メタファー [世間]
hasenkaさんにはつい先日爆釣られしたばかりなんだけれど、なんだか継続して同じテーマのエントリを上げてらっしゃるようなので、引き続き餌に食らいついてみる。今日読んだのは、科学という一神教と云うエントリ。
いや、なんとなくおっしゃりたいことは分かって来たような気がするんだけどね。でもそのこと自体をお書きになっていただけないなぁ、と云う気もしている。
科学は科学以外の考えを排除しようとする力が働く。
そんなことはない。と云うわけで、単純に云うとここから出発する論述は前提から間違っている。粗放な認識から出発している以上、そこにはメタファーとしての意味もない。
とは云えきっとhasenkaさんは「それだけの支配力が科学にはある。そうして、そのことが認知と思考のバランスを歪める」と云うことを云いたいんだと思う。それはそれで理解しなくもないけれど、だったらちゃんとそう書けばいいのに。
科学は不寛容だ。でもそれはそれ自体の体系に対して不寛容なのであって。「科学であることを装いながら科学でないもの」は許容しなくても、「そもそも科学でないもの」についてまで否定することはない。信仰を持つ科学者なんていくらでもいるわけで、それ自体は矛盾でもなんでもない。だから、科学は科学でないものを排斥しようとする
なんてことはない。そう云う所謂「科学主義者」はいるかもしれないけど、少なくともそれはそう云う問題のある個人がいる、と云う話であって、科学一般の属性ではないし、本性でもない。そうして概ねそう云う「科学主義」は科学者にはいなくて、往々にしてhasenkaさんのような論者の心のなかにしか住んでいなかったりするのだ(この辺りサド裁判の時の澁澤龍彦(あ、「ひこ」が出ない)の台詞なんかを思い出したりするんだけれどね)。
ともかくも出発点から事実誤認があるので(ひょっとすると事実を確認しよう、と云う意思さえお持ちではないのかも知れないけれど)、そこからの議論について触れるのはやめにする。でもロジックの通っていない妄想って云うのは楽しむよすががなくてなんか微妙だなぁ。
まぁ、自分の論理の破綻にいっさい無頓着な方と云うのはいるわけで。そのケーススタディを得た、とでも思っておきましょうかね。
でもねぇ。ぼくなんか一度も「最先端の難解な科学」に依拠してニセ科学問題を論じたことはないんだけどなぁ。
引き続きのエントリをお書きになってますが。
http://d.hatena.ne.jp/hasenka/20070731/p1
なんと云うか、覚悟して釣られているのは確かにぼくのほうなんですが、ちょっと小馬鹿にされてるような気がしないでもない。
by pooh (2007-07-31 07:57)
いま、ちょっと興味を持って考えている事に触れる話題だったもので、コメントしてみます。
>だから、科学は科学でないものを排斥しようとするなんてことはない。
これは、私にとってはあまりにも自明で当たり前すぎる事なのに、どうやら圧倒的大多数の人はまったく逆の認識を持っている──というのは、だいぶ以前から気づいてはいたのですけど、興味はそこではなくて……。
圧倒的大多数がそう認識していないという事は、「人間の基本仕様」として、そう認識するようには出来ていないと考えても良いのかなぁ……と。そうなると、自分がそういう認識を持っているというのは、何故なんだろう……と。自分の人生を振り返っても、特段クリティカルなきっかけがあったわけではないようなので、きっと天啓のような形でそういう認識が作られるというよりも、なんらかの積み重ねのようなもので次第にそういう認識が形作られていくのかな……なんて思ったりもするのですけど、じゃあ、自分は、平均的な他の日本人とそんなに異なるような積み重ねをしてきたのかと考えると、どうも……う~ん。
「天啓」でないとするなら、「水伝」のように1回かそこらの授業や体験で目に見えて効果が出る──という特効薬のようなものはないわけで、根気強く地道な働きかけが求められるのでしょうけど……う~ん、よく分からない。
いままでは、hasenkaさんみたいな人が、ああなっちゃったのは、何がいけなかったんだろう──みたいな視点でばかり考える事が多かったのですけど(「天国への道を知る最良の方法は地獄への道を探究することである(マキアヴェッリ)」的指向ですね)、最近は、むしろ、自分の事を内省する事のほうが多いかも知れなくなっています。
皆さんにとっては、もう論じ尽くされたような古い議論なんでしょうけど、新参者は、こんなところでつまずいています──という事で、あえて書かせていただきました。本当に人間って面白い。
by 田部勝也 (2007-07-31 23:44)
> 田部勝也さん
