサラリーマンであり生活人である」poohの立ち位置です。

で、これってちがやまるさんのご質問にお答えできてるんでしょうかね? ない頭を絞っちゃったんですが(^^;。
by pooh (2007-09-05 22:17) 

pooh

> かも ひろやすさん

そうだと思います。
で、その言葉を「水を供給する側」の人間が云ってしまっていいわけがないんです。

津村さんはニセ科学問題に対して貢献できる位置にいますし、その能力を持っています。でも、雇用や安全保障をめぐる諸問題の解決に貢献できる場所にいるようには思えません。本質的に、柘植さんの危機意識を理解できていないのだと思います。
by pooh (2007-09-05 22:21) 

apj

 津村さんが「確執」の意味をはっきりさせてくれたので、補足説明をしてきました。さっさと何を見たか言えば議論が進んだものを……。
 で、ぶっちゃけ、津村さんが目撃したのは「批判による確執」ではなくて「公取排除命令の逆恨み」なので、あれを見て批判が原因の確執だと思うこと自体が見当外れでしょう。
by apj (2007-09-06 01:11) 

ちがやまる

妥当と思える角度がわからない、ということについて、これまでの繰り返しでしかないんですが。
poohさんの、社会的な立場に強制されてるんだ、という事については、それなら何も言わなければいい、ときくちさんが言ってます。保身のためなら学会の掲示板に”その”意見を出さなければいいだけのように思えます。それ以外に主張があるとしか考えられないのですが、それが何か見当がつきません。
ひとつ上でapjさんが言われるように動機が吉岡氏との関係だとすると、なおさら話がわからなくなります。皆がおふろの水のヌルヌルを磁気浄水器(でしたか)が取っていると信じてくれていて何の問題もないのに、磁気にそんな作用はないと言うのは商売の邪魔だ、という文書を読んで、「なるほど邪魔をしてはいけない」と思ったということでしょうか。

この津村さんという方が全体として何を言いたいのかわからなくなってきました。そういう状況では、私などがこれまで表面だけとらえて何か言ってたのはすべて無駄、ということですよね。
by ちがやまる (2007-09-06 03:39) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。私は悪徳商法批判も行ってきましたので、その面から少し説明しますね。

悪徳商法啓発系サイトでマルチ商法の批判などをしますと、いわゆるマルチ商法にはまり込んだ人などが意見を寄せられてバトル状態になることもあるわけですが、そのとき多くの人が感じるのがカルト宗教にはまり込んだ人に感じるのと同じ不気味さがあります。そのため、悪徳商法批判系のサイトには「マルチ信者」なんていう言葉までできるわけです。実のところ、カルト宗教にはまりこむ心理過程とマルチ商法にはまり込む心理過程はほとんど同じといってよいのです。そのあたりの心理状態をマインドコントロール状態として解説したものなどもあります。

http://beyond.2log.net/akutoku/archives/qa/pslg19742.html

そして、実のところマルチ信者やカルト宗教信者の言説が人に与える印象には二面性があります。一つは上で述べた不気味さであるわけですが、もう一つは、「確信の強さから生まれる牽引力」のようなものです。つまり、「こんなにはっきり言い切れるのだから、なにかあるのでは」と感じさせてしまうようなものですね。不気味さも論理不整合を一切気にしないという信者の態度から生ずるわけですが、「そこまできっぱり言うのだから何かあるのかも」も実のところその同じ態度から生じてしまうわけです。

こういう言い方は語弊があるかも知れないけど、予備知識もなにもなくマルチ信者の言説に触れてしまうと、フラっとその言説に飲み込まれる可能性は誰に関してもあることなんです。
by 技術開発者 (2007-09-06 05:05) 

pooh

> apjさん

思うに、津村さんは確執であろうと逆恨みであろうと、大づかみで「(避けるべき)トラブル」としてしか捉えていないのでは、と思います。本来そのふたつを分別すべき論調であるのに、心情的にはそうではない、と云う点が独特の不明瞭さを生んでいるのではないか、と推測します。
by pooh (2007-09-06 07:43) 

pooh

> ちがやまるさん

ぼくは津村さんではないので、ぼくの意見はぼくのバイアスを含んだ推測に基づくものになりますが。

要は津村さんはまず「巻き込むな」と云いたかったのではないかと。
でもそう云ってしまうのも「政治的に」正しくないので、回り道のロジックを持ち出してしまって、なんだか分からなくなってしまったのではないでしょうかね。で、きくちさんはそれを「研究者としてのスタンスから表明されるべき意見」ではないと判断されたのだと思います。

ぼくはきくちさんを支持します。
でもそれとは別のレイヤーで、現実として津村さんに立ち位置の近い方々がいらっしゃるだろうことも、そういう方々が同様に微妙な規範のはざまに置かれているだろうことも想像できます。そう考えると、津村さんのダブルバインドはある程度現状の反映だろうし、純粋な議論としてではなく「批判と云う行為」を捉えた際には、そこから得られる示唆もあるだろうな、と考えたわけです。
津村さんの行動はすっきりしていませんが、多分多くのひとの行動はすっきりしていないんじゃないか、と思うです。
by pooh (2007-09-06 07:53) 

pooh

> 技術開発者さん

なんと云うか、言説のボリューム、と云うようなものに思いをはせたりしてしまいます。質的な強度ではなく、そのトーンの持つ音量のようなもの。

すいません、なんだかよく分かりませんね。うまく説明できません。
by pooh (2007-09-06 07:56) 

