SSブログ

宗教の側から [世間]

宗教の現場にいる方がニセ科学の問題に言及するのは、特有の難しさがあるんだろうなぁ、なんて、長保寺の公式ブログ(でいいんだよなぁ)の似非科学(えせかがく)と云うエントリを読んで思った。

実はここふた月くらいの間に、宗教と科学の接点について宗教の側から積極的に言及しようとしている玄侑宗久の著書を2冊ほど読んでいる。なんか読後感が自分のなかで明確に像を結ばないので、レビューは宿題になったままにしているんだけど。
さて、このエントリではまずいわゆるニセ科学に分類されるものについて、頭から否定しない姿勢を示されている。そのうえでいわゆる波動(最近流行りの記法をとれば「hado」?)について触れられているんだけれど。

主観的な「印象」を、あたかも客観的に比較可能な「現象」にすり替えているんじゃないですか

あちこちの神社や寺などを、凄いパワーがあると言う人もいれば、エネルギーが感じられないという人もいたり、勝手なもんです
まあ、独裁者が決めるなら、ナチズムに近いな

主観を客観に見せかけるのに、悪意が有っても無くても、この二つは違うんだから混同してはいけません

波動、パワー、エネルギーなど、あたかも客観性があるかのような言葉を精神世界に持ち込むのは、下劣な行為だという自覚をどうぞお持ちください

「感触」「愛」「素晴らしい」、など、個人的な感覚なのであって、それ以上でもそれ以下でもありません

なんかおっしゃることは至極真っ当で、当たり前で、と云うかちゃんとした坊さまが宗教者としてまともに考えれば、やっぱりそう云う結論になるよなぁ。

といいつつも、こんなエントリを書いたことがまだ記憶に新しいぼくとしては、なんかちょっとほっとしたりするのであった。


nice!(0)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 14

Terra

トラバありがとうございます


玄侑宗久さん、読んだことないです

トンデモな坊さんの例は、あげようと思えばまだまだいくらでもあります

ただ、問題が複雑かつ難解なのは、結果として主張しているとおりのことが生じる場合があるからです

で、なんでだろう、になって、勝手な理屈でわかったつもりになる、というパターンです

結論的に言えば、科学的な態度も万能ではないです
唯物的、唯脳的解釈に納得できない「体験」をする人が多いのです

ああ、それから、仏教は無神論ではありません、どちらかと言えば、汎神論です
多神世界を前提に組み立てられています

 
by Terra (2007-08-24 12:00) 

pooh

> Terraさん

いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。

いや、以前書いたエントリのコメント欄で議論していて、仏教に従事されている方がどうも意外と不自由な立場にあるようだなぁ、と云う認識があったもので。お書きのエントリに触れて、なんかちょっと安心できた、みたいな部分がありました。

> 結論的に言えば、科学的な態度も万能ではないです
> 唯物的、唯脳的解釈に納得できない「体験」をする人が多いのです

このこと自体は、例えばニセ科学批判を行っていらっしゃる科学者のみなさんも否定はされないと思います(留保なしで肯定されることもないと思いますが)。そう云う「科学万能主義」の問題点は共有されています。
by pooh (2007-08-24 12:15) 

OSATO

続きをアップしていらっしゃいます。↓
http://chohoji.homeip.net/archives/69.html

これを読むとまた複雑な心境にもなるのですが、要は、本来個人の感覚や主観によるべき所が大きいものを、それがあたかも万物に共通する真理であるかのように世間に吹聴され、それが結果的に金に結びつくといういびつな状況である事は間違いないと思うのですが。

EM菌のニセ科学性については誤解なさっているフシがありますね。これについては一言、二言、三言言いたいところですが、まあここでは止めときます。
by OSATO (2007-08-25 14:08) 

pooh

> OSATOさん

今日のエントリのコメント欄にもお越しでした。

この方は「科学の枠組み」と「ひとの心の作用」を混同されてはいないように感じます。EM菌についても結局「お寺の土壌に合っている」というところをポイントにお考えのようで、波動うんぬんが関係しているとはお思いではないようですし。
by pooh (2007-08-25 14:17) 

OSATO

いや、波動云々というのがEM菌問題の本質ではなくて、「万能性」を謳うという所に一番の問題がある訳です。
その「万能性」の根拠として、科学ではなく波動を用いているだけの事で、これは逆に科学から逃げている訳です。
EM菌の作用については、きっちり科学で説明がつきます。そして効く事もあれば効かない事も当然あります(EM菌がまるで効かないと言っている訳ではないのです)。
しかし「万能性」を信じてしまった人達からは「盲信」しか生まれません。それは思考停止を意味します。その事がEM菌の一番の問題なのです。

ここの所をよくお分かりでないように感じました(ご存知であったならばお詫びします)。

ですから、EM菌については他のニセ科学とは性格が少し違います。
これについては、「ニセ科学」というより、「ニセ科学性」と言った方がしっくりきますね。
by OSATO (2007-08-25 14:43) 

