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ひとの心 [世間]

「論座」2007年02月号で、「ニセ科学を考える」特集が掲載されている。執筆陣は菊池誠、田崎晴明、左巻健男、山形浩生。山形さんを除くとkikulog周辺ではお馴染みの、以前から問題意識を持って活動されている方々だ。記事の内容も彼らのこれまでの主張の延長上にあるけれど、小中学生をターゲットに書かれた「水からの伝言を信じないで下さい」や、限られた時間の中でテレビと云う媒体のリーチを最大限に生かすように構成された「まん延するニセ科学」と違って、菊池教授も田崎教授も一定以上の紙数を与えられ、彼らが論点とするところをより網羅・一覧できるかたちで述べている。この問題に興味をお持ちの方にはご一読をお勧めしたい。

この特集の冒頭に、菊池誠・田崎晴明の連名で、「オノ・ヨーコへの伝言」が掲げられている。

僕たちも、あなたが書かれているように、
この地球上に生きていることを喜ばしいと感じています。
しかし、この惑星がすばらしいのは、そこに水があるからではありません。
苦しみ、悩み、考え、そして愛することを知っている人間が暮らしているからこそ、
ここは素晴らしい場所なのです。

彼らも主張してきたし、ぼくもここで何度も述べてきたけれど、問題は自然科学に留まるものではまったくない。もちろんその部分は重要だけれども、基本的にはこれはこの社会で暮らすひとの心の問題なのだ。

ひとの心は、難しい。ひとはひとを愛することも、傷つけることもできる。善意が悲惨を招くことも、悪意が良い結果に繋がることもある。だから、ぼくたちはこの社会の中で生きていくにあたって(そして、よりよく生きていくにあたって)多くのことを考え、試し、確認していく必要がある。それは有史以来続いてきた営みであるし、少なくともぼくたちは全体としては歴史上もっとも多くの善意が溢れる時代に生きているはずだ。
多くの人々が「戦争はいやだ」と感じている。「できるだけたくさんのひとに幸せに暮らして欲しい」と感じている。それは水などに「愛と感謝」とやらを教わったからではない。歴史を通じ、多くを学び、いろんな思考と試行錯誤を積み重ねてきたからだ。
ぼくが危惧し、菊池教授たちも根本的な意味で問題にしているのは、それを一見科学的に(つまり合理的に)見せかけた薄っぺらい言説で一面的に規定し、人間の考える、試行錯誤するポテンシャルを撓め、弱体化させてしまう「波動商売」の悪質さと、それを受け入れてしまう(剰え教育現場にあるものが未来ある子供たちに教えてしまう)この時代の心性なのだ。

ジョン・レノンの「ジョンの魂」と云うアルバムに、"God"と云う曲が入っている。この曲の中で、ジョンは叫ぶように、「自分の信じないもの」を列挙していく。キリスト、仏陀、そしてビートルズ。そして、信じるのは自分とヨーコだけだ、とうたう。それはジョンが苦しみ、悩み、そして到達した結論のはずだ。この歌がショッキングで、ぼくたちの心に訴えるのは、そのことが伝わってくるからだ。
なにを信じるのかを考えること。自分の信じる力を疑い、疑う力を持ち続けること。ニセ科学は、「何かを信じたい」と云うひとの心の怠惰につけ込み、ひとが持っているはずのこれらの力を弱体化させる。ひとつの絶対的な価値観で統一された社会の危うさは、歴史を通じて何度も繰り返し学んできているはずなのに。


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