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馬鹿がデフォルトの国 [余談]

もう大昔。ぼくは理屈っぽい子供だった。理屈っぽい子供は嫌われる。
でも、なぜ理屈っぽい子供を嫌うんだろうか。カオCAOさんの人は似非科学につられてだまされるぅ〜。と云うエントリをつらつらと読んだ。

だいたいこの国では「あたまがわるい」のがデフォルトだ。もちろんみんなへりくだってそう云っているのだが、本当に頭の悪い奴も自分でへりくだってそう云っているつもりになっているのがポイントだ。

会社でいません?“オレ頭悪からさぁ”って、馬鹿を自慢している人。謙っているんじゃなくて本当に頭悪いの。

しかも同調圧力を伴って。

そう!ウソなんです。子供の頃から“理論に乗っ取った科学的推論”をしたことがない特にオバ達はコロリとだまされる。

で、騙される方が人間的だとか、イノセントだとか云う根拠のない思い込みを持っている。で、ひっくり返すとちゃんと物事を考えて騙されないでいる人間は血が通ってないとか、不純だとか云う理屈になる。
これってなんでなんだろうな。40とか50になってもそうだったりするからな。
個人的な感情だけでものを云うと、納豆どっさり喰って太ってろとか思う。

さて理屈っぽくて可愛げのない子供だったぼくはどうなったかと云うと、中学の途中で菊池誠氏をはじめとする(頭が悪いと相手にしてくれないような)年上の友人たちと出会って、とりあえず「馬鹿なのは恥だ」と云う方が一般的な感覚の人間ばかりがいるような環境の高校と大学に通って、社会に出て「体育会系」とか云う連中と出会って衝撃を受ける、と云うような人生を辿ったのであった。良かったんだか悪かったんだか。


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内海

poohさん興味深いブログを紹介して頂き感謝します(^-^)
ここなんですよね、ニセ科学やあるあるの問題はもちろんですけど、きくちさんがブログで「オウムの時の事を忘れてはいけない」と書かれている、そのオウムさえも忘れようとしている一般層の中心に彼らのような主婦層とサラリーマン層がいると私は確信しています。
過激な言い方かもしれませんが、本当にこの国の主婦層とサラリーマン層を中心とした一般層はオウム以降も反省などまるでして来なかった。
オウムの時も自分達の社会のオカルトを持ち上げた風潮や科学的な知識の不十分さを棚に上げて、ただオウム信者をひたすらバッシングし続け住民票の不受理という法律違反まで犯して、彼らを社会から切り離すだけでやり過ごしました(もちろんオウムの罪が一番重いという事は書くまでもないですが)。
その後もOー157騒動やダイオキシン問題の時は、世論やニュース番組から出てきた風評に踊らされて不買行為で農家を追い詰め、環境ホルモンの時はまるで明日人類が滅びるかのようなメディアの煽りにコロッと騙され、オウムのほとぼりが冷めた頃から、またもや復活したメディアのオカルト番組を何も批判視せず受け入れ、おもいっきりTVで取り上げた食材や健康法を何の疑いも抱かず食べ実践し、そして今度のあるあるの問題では、納豆の栄養素に対して自分達から調べる事もなく、放送後からスーパーに殺到し納豆を買いあさり、捏造と判った途端に手のひらを返したように騙されたの大合唱・・・
なぜ彼(彼女)らはここまで勉強しないのか。
「勉強は学生時代で終わり、学校の勉強なんて社会人になったら役に立たないもの」みたいな浅はかで愚かな発想がなぜここまで浸透してしまうのか。
失敗から学ぶという極めて理解し易い方法論すら、まともに取り入れようとはしない、それは何故か。
これから先も、主婦層とサラリーマン層に理系のリテラシーが無いままにしておけば、また同じ事が繰り返されるだけだと私は思います。
by 内海 (2007-02-15 01:32) 

TAKESAN

今晩は。

「自分は頭が悪いから」という意見、かなり本気で、そう思い込んでいる人もいる気がします。私も、何人かそういう人に会いましたが、共通しているのが、「頭の良さは元々決まっていて、それはずっと変わらない」と決め付けているという認識である、気がします。
それは、言い訳ですよね。「どうせ自分が考えても、対した事は無いんだ」、という。ウンウン唸って考え続けている人に対しても、失礼ですよね。