ちがやまる

OSATOさん。
EM菌の問題の本質ということについてはkikulogにでもお邪魔して検討させてもらうことにしませんか。このエントリは個人の心や信念をテーマにしているようですし。
by ちがやまる (2007-08-25 15:46) 

OSATO

>ちがやまるさん
そうですね。つい一言二言しゃべってしまいました(^_^;)。
この件についてはまた別の所ででも。
poohさん、話の腰を折ってしまい申し訳ありませんでした。
by OSATO (2007-08-25 17:05) 

pooh

> OSATOさん、ちがやまるさん

なんかお気遣いさせてしまってすみません。

いや、もとエントリでは、EM菌の「有用性」には触れていても、「万能性」には特に触れていなかったし、そう云う捉え方をされているわけではないようなので、特にその部分をあげつらうことはしませんでした。そのあたり、敢えて云わなくてもお分かりのようでしたし。

エントリ冒頭にも書きましたが、宗教に立脚点を置いてこの辺りの問題にアプローチするのは根本的な難しさがあるんです(これもエントリのなかで名前を挙げた玄侑宗久にしても、誠実ながら危うい部分は結構見受けられます)。そこいらあたり、ぼく的にはそれほどストリクトな見方をするべきだとは思わなかった、ってことです。
by pooh (2007-08-25 17:27) 

Terra

あはは

おかしな所があれば遠慮なく指摘してください
僕も、なにも遠慮してませんから

>宗教に立脚点を置いてこの辺りの問題にアプローチするのは根本的な難しさがあるんです

ここらへんはですね、僕は難しくないんですよ

宗教は人工物ですから、当然、私利私欲にまみれてます
それは、歴史的な考察で明らかにできます


むしろ、難しいのは、人間の原体験を、どう表現するかです

たとえば、宗教的な経験を、古典的には既存の宗教の枠組みの中にあてはめようとしたり
これは宗教ではなくて「波動」だと言ってみたり
「宇宙のパワー」というのもあったな


EMは、比嘉さんのパーソナリティーでしょう、帰する所は
だいたい、創業者になるような人は、誇大妄想的で独善的で自信過剰気味で使命感に燃えて、愛すべき人間です

科学者も、人間性まで問題にすれば、いくらでもアラはあると思いますよ
原爆肯定のプロセスとかね


一種の教養主義と言いますか、
知的でないからマガイモノ、
理解不十分だからウソダマシ、
説明出来ないものを勝手に解釈したからエセ、
科学的でないからペテン、
とはっきり色分けできないのが現実ではないでしょうか

皆様も、不思議な体験をなさったら、すこしは僕の説に理解が深まるかも、です
 
 
by Terra (2007-08-26 10:25) 

pooh

> Terraさん

何を難しい、と云っているかと云うと、人間の体験は「間違う」ことなんですよ。実体験は実体験なので、感覚的には「正しい」んです。でも(釈迦に説法だとは思いますが)感覚は間違いますよね。

もちろん、間違うこともあるから蔑ろにしてもいい、と云うことにはなりません。個人の体験は大事なことだし、そこに真実もあり得ます。
でも、科学は「間違いうる人間の知恵を集めて、できるだけ間違わないように努力して来た体系」なんですよね。

残念ながら比嘉さんは、そう云う意味で科学の側にはいません。
いないならいないでいいと思うんですよ。でも、だったらまわりに「科学の側にいる」と誤解させないようにするのが、誠実さだと思うんです。
by pooh (2007-08-26 13:26) 

Terra

>感覚は間違いますよね。

火傷して、アチチという時、どこを間違うんですか?

人間の原体験を、どう表現するか、という意味なら、間違った表現はあると思います
原体験と表現は別物だからです


>人間の体験は「間違う」
>感覚は間違います

こういう表現は、議論を無駄なものに感じさせますね


比嘉さんは、御自分では科学の側にいると思ってるでしょうし、科学者としてのキャリアは立派なものです

それを、科学じゃないと決めつけても、全然説得されないでしょうね
by Terra (2007-08-27 00:57) 

TAKESAN

今晩は。

ちょっとpoohさんに質問(と言うか、確認)です。

poohさんが仰る、”人間の体験は「間違う」”というのは、たとえば、錯視であるとか、ファントムペインであるとか、(具体的な次元では)そういう現象を指していると考えて、構わないでしょうか?
by TAKESAN (2007-08-27 02:08) 

pooh

> Terraさん

> 火傷して、アチチという時、どこを間違うんですか?

つねにその感覚は一定ではないでしょう?
下のコメントでTAKESANさんがお書きのような部分で、ぼくは「間違いうる」と書いたつもりでした。

EM菌および比嘉氏についてはぼく自身は自分のなかで充分な評価をし切れていないので、エントリでは触れませんでした。問題なし、とは考えていないのですが、その根拠は主にこちらにおける議論に負っています。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1153127013
by pooh (2007-08-27 08:00) 

pooh

> TAKESANさん

そのとおりです。
ここから、柘植さんが以前論じておられた「人間の基本仕様」論につながっていきます。
by pooh (2007-08-27 08:01) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

関連記事ほか

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。