大人の都合 [世間]
現役の小学校の先生でいらっしゃるらしいfilinionさんの疑似科学と教育について。と云うエントリを読んだ。
実は少し前に、「明日の授業で『水からの伝言』を使おうかなぁ」と悩んでいる先生のブログも読んでいて、取り上げようかどうしようか悩んだあげくやめにしたりしたんだけど(コメント欄で、田崎教授や菊池教授の文書に触れながら実に適切なアドバイスをされていた方が登場されていた、と云うのもあって)。
教育にニセ科学を持ち込むのは、大人の都合だ。このことは菊池教授も云っているし、ぼくも以前鹿野司さんのところに言及したエントリで少し書いた。
もちろん、科学的事実はわかりやすくもないし道徳的とも限らないですけど、それをなんとかするのが教師の仕事です。
事実を正しく・わかりやすく教える努力を放棄して、事実の方を改変したのでは、視聴率優先で捏造番組を作る人と変わらないでしょう。
しかし、「水からの伝言」にしても「ゲーム脳の恐怖」にしても、教える側が信じ切っているように見えるのが恐ろしいところです。
疑似科学の害を子どもに広げないために、科学と疑似科学を見分ける能力を教師自身が身に付けることが大切なのはもちろんです。
とはいえ、それも一朝一夕には困難でしょう。
であれば、志ある教員が声を挙げ、疑似科学教育を許さず、これを排撃する風潮を教育界に作り上げることが先決だと思えてなりません。
これを職業倫理と呼ぶんだ、とも思う。
ともすれば「教える」と云う行為が必要以上に軽視されがちな風潮はあるけれど。そうして、その中でこう云う意思を保ち続けるのはけして簡単ではないのだろうなぁ、とも思うけれど。でも、それでもこう云う先生がいてくれないとなぁ、とか思った。
私が最近にがにがしく思うのは、懐疑論者(自称かもしれないし、他称かもしれませんが)やアルファブロガーとか呼ばれる(おそらく賢い)人が、危機感をもってこの問題に取り組んでいる人の足を引っ張っている場面があることです。
批判の批判はもちろんですが、それだけでなく、批判するときの方法があまりに乱暴すぎて、こちら側に転向しそうなギャラリーにまで、悪い印象を与えることがあると思います。
poohさん近辺に居る方は概ね当てはまらないと思うのですが、たまにkikulogコメント欄でも、同じような苦々しい印象を受ける場合があります。
懐疑論やニセ科学という言葉が知られるようになってきて、そのため劣化した批判も増えている(前は絶対数が少なかったので目立たなかっただけ)ということなのかもしれないのですが…。
私は懐疑論者倫理も訴えたいです。
by newKamer (2007-07-03 09:25)
こんにちは、newKamerさん。
>私が最近にがにがしく思うのは、懐疑論者(自称かもしれないし、他称かもしれませんが)やアルファブロガーとか呼ばれる(おそらく賢い)人が、危機感をもってこの問題に取り組んでいる人の足を引っ張っている場面があることです。
別な名前の人が「ニセ科学批判」の役割として「社会の意識が動きはじめた時に、それまで沈黙していた人が『発言したい』と思い始める。その時に発言する少数者が『発言したくなった人』に的確に言葉を届ける事が大事」なんて書いていましたよね。
実はこの「社会の意識が動くときに、押しとどめる動き」というのは、押し戻しの動きに対しても起こると考えられます。或る意味で「正常な反応」の面があるんです。もちろん、それが「押し戻し」だと気がついている人はそんな動きはしないわけです。社会がニセ科学が蔓延するような土壌を持つ方向への動きというのは、誰かが「ニセ科学は素晴らしいぞ」と言って沈黙する多数が「そうだね」とかいって動くわけではなくて、じわりじわりと動いた訳です。そのため多くの人が「社会意識が動いた」という事に気が付かぬままに、ニセ科学が蔓延するような方向に動いた訳です。でもって、ニセ科学批判というのは、その気が付かぬままに社会の意識が動いたことに気がついた者たちが「おかしいよ」と声をあげ、そして沈黙する多数の一部が「そうだね、おかしいね」と発言を始める形の「押し戻し」の動きですから、気が付かぬままということではなくて、わりとにぎやかなんですね。そのため、それが「押し戻し」と気が付かない人にとっては、「社会意識が動かされようとしている」という事にしか見えず、「本当に良いのか考えてみよう」と発言する事になるわけです。
変な話ですが「学生時代は右寄りと言われたのに、今は左寄りと言われる」なんて50歳くらいの人は多かったりします。実は30年間で、気が付かないほど、じわりじわりと社会が右傾化している訳ですね。でもって、そういう人たちが「おかしいよ」と声を上げ、それに呼応する様な動きが起こると、じわりじわりに気が付かなかった人たちは、「なんだか左に引っ張ろうとする動きが起こっているなぁ、本当に良いのかな」なんて言い始める訳です。
本当は、まず「じわりじわり」に気が付いて、表だって見えている動きが「押し戻し」だと理解して欲しいのですけどね。
by 技術開発者 (2007-07-03 17:14)
