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ことばのむずかしさ [余談]

おとといのエントリのコメント欄でちがやまるさんとやり取りをしていて、なんと云うか言葉で何かを伝えることの難しさを改めて感じたりした。それで、何となく少し前のfuku33さんのことばのもんだいと云うエントリを思い出した。

fuku33さんの発想や問題意識は経営学の文脈においてはご本人曰く「異端」のようで(ぼくから見ると単純に定量的分析が難しいので重要なのにも関わらずなおざりにされて来た視点だ、と云うだけのように思えるけど)、そうだとすればその概念を説明するための用語は単純にその分野でのテクニカルタームだけでは足りない訳で。なにしろそこからはみ出したものを説明しなきゃいけない訳だから。で、そうすると用語を使うに当たってはその学術的な厳密さは担保されないので、経験的に妥当と思われる用語をできるだけ曖昧さのない文脈で使っていく必要が出て来て。そうすると精密な叙述を行おうとすればするほど、適切な用語選択が難しくなっていく。

ぼくは例えばここでニセ科学批判を行うに当たって、特定の学術分野から、と云う視点は採用しない。それはぼくがアカデミズムの内側にいる人間ではない、と云うこともあるけれど、でもそれは「市井の、在野の人間が行う批判」と云う位置にそれなりの意義がある、と思っているからでもある。前にどこかで書いたかも知れないけど、たいして学のない人間であるpoohに分かることなら、すべてのひとに分かる筈だ、と云う立ち位置だ。

だからとりわけ、用語については難しくなる。自分なりに噛み砕けているつもりになっている用語以外は使えないし、そうなると多少入り組んだ話になると言葉が探せない。通常の日本語と自分なりにロジックの通った文脈、と云うもの以外に依拠できるものはなくなってくる。オレ定義の用語を好きなように振り回して、それが相手に通じないと相手を馬鹿呼ばわりして勝利宣言する、みたいな白痴の振る舞いは間違ってもできない。相手に通じない場合はもちろん、通じるように書けない自分が悪いのだ。

でもなんと云うか、ありがたいことにここを読んで下さっている方々には、そう云う厳密さを欠いた、ある意味雑なぼくの用語に対する理解に対して、ちゃんと正当な「あるべき用語の用法」を教えて下さるひとが複数いる。これはとても嬉しいことだ。なので、その方々に「ここはちゃんとした用語を使いなさい」と指摘する意義を感じていただけるような内容のある考察を続けて行かなければなぁ、などと思ったりするのだ。


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