ちがやまる

「個人の意見」が「科学専門家代表(そんなものありますかね?)の意見」であるかのように提示されてしまえば、内容によってはきびしく批判されるでしょう。
ではなぜそんな誤った一般化をおこしてしまったんだ?というとき、個人的な要因が強ければ(偶々その人が新聞をよく読んだりした経験がなかった、とか、偶然何らかの思いこみが強かったとか)、それはあまり話題にする意味はありませんよね。
では、その人の社会的な立場に影響されていたとしたら?たとえば官僚や軍隊みたいに組織の歯車として機能しなければならない立場だったら?私は日銀の人が経済解説などをブログでできないだろう、という例を出したことがありましたが(利上げはあるのか、あるとしたらいつか、というような目で注目され、誤ったシグナルとして解釈されるような危険もあるでしょう)、そのような要因が誤った一般化につながりやすいとは考えにくいと思います(繰り返しになりますが、発言の機会・方法をくふうすればいい事で、不都合な場所で黙っていることもできるからです)。
そのように考えていたところ、poohさんが「現実として津村さんに立ち位置の近い方々がいらっしゃるだろうことも、そういう方々が同様に微妙な規範のはざまに置かれているだろうことも想像できます」(引用は近い場所からコピーさせてもらいました)という内容の事をおっしゃったので、誤った一般化につながりやすい機構を具体的に想定しておられるのかと思い、そのお考えを伺おうとしました。
でも私のいまの無根拠な予想では、はじめのあくまでも個人的要因、というのに20ガバス。
by ちがやまる (2007-09-06 18:35) 

pooh

> ちがやまるさん

すみません。ちがやまるさんの書き込みは時折難しいです(^^;。おっしゃりたいことが汲み取れていないので、すごくぴんぼけのお返事になるかも。

「誤った一般化」が発生しうることが問題だとお考えなのでしょうか?
どうもそこがぴんと来ません。

実名を出して、就いている職を明らかにしている以上、そのひとの意見はそのことを背景にしていると見られるのは当然ではないでしょうか。それをリスクと見るか、ベネフィットと見るか、と云うことはあるでしょうが。で、その職に一般に期待される規範のようなものがあった場合(通常はあります)、そこでなされる言説はその規範に則っていると期待されるのも不当なことだとは思いません。
by pooh (2007-09-06 21:56) 

apj

>津村さんはニセ科学問題に対して貢献できる位置にいますし、その能力を持っています。でも、雇用や安全保障をめぐる諸問題の解決に貢献できる場所にいるようには思えません。

 だから、あの部分は「何もしたくない」ってことなのかな、と。
本人に訊いてみないとわからないので、コメントしてきましたが。
by apj (2007-09-06 23:42) 

ちがやまる

ひとりごと、として個人の好みを表明するのと、世間に一定の立場を主張するのとでは意味が違いますよね。前者だけなら反論は出なかったのではないかと思います。前者を後者に移すことを「一般化」と呼ぶのは適切ではなかったかもしれませんが、その過程では自分以外の人の立場も考え、言明の波及する範囲も検討するでしょうから、「一般化」の手続きはふむことになるでしょう。今回の問題は単なる「ひとりごと」が議論のまな板に乗ってしまったのが悲劇だったのではないかと思いました。

実名と職名が明らかな場合ですが、業務として意見発表をしているのでないなら、業務としての意見であると誤解されないような配慮をすべきではないでしょうか。その配慮を欠く場合には、「職」に強制されているのではなくて、自らの判断で個人の意見と業務との境をぼかしていると考えられますので、その立場に同情してあげる必要はないと思います。
by ちがやまる (2007-09-06 23:52) 

pooh

> apjさん

うむむ。

これは完全に憶測で、でもってひょっとすると失礼な云い方に当たるかもしれないのですけど、関西人特有の強固なムラビト性って云うのがあるんですよ。「それが人の道やん。ええやん、云わんかて分かるやろ」みたいな(ちなみにぼくも関西人ですが神戸っこなのでムラビト性は薄いです)。そう云うのもあるのかな。
モヒカン的なツッコミには大概辟易としているので、なんか一般論につないで議論を収束させようとしているのかと。

いやぼくも面白がって見ているつもりはないんですが、彼女がどうすれば救われるのかが分からないです。
by pooh (2007-09-06 23:55) 

pooh

> ちがやまるさん

あぁ、なるほど。同意です。

結局そこの分別がずっと曖昧だったのが、ぼくを含め何人かの方に問題だと受け止められた最大の原因だったんですよね。これが「意識上分別できていなかった」からなのか「文体の特性」からなのかは分からないですけれど。

