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表現の可能性(2) [ガムラン]

と云う訳で、前後編アルバムレビューの後半であります。アルバムはヤマ・サリの「衝撃と絢爛のスーパーガムラン」。前半はこちら

ゴン・クビャールはどちらかと云うと響き渡る轟音と抑揚の強さが売りになるようなジャンルのようで、そう云う意味でJVCの録音では多分テジャクラ村のグループの録音なんかが典型なのだろう、と思う。でも、ヤマサリの演奏はむしろ古典的な旋律を重視しているように感じる。トロンポンによる独奏が曲の冒頭や中盤に登場することも多い。でも、その旋律の表現方法は他のどの楽団とも全く違ったアプローチをしているように聞こえる。

竹笛であるスリン、胡弓の一種であるルバブを別にすると、ご存知の通りガムランの楽器はすべて打楽器だ。
打楽器群は大きく分けてリズム担当と旋律担当に分かれる。リズム担当は最低音を担当するゴンから音程別で幾つかのゴング類に分かれ、一番高い音程は据え置き型のチェンチェン(小さなシンバル)になる。これに加えて両面太鼓であるクンダンや、編成によっては鈴であるゲントラックも加わる。
旋律担当も、低音域から高音域まで、音階を構成するゴングの組み合わせの楽器、または青銅の鉄琴類(なんかへんな云い方だが)で編成されている。
で、低音の楽器になるほどリズムの繰り返しの中で鳴らされる回数が少なく、高音の楽器ほど多くなるのが原則だ。ゴンは4小節に1回程度、音楽の骨格として悠然と鳴らされ、チェンチェンはお賑やかしのごとく細かくリズムを刻む。メロディ楽器でもジェゴガンやトロンポンは低域〜中域を担いながら基幹となるメロディを奏で、高音のガンサはコテカン奏法で目にも留まらない凄まじい早さのパッセージを繰り返す。
これらが重なって、ひとつのメロディが織り上げられていく。必ずしもいつも同時にすべてが鳴っている訳ではないけれど、曲の中での基本的な役割は変わらないし、曲の経過の中でそれぞれの出番が登場すると、それぞれの楽器の原則に従った音が鳴らされる。

ヤマ・サリの曲とアンサンブルは、この構造をいったん完全に解体し、それぞれの楽器の役割と効果を再評価した上で、もう一度組み上げたように聞こえる。すべての楽器の音の持つそれぞれの個性をもう一度認識し直して、それらをどんなふうに織り上げれば、どんな方向に表現の可能性を伸ばしていけるのか、を考えながら、だ。
そう云う意味で、このアルバムに録音されているのは本来のガムランの再構築のように感じられる。一点西洋音楽の手法を取り入れているようにも感じられるし、実際に影響を受けている部分もあるようなのだが、そこで使われる音楽的ボキャブラリーは(おそらくこれも意識的に)本来のバリガムランのものだ。平凡な形容しか浮かばないが、これは音楽の作り方として、すごい。よほどの透徹した音楽への理解がないと、なし得ない。
既に有効であることが分かっている音楽的語彙を、その機能まで理解し、到達しうる表現を行うための使い方を判断する知性と感受性。

このアルバムは、JVCの他の録音と同様大橋力氏のプロデュースによるものだ。大橋氏のこだわり通り野外でのライブ録音で、他の録音でもお馴染みの虫の声なんかも入っている。でも、他のどの録音と較べても、楽器ひとつひとつの音の粒立ちがいい。そもそも名手ぞろいの楽団なので楽器を見事に鳴らしている、と云うこともあるのだろうけれど、それぞれの楽器のやや固い、でもクリアな音が重なり合い、うねる(この辺り、ぼくは2曲目の終盤がたまらなく好きだ。繰り返される旋律の上で、それぞれの楽器が踊る有様が。これは一種プログレッシブ・ロック的な陶酔感にも通じる)。最初に聴いてみるガムランのアルバム、としてお奨めできるかどうかはともかくとして、これがAmazonで新品品切れなのはどうかと思うなぁ。


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