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いれもの [近所・仙台]

先週末に新しいハープを買った(ぼくたちブルーズマンは、10穴ハーモニカのことをこう呼ぶ)。集合住宅在住の哀しさでまだちゃんと音を出していなかったので、自転車に乗って公園に行ってきた。

梅雨の合間で、空は真っ青とはいかないけれど綺麗に晴れていて。自転車で5分ほど、公民館の脇の公園に到着。公園までの坂道は両脇が竹薮で、黄緑色の日光が透けて届く。公園は前回来た梅雨前以降にひとの手が入ったらしくて、繁茂していた雑草はすこし切りそろえられているような。

結構日光がきつい。帽子を被ってこなかったので、生えている木(なんの木か分からない。欅?)が枝を張り出していて木陰になっているベンチに座ってハープの練習。目の前は崖に河原に広瀬川。最近気付いたのだけれどぼくはマリンバンドタイプの、マウスピースの厚いハープはどうも苦手らしくて、新しいハープ(ホーナーのビッグ・リバー・ハープ)も結構すぐに唇が充血してくる。頑張ったのだが1時間足らずでギブアップ。

帰り道に大学の構内を通ってみる。設立100周年だかで地味に盛り上がっているこの大学のこのキャンパスは、最近新しく建てられた建物ともはや歴史的建造物としか云いようがないおんぼろの建物(でも現役)がごちゃごちゃと入り交じっていて、絶妙な無配慮に基づく綻びだらけのバランスが妙に楽しい。自転車で通っていると、あまり意識したことがないけれど石碑だの銅像だのが結構ある。医学校跡地の碑の脇にあるでっかい青銅製の頭は、おお、魯迅先生ではないか。裏に回って見るとちゃんと中国人の彫刻家の作品だ(ちなみにこの場所から歩いて45秒くらいのところに、彼の下宿跡地がある)。その向こうにあるマントを着た旧制高校生の銅像は、おやおや、佐藤忠良先生の手になるもののようだ。

この街は、ところどころ冗談じゃないかと思えるくらいに美しい。それも、普通の生活空間が。公園も大学も、ぼくの住処から自転車で5分圏内で、要するにご近所どころではない「そば」だ。昨日出掛けたメディアテークも、その前を通る定禅寺通も、この季節はもう天気さえよければどんな作り物の庭園だろう、イベント空間だろうと思わせるような風景だ。少し前に所用があって歩いて県庁まで出掛けたのだけれど、晩春と云うか初夏と云うかの勾当台公園と云うのも、ちょっと凄みのある美しさだった。ぼくらが大学を出て、ぼくを含む何人かの友人が東京近辺に移住して、しばらくして逢ってみたらどいつもこいつも街の汚さに辟易していた、と云うのを思い出す。

でも。
さっきうろついて来た公園も大学構内も、ぼくみたいな地域住人からすると明らかに生活空間であるはずなのに、ひとの気配や暮らしの臭いが薄い。なんだか、宙に浮いた風景のように感じられる。この辺りは特に400年分の歴史とひとの営みがきっちり集積された土地であるはずなのに(仙台開府以来ずっと市街地で、昨今の造成地みたいに田んぼだった歴史はないはずだ)、どうも妙にサニタイズされたような無臭感が漂っているのだ。

時折、この街が単なる器のように感じられることがある。意匠を凝らした、整ったかたちの、でも使用目的が定まっていないいれもの。間違いなく美しいのだけれど、その美しさは営みの積層のうえに形づくられた「用の美」ではないような。

この街に住むものとして、いったいぼくたちはこのいれものに何を入れるべきなのだろう。その入れるべきなにかを、いったいどんなものを材料にして見つけ出していけばいいんだろう。そう云うどうでもいいような、でもとても重要な気がする疑問を抱えて、とりあえずはまぁ、うちに帰って来たのだけれど。