お考えのようなお話って、多分知能の発達とかに関連する部分のような気がします。となるとおそらく分野としては教育学の範疇になる。そう、最近の議論では「なぜだか分からないけどあまりにも手薄」と評価されている分野です。
そう云うわけでぼくにもその辺りを理解する手がかりはなんにもなかったりします。専門家が登場してくれないかなぁ。
by pooh (2007-07-31 23:58)
http://d.hatena.ne. jp/hasenka/20070731/ p1
は、小馬鹿というより、かまって君がかまってもらった時の喜びの反応の典型でしょう。多くの人から反論された→自分の主張にインパクトがあった→自分は大物だ との思考過程を、あっけらかんと書いちゃっているでしょ。この人にとって、多数の反論があったことだけが重要で、反論のないようには興味がないのです。
わかりやすくて良いですね。
by かも ひろやす (2007-08-01 00:19)
> かも ひろやすさん
うーむ、そこまでシンプルな話なのかしら。
少なくともまだ対話には至ってないですよねぇ。
by pooh (2007-08-01 07:42)
こんにちは、田部勝也さん。
>圧倒的大多数がそう認識していないという事は、「人間の基本仕様」として、そう認識するようには出来ていないと考えても良いのかなぁ……と。そうなると、自分がそういう認識を持っているというのは、何故なんだろう……と。
この部分を少し説明します。群れを作る動物は基本的に「異質な者を排除する」という本能的性質を持ちます。事例を考えてみます。例えばヒヒの群れに豹が近づいたとしますと、群れの外側に位置する個体が危険を感じ始めて動き出す訳ですね。そうするとその移動が群れ全体に伝搬して群れが移動したりするわけです。そのとき、群れの中の個体は「何が危険か」なんて認識はなさそうなんですね。周りが移動し始めるから移動するだけであるわけです。でも、その「何も考えない追随性」により群れは危険から守られている訳です。こういう追随性というのは野生の群れでは大変貴重でして、そういう追随の伝搬を止めてしまう「鈍い個体」やら、危険もないのにやたら移動しはじめてしまう「過敏な個体」が群れの中で増えると、群れ全体が危険にさらされるので一定の範囲内に「追随性の敏感さ」を留めようとする性質が生まれる訳です。
人間という生物は「知性」を持つことにより、この群れの均一性を多少は広げても群れが生きていける様になってきた生き物です。そのため「異質な者排除」についても他の動物より寛容に成っている訳ですが、その寛容さは基本的には文化が担っているわけで、後天的なものです。
基本的に人間の社会は本能による「異質排除」と文化による「異質寛容」のバランスにより成り立つわけです。文化は異質な者を寛容に受け入れるという働きはしますが、当然無制限ではありません。社会に棄権をもたらすような異質さに関しては本能に主導権を譲り、「異質排除」を働かせる訳です。このバランス感覚が無いと、文化として「異質な考え方の寛容」のためのシステムである科学が、「これは容認しては成らない」と本能に席を譲る姿をみて、「科学は異質排除する」と思ってしまうのだろうと思います。基本的にはバランス感覚が失われた二分法思考の結果だと思われます。
by 技術開発者 (2007-08-01 08:21)
お早うございます。
読んでいて、もやもやした気持ちが消えないのは、具体的な事を何も書いていないからなんでしょうね。それと、よく見かける科学批判の様なものを、モザイクの様に組み合わせているから、結局何が言いたいのかが、さっぱり解らないですね。
新しいエントリー(天気予報の話が書いてあるエントリー)は、全くもって、意味不明です…。
いや、別に、主張を解ろうとする必要も、無い訳ですが…。「この人は何が言いたいのだろう」というのを考えるのが、癖なので。
by TAKESAN (2007-08-01 10:57)
田部勝也さんへ。
私はむしろ、「科学は科学でないものを排斥しようとする」、という認識を植え付ける様な「教育」が行われる事があって、そこが問題なのだと考えています。もちろん、「教育」と言っても、学校教育だけを指す訳では無くて、物語に書かれた内容に影響を受けたり、テレビに出ている著名人の言うのを鵜呑みにしたり、というのも含みます。
つまり、科学と科学者の「誤った像」、つまり、ステレオタイプを形成するのを促しているのだろう、と。当然、それを解消するには、科学の知識や科学者の態度等を、具体的に知る必要がある訳で、それには、制度としての教育の役割が大きいのかな、と思います。
上記は、私の直観的な意見なのですが、こういうのは、社会心理学的な観点からも、興味深いのではないかと思います。