ちょっと話はずれるかも知れませんが。
私は、とある人の本をよく読むのですが、その方が、「擁護システム」という概念を提唱されていました。解り易く言うと、「下位の者を上達させないシステム」です。そういうのが、潜在的に働いているのかなあ、という気もします。懐疑心を失わせ、合理的・論理的認識をさせないという。その為の典型的な装置が、「屁理屈を言うな」(封じ込める)、「理屈を言うのは野暮だ」(ネガティブな印象を与える)、といったものであると思います。

-------

 内海さん>なぜ彼(彼女)らはここまで勉強しないのか。

多分、「他人事だから」、「人間は死ぬから」だと思います。つまり、「どうせ自分には直接関係無いし」、「どうせ、問題になる頃には自分は死んでいるだろうから、どうでもいいや」という(ここまであからさまでは無いにしても)思考なのではないかな、と。
by TAKESAN (2007-02-15 02:38) 

内海

>TAKESANさん
>>多分、「他人事だから」、「人は死ぬから」 だと思います。

そこまで一般層が達観してくれていたらそれはそれで楽かもしれないという考えが頭をよぎりますが(^_^;)
それが理由だと、彼らが科学や数学などを軽視したり、それを分からない事、出来ない事がまるで人間味があるかのように考える彼らの思考パターンを説明しづらいのではないかと。
例えば、作家の曾野綾子が「数学なんて何の役に立つんですか?」と発言したり(たしか文科省の会議での発言だったはず)、井上ひさしが「一次方程式を見ると今でも憂鬱になる」と書いたりする背景には、やはりそれを支持するような一般層の数学に対するネガティブな見方があるように思うんです。
by 内海 (2007-02-15 06:19) 

pooh

> 内海さん

前に少しだけ触れましたが、なにか「イノセントであれば糾弾しない」→「無知ゆえのことには責任を負わなくてもいい」的な感覚があるのかな、と少し思ったりします。結果「知ることは損をすること」と云うようなこれはこれで大きなテーマのような気がするのでこの場ではこれにとどめますが。

このあたり、なんか河合隼雄先生あたり読み返してみるかな。
by pooh (2007-02-15 07:50) 

pooh

> TAKESANさん

「頭が悪い」から何か免責される、と云う感覚があるのかもですね。

> 私は、とある人の本をよく読むのですが、その方が、「擁護システム」という概念を提唱されていました。解り易く言うと、「下位の者を上達させないシステム」です。そういうのが、潜在的に働いているのかなあ、という気もします。

なんとなくありそうですねそれ。でもそれって病理です。
by pooh (2007-02-15 07:53) 

亀@渋研X

こんにちは。
私も理屈っぽい子どもでした(^^;; なので思わずコメントしたくなったのですが、長くなってしまったのでトラックバックにて。
by 亀@渋研X (2007-02-15 10:03) 

柘植

こんにちは、皆さん。

司法マニアというか判決文マニアみたいなこともやっていると、「無知な方が得した」ような判決というのはあるわけですね。先物取引の詐欺なんてね。「原告は投資関係と無縁の生き方をしてきたから、元本保証があるかのように欺罔した被告の説明に疑いを抱かず、退職金を投資した」ので過失相殺は二割で、八割は返還。こっちの裁判では「原告は投資関係について充分な知識を有していると考えられる」ので、五割の過失相殺で、五割が返還、なんてね。それだけ取り出す、と「無知な方が得」なんだけど「利子の高い銀行預金と思って貰えば」なんて説明で騙される比率は、当然無知な人の方が圧倒的に多いのね。
 
事業者が「そのような法律にかかるとは知りませんでした」には「事業者たるもの『法の不知は許さず』」なんてのもあるのね。

もともとに「誰もがやらかす失敗なら許し合おうよ」が法の根底にはあるから、「知らなかったら仕方ないね」はどうしてもあるんだけどね。でも、そういう失敗なんて、「しない方が良い」と言うことに思い当たるなら、「馬鹿じゃない方が良い」というのは分かるのだけど、そういう、「先を読む」のにも「馬鹿じゃない」部分が必要なんですよね。
by 柘植 (2007-02-15 11:04) 

pooh

> 亀@渋研X

いらっしゃいませ。

トラックバックいただいた記事は、むしろコミュニケーション能力についてですよね。文系なのにコミュニケーション能力に欠ける(相手があんまり頭が悪いと話す気がなくなる)ぼくとしては耳が痛いです。