でも、少なくとも今後は津村さんにはその辺り意識していただければ、と思います。ここはインターネットですから。
by pooh (2007-09-07 00:03) 

apj

 仮に、何もしたくないんだったら、他に大事な問題が云々、などとぼかさず、「私はとりあえず何もする気がない。今他のこと(実際に手出し出来ることを並べる)で大変忙しい」とはっきり書けばそれで終わりな気が。
 誰にだって都合も事情もあるので、一律にこれをやれってな話にはならないよね、ってことで。それこそ趣味の問題というか人生観の問題というか。

 あ、私は滋賀県出身ですが……ムラビト性はよくわかりませんなぁ。
by apj (2007-09-07 01:43) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

「自分にはたいしたこととは思えない」なんて反応は、ニセ科学批判をしていれば結構言われるものです。「そう思うなら、無理にたいした問題と思ってもらわなくても良いですよ」なんて返事も時にはしたりします。
ただね、「たいした問題でもないのに騒いでいるあいつはおかしい」とか言いふらすのは勘弁して欲しいということも言います。たいていは「君は君なりの考えで問題だとおもっているのだろうから、そんなことはしないよ」くらいのところでおさまる。

なんていうかな、普及活動みたいなものの持つ難しさをいつだって考えているのが私なんです。たとえば所内公開で子供をシャボン玉に入れる。そばのパネルにはシャボン玉に関するいろんな理屈が書いてある。体中べとべとになりながら輪っかを持ち上げる人にも「質問が出たら、このパネルを元に説明してくれ」みたいなことも言う。でも、まあたいていの親子連れはパネルなんて読みもしない。「面白い体験をしたね」と喜んで終わり。でも、必ずパネルは飾る。そうしないと「科学が魔法になってしまう」と思うから・・・。
シャボン玉だけじゃない、カメラ・オブスキュラやら、静電気で水を曲げるおもちゃやら、空気砲やら、石の切断デモやら、私の企画したブースは全て実際のデモの準備と同じくらい、あるいはそれ以上の時間をかけて説明パネルやら説明のプリントを作っています。たぶん、実際にデモを体験する人の何十分の一かは読んでくれると信じてね。

 そんな準備を協力してくれる少ない人数でやっていると「もっと皆に手伝わせたら」なんてこともいわれる。でもね、それは無理。それは所内公開が「たいした問題じゃない」からなのね。皆の大事な研究活動の手を止めてまで手伝えなんていえないくらいのことだから。私に面と向かって「所内公開の体験デモなんて科学知識の普及効果は少ないよ」とか言ってくれるのはかまわない(言う人はあまりいないけど)、でも言いふらすのは(誰もしないけど)勘弁して欲しいと思うわけです。
by 技術開発者 (2007-09-07 04:26) 

pooh

> apjさん

なんと云うか、そういうふうに言い切ってしまうことにどこかpoliticalな抵抗があったのでは、なんて憶測してしまいますけどね。

ムラビト-モヒカン属性の地域的分布についてはよく分かりませんが(適当なことを云っているだけなので)、商人の伝統があるところでは異文化との接触が頻繁なのでモヒカン性が涵養される、と云うのはあるのかも(ないのかも)。
by pooh (2007-09-07 07:52) 

pooh

> apjさん

あぁ、でも「関西のムラビト性」と云うのは適当なことを云っているだけじゃなくて。等質文化の熟成したところでは人間関係が緩くなる、と云う中島らも的カンサイの捉え方のお話です。
by pooh (2007-09-07 07:54) 

pooh

> 技術開発者さん

「科学を魔法にしてはいけない」と云うのは、多分科学に携わるひとたちの基本的な規範としてあるんだろうな、と思います。でも方便として、いろいろな理由で「科学を魔法にしておく」現実的な都合のよさも多分あって。
タテマエとホンネ、じゃないですけど。

でも、ある程度公式なものとして捉えられる可能性のある状況で言説をなす際には、どの部分にどれだけ配慮するか、と云うのを曖昧にするといろいろ問題が生じやすくなるのかも、です。言及する事柄と、自分の立ち位置と、視点の角度をある程度明確にしないと、意図しない受け取られ方もする(まぁ、発言の時点で自分の意図と云うものを自分でどれだけ把握できているのか、ということもあったりはするんでしょうが)。
by pooh (2007-09-07 08:04) 

apj

朝投稿したはずが失敗したようなので……
poohさん、
>彼女がどうすれば救われるのかが分からないです。
>どこかpoliticalな抵抗があったのでは、なんて憶測してしまいます

・ニセ科学批判の流れを調べずに邪魔する気でいたらしいこと
・「確執」などとぼかした言い方を続けたこと
・仮にpoliticalな抵抗を感じていたとしたらその理由
などなど、そういったものが一体どこから出てきたのか、ご本人が自分の本心と向き合う以外に救われることなど無いと思いますよ。
by apj (2007-09-07 20:47) 

pooh

> apjさん

ひどく意地悪な見方をすると、「あぁ、かわいそうだな津村さん」みたいに誰かに感じさせた時点で、彼女の戦術は一定水準成功している、と見なすことも可能なわけなんですけどね。そう云うことをご自分に許す方なのかどうか。
by pooh (2007-09-09 06:52) 

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