技術開発者さん。こんにちは。
きちんと意図を捉えているか、いまいち不安ですが、私が苦々しく思っているのは、そこまで高尚なことではなく、表面的なことなんです。
#と、ここまで書いて私宛のレスというよりは、ギャラリー向けの話だったかな?とも思ったりしたわけですが。
例えば、あることを否定するのが至極妥当だとしても、頭から否定したもの言いで「そんな馬鹿げたことを信じるような人間がいるなんて信じられない」とか「そんな馬鹿げたことを信じているような人を説得できるなんて、ちっとも思いませんよ」とか言い出したらダメだと思うわけです。
(あくまで例ですが、もっと酷いものもあります)
これは、ちょっと表現が丁寧だったら、考えようとしてくれた人にまで悪い印象を与えて、場合によっては意固地にしてしまうことだと思うわけです。「ビリーバーは説得できない」という最近良く聞く一般化も危ういところに居ると思います。
もちろん、私はニセ科学蔓延の現状に危機感を抱いていますし、批判はできる限りやっていった方がよいと考えています。
ただ、批判的投稿をする人には「現時点では確かに信じているけれども聞く耳をもったギャラリー」を否定しない配慮をして欲しいだけなのです。
それは「客観的に否定していない」というレベルではなく、否定されたという感情を抱かせないような配慮(努力目標)です。
感情に任せて書けば、「穏健なビリーバーを言葉の暴力で殺さないでください」ということです。もちろんこの発言は技術開発者さんには向いてませんが。
by newKamer (2007-07-03 20:13)
> newKamerさん
どちらかと云うと、ぼくは「ニセ科学批判批判」が発生するのは、マクロの現象としては健全なことだと思っています。以前きくまこ氏がここのコメント欄で発言していたような気もしますけれど、それらの批判についてきっちりと受け止め、考えることによって、より批判者側の思考も強靭になるし。
(もし批判者の末席に置いていただけるなら)ぼくの知っている限り、ぼくの行う批判がいちばん苛烈かとも思います。ただ、便宜的な言い回しに過ぎない「ビリーバー」をひとつの属性として批判する、と云うような、それこそ二分法的な批判はしないようにこころがけてはいるつもりですが。
by pooh (2007-07-03 21:49)
> 技術開発者さん
いらっしゃいませ。こちらでははじめまして。
現時点でぼくのモチベーションの源は、「いまの時点である程度論理的に整理された言説を、ネットの上に置いておく」ことにあります。読んだひとにどう捉えられるにせよ、溢れかえる「人体の70%は水」言説に対抗するものは同様にアクセシブルにされておくべき、みたいに考えています。
出来ることは「社会科学的な問題意識に基づいて、人文科学的な批判を行う」と云う唯一の芸風に基づいてエントリを書くことだけなんですけどね。
by pooh (2007-07-03 21:57)
こんばんは。こちらではお久しぶりです。
newKamerさんの書かれる懐疑論者倫理(特に水伝)についてなんですけど、僕も多少違う形かもしれませんが、気になっています。
この件で僕はmixi内では微妙な立場になりましたし(泣 まぁ自業自得ですけど)。
ネット上で例えば「水伝好き」な方と直接対話を行う場合は、懐疑論者倫理―単に「人としての倫理」で十分なのですが―についてもう少し配慮してほしいんですね。
(この時点でここによく書き込みされる方は外れます。)
ときおり、「これだと水伝を信じたくもなるよなぁ」と、僕でも思ってしまうようなひどい書き込み群も見かけますから。
本来、「道徳は水からじゃなくて、人から学ばなきゃ」と言いたい人が、対話相手をおちょくっているような書き込みしているのを見ると、いくらその人の言っていることが正しくても、聞いてもらえないどころか逆効果なんじゃないかな(対話相手にとっても「水伝好き」なROMにとっても)、などと見ながら悩んでいます。
by No.4560 (2007-07-04 00:44)
こんにちは、皆さん。
>感情に任せて書けば、「穏健なビリーバーを言葉の暴力で殺さないでください」ということです。もちろんこの発言は技術開発者さんには向いてませんが。
最初の書き込みは「ニセ科学批判の批判」の部分について書きました。一つの流れができたときに「批判」が起こることの方が自然だという事を理解して欲しかったわけです。
でもって「流れに沿いながらも乱暴な形が起こる」面についていうと、それもまた、自然に起こりえることではあります。別な名前の人が「イノベータからアーリーアドプタへの浸透が起こることで動きが起こる」という事を書いていますが、イノベータはマニアックであり、たとえば動きが新規な技術の普及の場合などでも、その技術の詳細を良く知っているわけです。でもって、イノベータがその技術とかを使いこなして楽をしている姿に触発されてマニアックとは言えない「新しいもの好き」の人たちが技術を使い始めるわけですが、その時にはマニアックな面は薄れ、イノベーターから見れば「いい加減な使い方」「道に外れた使い方」をする