by TAKESAN (2007-08-01 11:11)
> 技術開発者さん
これって少し前にレビューを書いたガザニガの捉え方で云うと、「人間の基本仕様」は個別の脳の機能に起源するものだけれど、「文化」は2つ以上の脳の間に生じるものなので基本仕様からは直截に導けない、と云う言い方にもなりうるんでしょうかね。
基本仕様には基づくけれども、その枠内にあるものではない、みたいな。
by pooh (2007-08-01 12:13)
> TAKESANさん
ぼくの立ち位置からすると、hasenkaさんの主張はむしろ分かりやすくなっています。だからまた突っ込む(釣られる)かも。琴子さんの突っ込み芸のあとでは気が引けますけど。
二分法的思考はなにしろ二分するので、どんなものでも白か黒かに押し込める必要があるわけで。と云うことはそこからステレオタイプ化まではとっても近道、なんだと思います。
そう云うわけでぼくとしてはやっぱりそもそもの二分法的思考に問題があると捉えたいです(教育、と云う問題も含め)。
by pooh (2007-08-01 12:18)
私は年金の項目のところを読んでしかけがわかりましたよ。
そちらは、「関心のある事項」と「大きくて全貌がつかめなかったり、人や場合によって様々に解釈できたりする事項」を因果でつないで、糾弾の姿勢をとる、ということです。
やってみます。「世界の貧困は、貨幣経済の浸透による。困ったことだ。」「日本でニートが増加したというのは教育制度が悪いからだ。こんなことではだめだ。」
それで、どうせ全貌がつかめない、何のことかわからない事なら、それについて何を言っても、何かに聞こえるでしょう。「貨幣経済には貨幣経済以外の何かを排除しようとする力がはたらく。」「悪い教育制度は良い教育制度を駆逐する。」
by ちがやまる (2007-08-01 13:29)
> ちがやまるさん
えぇと、笑うところなのかどうか判別が難しくてとても苦しいです(^^;。まずはお見事
> それで、どうせ全貌がつかめない、何のことかわからない事なら、それについて何を言っても、何かに聞こえるでしょう。
なるほど。かくして言説の大量生産が可能になる、と。
by pooh (2007-08-01 21:53)
hasenkaさんについて言えば、かも ひろやすさんがおっしゃる通りの「かまって君がかまってもらった時の喜びの反応の典型」なんで、正直あまり興味がないんですよね。かまってもらうための言説の作り方も、まったく、ちがやまるさんのおっしゃる通り、この手のかまって君の典型例を地でいくモノなわけで。これほどまでに教科書的にオリジナリティの欠片もない凡庸な反応は逆に貴重かも知れませんが。
とにかく、自分の影響力というか、「僕の言動が民衆を動かしている」感を得たいだけなのであって、対話したくてやっているわけではない(はず)。
教育現場では、ずっと昔に、「子どもの不良行為は、構って欲しい・認めて欲しいという願望の裏返し」説が流行しましたけど、まったく同じ構造だと思いますね。「何が言いたい」ではないんですよ。こういうタイプの子は、もし構ってくれるのなら、「ボクはホントに宇宙人に会ったんだい」といったウソ(個人的体験でさえない純粋な作り話)も平気でするし、それを簡単に真実と思い込む事さえできるものだと、経験上、考えています。
──まぁ、ぜんぶ、単なる俺理論なんですけど(苦笑)。言説の大量生産の片棒担いじゃって、ごめんなさい。
で、私の興味に戻るのですけど、TAKESANさんが指摘されるように、私たちの育ち学んできた社会環境は、私たちに、「科学は科学でないものを排斥しようとする」といった認識を植え付けるような、かなり強力な薫陶(?)を与えている──というのは、直感的に理解できるんですよ。自分の周囲を冷静に見回してみると、むしろ、自分がそういう認識を持っていない(だけでなく、そういう認識に嫌悪感を抱いている)事のほうが不思議なくらいであるのに気づくんですね。
そういう意味では、そのような社会環境のなかでは、hasenkaさんのほうが「自然な人間」の在り方であって、自分たちのほうが、だいぶイレギュラーな存在なんだとも思えてきます。もちろん、どちらがより望ましいか──といった規範の問題ではなく、現実の社会的淘汰圧(?)からの類推として。
皆さんは、自分がそういった社会的な薫陶(?)に染まれずにきてしまったのは、何故だと思いますか。一般論としてではなくて、あくまで個人的な問題として。いや、単なる下世話なワイドショー的興味から聞いてるだけなんですけど(苦笑)。
by 田部勝也 (2007-08-01 22:21)
> 田部勝也さん
