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支配されないために [よしなしごと]

お金がすべてなんかじゃない、と云う価値観で育った。これって世代的なものなのかどうなのか、よく分からないけれど。でも、社会に出て最初に就いた仕事は、機関投資家の立場での外国債券の投資判断だった。まぁ結果論だけど。と云うわけで、fuku33さんの隔たりを見つめながら聞いた「悲愴」を読んだ。

お金が大事だ、なんて今も云いたくないし考えたくない。でもそれよりもなによりも、お金に支配されたくなんかない(それで結果論として、ぼくは結構な締まり屋だったりもする)。

お金は価値のいちばん分かりやすい指標だ。多いか少ないかしかない。誰にでも分かる。田舎の餓鬼にでも、安物のちんぴらにも。誰でもものが云える。そんな深みのかけらもない価値に、自分を支配させるのはごめんだ。

でも、価値は価値でもあって。
生み出すこと、分ち与えること、そこから別の(例えばぼくが軽蔑せずにすむような)価値を生み出すことのために、お金は使うことが出来る。また、他のものの価値を評価する指標としてもとても便利だ。なにしろどんな馬鹿にだって理解できる。
この、どんな馬鹿にだって理解できる価値でありその指標である、と云う点が、お金のほぼ唯一の意味であり、またおろそかに扱ってはいけない理由だと思う。おろそかに扱うと、支配されてしまう(あなたやぼくが、ぼくたちの街が、国が、そして世界が)。

お金を知ること。経済を知ること、経営を知ること。それは、「お金の手下に成り下がらない」ための知恵なんだと思う。もちろん、他に価値観の軸を持たないような下司にとってはどうだか知らないけれど。

ところでアシュケナージは苦手です。ぼくにとっては、やっぱりポリーニ。


タグ:社会科学
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コメント 8

corvo

poohさん、おはようございます。
「お金がすべてではない」という価値観で育ったのはたしかなのですが、その一方できちんとお金に向き合う教育を、受けてこなかったように思います。
自分で仕事をするようになって、ようやく多くのことを勉強したような気がします。実際,これでは遅いと思うのですよね。
今、問題になっていることの多くは、「適正な価値、価格とは何か?」ということではないかと思います。そこをあまりに考えていない人が多いのではないでしょうか。
僕の仕事は値段がないようなものだと世間では言われますが、ある程度数字を出す根拠はあります。その価格が適正であるかどうかを吟味せずに、自分の財布の中身と比べて、安い、高い、という判断しかないのでは、おかしなことになってしまいます。
小学生ぐらいから、簡単な例をあげて、お金の価値について、経済について、教育がなされてもいいように思います。
by corvo (2007-06-29 10:04) 

ちがやまる

こんにちは。今朝とあるブログを見て以来、人類は適正な価格を知ることができるほどの知恵を持たないのではないか、と思うようになってます。
http://epgtlo.blogspot.com/
8年くらい前まで銅・鉛・ウランなどの精錬工場があったらしいのですが、操業を止めてからのあとかたずけが大変らしいのです。街の水道用水源対策だけでも30億円くらいかかるとか。これだけ見ると大した費用ではないみたいですが、もとの会社(すでに破産)にはこんな工場が全米に90以上あるとか。たぶん製品の値段にはこういう費用が入らないで取引されていたのではないでしょうか。こういう話がこれからどんどん出てくるようでは気が滅入るというか。
by ちがやまる (2007-06-29 14:52) 

pooh

> corvoさん

実際のところ、価格の問題ってのはおおきいですよねぇ。そこにある何にお金が払われているのか、と云うか。それは、どこに価値があって、何に対してお金が払われてるのか、と云うことであって。
確かに、実際に社会に出てそこの部分に向き合うまでは、そう云うことを学んだり真剣に考えたりする機会ってないんですよねぇ。

fuku33さんは、その「価値」が何から生み出されるのか、と云うことに対して、経営と云う角度から向き合ってらっしゃってます(と云うか、実際は順番はこの逆ですが)。ぼくはそれをとても興味深い、価値のある研究だと思っています。
by pooh (2007-06-29 21:46) 

pooh

> ちがやまるさん

結果的に環境コストが価格に含まれていなかった、ってことですね。

知恵を持たない、と云うより、適正な価格が設定されるような精度の高い仕組みがない、と云うことなんでしょう。今のところ(資本主義下においては)そこは市場のメカニズムに委ねられる、ということになっていますが、完全な市場ってものもまた存在しないわけで。

ただ、地球レベルでコストとベネフィットをホリスティックに評価するための材料はこれからもより多く獲得していくことができるでしょうし、まだ手遅れではないかもしれません。そう思いたい。
by pooh (2007-06-29 21:52) 

福耳

どうも。いろいろこの「お金を考えること事態が穢れ的に蔑視される」問題は、いろいろ深くつながって考えること多いので、ちょっとまとめるまで時間をかけていました。まだ掘り下げなければと思っていますが。

どうもこの、「ニセ科学」問題と、「資本主義批判」問題、僕にはちょっと共通点があるように思えてきました。「専門家はみんなシステムに買収されているので信用できない」みたいなところ、歴然としたデータで反証しても無視されるところ、など。
by 福耳 (2007-07-03 19:11) 

pooh

> 福耳さん

なんか「お金」と「科学」には似たところがある気がしますね。
ぼくたちの生活がそれなしでは成り立たないような絶対的な価値であること、にもかかわらず分かっている人間がごく一部しかいないこと、倫理も道徳も超えた凄まじい強靭さを持つ体系であること、などなど。
そう云えばぼくも昔福耳さんに噛み付いたことがあったような。

どうしてもこういう部分って人間の生理に合わなかったりするんだとも思うわけです。ちゃんと理解できない、それでも事実上生活を支配している怪物ですから。
ただ、その怪物に反発してイノセンスを主張しても、結果的になんら免責にはならないのが世の中だったりもして。理解しないこと、がどんな赦しも与えてくれない以上、その価値観に与しようがしまいが、理解する努力はするべきなんですよね。単純な反発は何も生まないのですから。
by pooh (2007-07-03 22:08) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

少し前に、人と「道徳教育は必要なのか?」みたいな議論をしたんですね。でもって、私の意見は「ミクロな社会では、人の経済産物が人の間を行き来するつながりが実生活的に体感できるから不要だけど、マクロな社会では人の経済産物が全体として行き来する事が実感できずに、それを円滑化するための貨幣という介在物に象徴化されてしまうので、その部分を教えることは必要になる」という考え方です。

TAKESANの所に「人生の4/5は『他の人の生産物やサービスを消費する』時間で、人生の1/5は『他の人に生産物なりサービスを提供する』時間だ」みたいな話を別な名前の人が書いているのだけど、そういう現実的な価値が社会の中でやりとりされている概念をまずもって、その上でそのやりとりを円滑化するための貨幣という介在物を理解することが必要なんだと思います。
by 技術開発者 (2007-07-04 04:40) 

pooh

> 技術開発者さん

お金にしても、科学にしても、ものごとを強力に抽象化する作用があって。効率を追求していくと、その本来持っているべき意義を離れてそれだけで走り出してしまう。
このことは、お金や科学の卓越した有用性と表裏一体なので、事実上避け得ない。そうすると、ひとりひとりにやはりそれらをどう捉えるか、についての知識なり思考方法なりが要求されることにどうしてもなってしまうのかな、なんて思ったりもします。
by pooh (2007-07-04 07:45) 

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