ものなども出てくるわけですね。そういう部分が出てくることそのものは仕方ない面があります。
イノベータの役割としては「そんな使い方はいい加減」「そんな使い方は道に外れている」と指摘することではなくて、マニアックな知識を生かして「正しい使い方」をただひたすら見せていくことしかないのだろうと思うわけです。
by 技術開発者 (2007-07-04 04:59)
> No.4560さん
結局「目的は何か」と云うのを見失わないようにしないと、と云うことでもあると思うんです。目的に相応しいアプローチがあるはず。特に対話と云うのはその場で内容が著しく左右されるものではありますし。
ただ、ぼくの場合、自分の立ち位置を示すことが重要だとも(個人的に)考えていて、結果的に実際に書くものは結構きつい内容になりがちです。確信犯、というほど覚悟があるわけではないですが、自覚的ではあります。
by pooh (2007-07-04 07:40)
> 技術開発者さん
社会現象としての「ニセ科学」をイノベーター理論を援用して説明する、と云うのはコメント欄での議論をもとにしている発想なので、本来は議論の素材としてぼくがエントリとしてまとめて提供する必要があるんでしょうね。
ただ、現時点ではぼくもひどくゆるい把握しかしていないので、まとめられない(^^;。
by pooh (2007-07-04 07:49)
> poohさん
> ただ、ぼくの場合、自分の立ち位置を示すことが重要だとも(個人的に)考えていて、結果的に実際に書くものは結構きつい内容になりがちです。
スタンスの明示は(個人的に)必要だと思っています。それは、自分が言うことの「伝わりやすさ」に繋がると考えているので(ここら辺について、No.4560さんは違う考えなのかな?と思っています)。
内容の本質的なキツさは、無くても同じ事が伝えられるのならば、無くてもいいと思いますが、排除すべきものだとは考えていません。
分かりにくい書き方しかできていないかもしれませんが、単に「信じている人をバカにしている」などととられないような表現をすべきだということだけです。No.4560さんの最後の段落と同じ問題意識だと思います。
by newKamer (2007-07-04 10:24)
> newKamerさん
あ、いやいや、これってもっとぼくと云う個人に収束する話で。
ぼくは科学者じゃないし、あまつさえ理系でさえなくて。もちろん学者でもないので、いくらでも、例えば「そう信じたほうが素敵だと思うの(はぁと)」系の言説に自分を逃がすことが出来るんですよ。それを回避するためにはあまり曖昧な主張は出来ないし、「どう云う奴が云っているのか」を示すためにも自分語りっぽい部分は多少は入れ込まないと、なんて考えたりもするわけです。
ちなみに(誤解はないと思いますけど)誰にでも苛烈なわけじゃなくて。苛烈になるのは、主に(本人が意識的であるにせよないにせよ)実質的に相応に苛烈な主張をしている論者に対して、だけです。そう云うタイプには、柔らかくほのめかしてもあまり意味がないので、同水準の言説を行うことが多いです(同じ文体を採用したりもします)。
by pooh (2007-07-04 21:43)
>poohさん
ちょっと誤解されたかもな、と思ったので、一応補足しておきます。
昨日の書き込みの半分は愚痴なんですね。
mixiの下のトピの81(読めない方はごめんなさい)で、僕がニセ科学批判批判をしたんで。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17466416&comm_id=42238&page=all
色んな意図を込めたんで長くなっていますが、「"向こうに乗り込む際は"、ある程度配慮してくれ」程度の内容です。
だから、poohさんのやっておられることに何か文句をつけるとかそういう意図は全くないです。(あったら多分書いてますし。)
「スタンス」については、現在お悩み中です。(変わるような変わらないような。)
by No.4560 (2007-07-05 00:54)
> No.4560さん
あ、いやいや、誤解はないつもりですよ。ぼくにとっても留意しておく事柄には違いないので。
どなたかの言説に言及するエントリを書いた時点では投げかけであり、まだ対話ではないんですよね。で、投げかけはその直接の対象になる方に向けて書かれているだけではなくて、ここをご覧になる可能性のあるひとすべてに向けて書かれている。で、同時に対話の成立も期待しているわけです。
対話が成立すると、スタンスも当然変わってくるわけで。相手は発信者ではなくて、対話の相手方になるわけですので。で、poohはエントリでは威勢が良くてもコメント欄ではなんか軟化してる、みたいなことも起きるわけです。あんまりかっこよくないけど、これはしょうがない。
mixiはそもそも対話の場所なので、またちょっと違うかと。
by pooh (2007-07-05 07:43)