タグ:近所 仙台
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コメント 6

FREE

日常から乖離した空間もまた「乖離したなにか」が入った器でよいのだと思います。東京に住んでいますが、乖離した空間がない(もしくは少ない)のは少し悲しい。人工的ですが草原になっている埋立地の青々とした孤立感はそれはそれで良いなと思うときもあります。線路を挟んで草原の反対側はマンションが立ち並んでいます。もしかしたら、いわゆる自然と呼ばれる人が主人公でない空間と共通するものを表しているのかもしれません。現在の都市の中で密度の薄くなった鎮守の森、乖離と寂しさと違和感を味わえる空間って、人工物の匂いの中で味わえないものだと思います。
by FREE (2007-07-08 11:58) 

pooh

> FREEさん

ただですね。仙台のこの辺り(大枠では市街中心部、厳密には市役所から徒歩20分圏内、ってところですが)にある自然って、仙台って都市が最初に拓かれたときから結構計画的に残されて来ている部分があるんですよ(政宗から数えて当代の泰宗さんが18代なので、まぁそれで数えれば18世代にわたって)。杜の都、と云う通称にも関わらず、実際には仙台市街地は面積的には緑地は他の都市に比較してそう多くないらしいんです。そう云うわけで、実は仙台の緑の土地は、何かをそこでしようと思えば実に「使い勝手のいい」場所が多い。

ただ、その環境を生かすのが仙台人は苦手で。
よく福耳さんの論考なんかを参考にしながら「なんとか仙台が元気にならないかなぁ」なんてことを考えていて、でそれから「仙台の地域レントってなんだろう」みたいなことを考えているんですが、こういう「うつわ性」みたいなのって都市のレントとして活用できないのかなぁ、みたいなのもちょっと思うんですね。イベントをやるなら、大規模でも小規模でも仙台までいらっしゃい、素敵な場所はいっぱいあるよ、みたいな。

もちろんこれってただの思いつきに過ぎませんが、でも仙台はここのところ「楽都」とか「劇都」とか云ってそう云うイベントが増えています。演劇の方はそれほど接点がないのですが、音楽イベントは多い。都市全体を2日間にわたって巻き込む巨大な「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」をはじめとして、ラ・フォル・ジュルネを(その本来の精神ともども’輸入したような「クラシックフェスティバル」とか、いちおう国際コンクールとしてちょっと注目度が高まっている「仙台音楽コンクール」とか。
で、この流れに乗って、「スケールを問わず非日常なことをするのにうってつけな空間が便利な場所に豊富にある街」ってのでなにかしら街のブランド化って出来ないのかなぁ、みたいに考えたりしたのでした。と云うか、なんかそう云う街に住みたい(^^;みたいな助平根性もちょっとあるのかも。
by pooh (2007-07-08 18:15) 

LINUS

仙台はちょっと独特な雰囲気の街でした。何でも市長さんか誰かが、「仙台の名物を100個作ろう」という観光誘致の対策が考案されたそうで、私が住んでいた当時は色々な試みがされていた。今ごろは街や川辺のケヤキなどの落葉樹が新緑の季節を迎えて美しい事だろう。

しかし仙台市、秋保温泉あたりまで広がっているから(無理やり100万人都市にしたから?)、不思議な感じがする。そろそろずんだの季節かな?だだちゃ豆食いたいなあ。。。
by LINUS (2007-07-09 13:18) 

pooh

> LINUSさん

確かに、地理的な「仙台市」って云うのは馬鹿げて広いんですよねぇ。
山形市と市境を接してたりしますから。
by pooh (2007-07-10 00:28) 

ちがやまる

ちょっと報告します。きのう機会があってpoohさんの生活圏にかなり近付いたようです。「狼坂(おいのさか)」というのが昔あったという碑がありました。オイノというと、宮沢賢治氏の「狼森」を思い出す私ですが、源義家(だったかな?)が前九年(あれ、後三年だったかな?)の役に派遣された時に狼を征伐したなごりだ、というような説明がついていました。都市というのではない予想していない形で人々の営みが蓄積している可能性もあるかもしれない、とふと思いました。
by ちがやまる (2007-07-22 00:28) 

pooh

> ちがやまるさん

そこ、知らなかったのでちょっと調べてみました。医学部の中なんですね。しかし八幡太郎とは古い(^^;。
医学部からすこし東を奥州街道が通っているので(いまは2車線の細い道ですが)多賀城へ行く途中に寄ったんですかね。
by pooh (2007-07-22 06:06) 

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