あぁ、でもぼくはhasenkaさんについてはそれほど(法律用語的な意味での)悪意には捉えてなくて。でもまぁ、思考の垂れ流しを意味のある言説に見せかける、と云う意味ではあんまり良質だとも思わないですけどね。
> 皆さんは、自分がそういった社会的な薫陶(?)に染まれずにきてしまったのは、何故だと思いますか。
自分のことは分かんないです。でもまぁ、だいぶ若い頃からメインストリームのSF者だったってのも関係している気はします。
by pooh (2007-08-01 23:38)
>poohさん。
書き方が悪かったかな。私も、hasenkaさんが悪意でやっているとは全然思っていなくて。校舎の窓ガラスを割って回った不良たちだって、「本当は構って欲しい」と知っていてやっていたわけではないでしょうし。とにかく内から溢れる何かに突き動かされた結果が、あんな感じの表現型として表れたというか。
なんというか、hasenkaさんのやってる事って、自分を見ているみたいで(苦笑)。たぶん、子どもの頃の自分が、脊髄反射で思いつくままに自分のブログにモノを書いていったら、あんな感じになるに違いないと思うんですよね(今の自分もあんまり変わりませんが(苦笑))。だから、他人事に思えないというか、余計、hasenkaさんの事が気になるというか(気になるのは、hasenkaさんの主張内容とかではなくて、行動パターンのほうね)。
>poohさん「でもまぁ、だいぶ若い頃からメインストリームのSF者だったってのも関係している気はします」
自分も、学生時代はだいぶSFに没入してたなぁ……。お陰で、進学し損ねたけど(苦笑)。
by 田部勝也 (2007-08-02 20:50)
> 田部勝也さん
あ、この「悪意」ってのは、「意図的に」くらいの意味です。かえって分かり辛い書き方をしてしまった。
いやぁ、なんかもうケーススタディとしては充分なので、彼についてはぼくはもういいです。
by pooh (2007-08-02 21:53)
田部勝也さんのご要望(?)に沿って、一般性のなさをものともせず、私の場合のケーススタディを。
私は幼い頃、あることがきっかけで、「私は誤ってとんでもない未開社会に生まれてしまった」と感じてしまい、その感覚を保ったまま成長しました。今も、その感覚をひきずっています。今から後知恵で考えると、そのおかげで、わからなさへの耐性を身につけることができました。「現代科学ではまだ○○についてはわかっていない」と聞かされても、未開社会なんだから当然のことだとしか感じないからです。結果論としては、それが良かってんでしょうね。
でも、これ、教育の参考にはなりませんね。一般性がないから他人の役に立たないだけでなく、一派間違えたら逆効果です。自分も未開人の一人であることが同時に実感できないと、裏付けのない選民思想へ一直線ですから。私はなんで大丈夫だったんだろう?
by かも ひろやす (2007-08-02 23:38)
> かも ひろやすさん
なんか、その地点から出発して、かも ひろやすさんとまったく違う地点に着地するひともいそうです。
by pooh (2007-08-03 00:28)
今晩は。
私も、自分の事ですが、書いてみます(自ブログから転載)。
田部勝也さん
>皆さんは、自分がそういった社会的な薫陶(?)に染
>まれずにきてしまったのは、何故だと思いますか。
私の場合は、「薫陶に染まった」という経験を持つ人間です。その理由は、上にも書いた様に、多様な条件が絡み合った結果、だと思います。ニセ科学に関心を持ったのも、ここ2・3年ですし。
そこから抜け出したのは、科学や技術そのものに関心を持って、科学者が書いたもの等に目を向ける様になったのが、きっかけですね。それと、ニセ科学と看做されているものに興味を持ったのも一因です。
結局、自身の無知さと、人間の有限さを実感したから、他の人の意見を見聞きしてみよう、と思ったのでしょうね。そうすると、色々な事が解ってきました。
とは言え、基本的には、懐疑的な精神、つまり、「鵜呑みにしない」傾向ではあったと思います。
apjさんの所にも、書いてみた事があります。
私と同じ様な経験を持つ人は、結構いるのではないかなあ、と思っています。
by TAKESAN (2007-08-03 00:50)
こんにちは、皆さん。少し変なことを書いてみますね。
私は労働組合の分会役員なんてものもやったわけですね。別にそう意識が高いわけでもないのですけどね。そうすると、いろんな労使紛争への署名協力なんて話が飛んでくるわけです。たとえば運送会社の運転手さんたちが「これはひどいな、こんな労基法違反の乗務をしていたら事故を起こすぞ」みたいなことで紛争していたりしまして、そういう紛争の応援署名に「**分会委員長 ***」って署名したりするわけです。