ところでぼくは多分まだ「理屈っぽい子供」だった時代に一度お目にかかったことがあると思います。まぁどうでもいいんですが^^。
by pooh (2007-02-15 12:04) 

pooh

あわわ、「さま」が抜けてしまった。ごめんなさい。
by pooh (2007-02-15 12:04) 

pooh

> 柘植さん

その昔、法律用語としての「善意」と「悪意」の意味を知ったとき、ちょっと感じるものがあったのを思い出しました。
by pooh (2007-02-15 12:05) 

柘植

こんにちは、poohさん。

法律的な「善意」つまり「事情を知らない」とほとんど同じような意味になるのだけど、なんとなく、どんどんと社会の見方が法律適用に近づいている感じをうけるわけです。

「事情を知らない」ったって、実はバリエーションってありますよね。だれが見ても「そりゃあ気が付かないよね」もあるし「気を付けていれば気づくような事だけど、ボンヤリしていたら気が付かないだろうね」もある。「うすうすは知っていたのじゃないかな」という場合もあるし、「知らないはずは無いのだけど、知っていたという証拠がない」まであるわけですね。

でね、刑事事件だと「知らないはずはない」部分は裁判で共犯が争われて、直接の証拠は無くても「全体の状況から知っていたと思われる」で共犯になることもあるけど、まあ、証拠がないとそこまではなかなかいかないわけです。民事だと「知らないはずは無い」なんてのはたいてい「知るべき責任がある」とか言われて連帯賠償の対象になったりするのね。「うすうす」の場合に連帯賠償は難しくても、未払い債権などは「善意の第三者とはいえないので請求を認めない」とされる事が多いです。

でね、もともと社会の見方というのこういう法律適用よりもっと厳しくて、「うすうす」と思われたら、「酷い奴だ」だし、「ボンヤリ」の場合だって「うかつな奴」とそれなりに信用を落としてしまうことだった訳です。ところが、社会の人が「自分のボンヤリ」は「許して貰う」のが普通になると、人のボンヤリも「うかつな奴め」と責めなく成ってしまうわけですね。つまり民事の判決に近づいているわけです。

「あるある」の話をすると、納豆ダイエットは捏造だから責めるけど「マイナスイオン」は誰も責めない訳ですね。あれは、TV局が捏造したんじゃなくて、堀口らが捏造した話を広げただけだからね。でもね、本来なら「おいおいTV局よ、うすうすはいい加減な話と知っていたのじゃないか」とか、「うすうすでなくても、気を付けていれば嘘とわかるだろ、うかつな奴め」と責めるのが社会という物であったわけです。
by 柘植 (2007-02-15 13:59) 

きくち

「頭が悪いと相手にしてくれないような」って、そうだったかあ? それは誇張だね。冗談の通じないやつは相手にしなかった・・・かもしれないけどね
by きくち (2007-02-15 23:30) 

pooh

> 柘植さん

体調が厳しくてお返事が遅くなってしまいました。

> 社会の人が「自分のボンヤリ」は「許して貰う」のが普通になると、人のボンヤリも「うかつな奴め」と責めなく成ってしまうわけですね。

なんか、たしかにこういう空気がある気がします。でもこれって、どこから来てるんでしょうね?
ぼくはどうしてもそれがどこかで「経済価値に特化した価値観の一面化」に繋がっているような気がしているのですが(まだ論理として間が埋まっていないですけど)。
by pooh (2007-02-16 07:48) 

pooh

> まこっちゃん

もちろん誇張だけど(実際はずいぶん甘やかしてもらってたけど)、子供としてはそこそこ一生懸命だったりもしたのさ。
とりあえず「知らない」ってことがかっこ悪いことだって意識はあの場で培った。あはは。
by pooh (2007-02-16 07:50) 

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