なんていいますか、そういう経験を積むと「社会のつながり」というのを嫌でも考えてしまう面があります。たとえば、かみさんとスーパーに買い物に行って「このお刺身は安いね、買おうか」と買ったときなんかに、「安いのは、このスーパーが運送会社に無理を飲み込ませて運送費を安く上げたせいではないだろうか」なんてね。そのお刺身で晩酌をしながら、「**自動車道でトラックが居眠りで多重衝突」なんてニュースでも聞くと、なんだか「人の生き血で晩酌を楽しんでいる」ような気がしてきたりするわけです。
たぶん私は「社会のつながり」がとてもわかり易い「小さなコミニティー」
で育ってから、つながりのわかりにくい「大きなコミニティー」に出てきたので、大きなコミニティーでもつながりをきにするのだろうと思います。そして、それを気にし始めると目の前のお刺身の「高い、安い」すら「安いから良いな」とは思えなくなってしまう訳です。
by 技術開発者 (2007-08-03 04:23)
あぁ、みなさんばらばらだ。これだけでも「一派」じゃないことが分かって面白いです。
by pooh (2007-08-03 07:56)
こんにちは、pooh さん。まずは、冗談をひとつ。
A「この中で痛い思いをしたい人いますか?」
B「嫌だ」
C「嫌だよ」
D「嫌よねぇ」
A「さてはお前ら全員『痛い思いをしたくない派』だな。つるんで良からぬ事をたくらんでいるにちがいない」
なんてね。
人間の共通性から利害の一致が起こる部分では、人はそれぞれ自分の判断で意見を表明しても意見の一致が起こります。
もともと、社会のモラル、あるいは「正義」といった概念というのは、人間の共通する利害の中で培われてきた概念ですから、別につるんで一派をなさなくても、或る程度の共通な判断が行われる訳です。
by 技術開発者 (2007-08-03 08:09)
今日は。
上のコメントに補足です。
>科学や技術そのものに関心を持って、科学者が書いたもの等に
>目を向ける様になったのが、きっかけですね。
これは、正確に書くと、自然科学や、工学や技術の本を読むようになった、という事ですね。
それまでは主に、人文科学(哲学やら現代思想やら記号論やら)や心理学の本を読んでいたのですが、その際のスタンスも、どちらかと言うと、実証的方法を軽んじていた様に思います。ですから、心理学の本に、統計的仮説検定の話が出てきたりしても、「人間の行動を数値に還元するのは、状況から無理矢理切り取って論じているので、ダメだ」、という、ある種の典型的な思考に凝り固まっていました。間違った意味で、ホーリスムにやられてしまったのですよね(笑) メタ理論を先ず学んで、それぞれの分野の勉強を疎かにするのはダメだなあ、という感じですね。
何だか、現象を定量的に把握する事を忌避する認識というのが、結構浸透している様にも思えます。それが現れたのが、直感や個人的経験の過度の重視、ではないかと。
by TAKESAN (2007-08-03 13:15)
> 技術開発者さん
あぁ、なるほど。そんな感じですね。
でも、それぞれの立脚点・着眼点が相違していることは大事だと思います。議論も生じるし、ほんとうの意味で補強し合うことが可能になるし。
by pooh (2007-08-03 22:26)
> TAKESANさん
定量的に判断可能な事柄だけで事足れり、とするのは間違っている、と云うのが実はずっとぼくの立場です。ただそれは、定量的に判断可能な範囲にあることを軽視してもいい、と云うことは意味しなくて。定量的なことを踏まえないと、なんと云うか立脚点をナルシシズムに求めがちになる危うさがあると思います。
by pooh (2007-08-03 22:30)
>poohさん。
ちゃんと「法律用語的な意味での」と明記されてたんで、たぶん誤読はなかったと思ってたんですけど、ごめんなさい……。
>poohさん「なんか、その地点から出発して、かも ひろやすさんとまったく違う地点に着地するひともいそうです」「あぁ、みなさんばらばらだ。これだけでも「一派」じゃないことが分かって面白いです」「でも、それぞれの立脚点・着眼点が相違していることは大事だと思います。議論も生じるし、ほんとうの意味で補強し合うことが可能になるし」
自分は、そういう事を知るのが、とても楽しくて、なんだか安心できる人間なんですね。本当に人間って面白いなぁ……と。だからこそ、いろいろな人の話を聞いてみたかったというか……。なんだか、他人のブログのコメント欄で勝手な事しだして、本当にごめんなさい。
by 田部勝也 (2007-08-04 00:09)