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年末年始 [近所・仙台]

仙台は歴史の浅い街だ。伊達政宗の開府から400年と少ししか経っていない。
だから、いろいろなものの起源がやけにはっきりしている。要するに1600年前後に始まったものが大半だからだ。

うちの近所にはまるで神社のような寺が幾つもある。神仏習合の賜物と云うか。
仙台卦体神と云うのがあって、生まれ年ごとのご本尊が決まっている。この辺りの情報はなぜか大崎八幡宮のサイトに少し詳しい情報が載っている(ここでも神様と仏様が親戚付き合い状態だ)。

神仏習合の習わしはある点でいい感じの「日本っぽさ」を内包しているような気がして、なんとなく好ましい。ひとだって仏様に導いて欲しいのだから神様だって同じはず、と云う発想はどうにも楽しくなる。

この辺りは町人町で、だから地名に「町」がつく。仙台の地名のうち「町」は町人町、「丁」はお武家町と云う簡単なお約束事がある(一番町はお武家町から町人町になったので「町」だ、と云う事らしい。もともとは東一番丁、だったはずだ)。仙台開府時の町方二十四町の地名がこの辺りには残っているが、旧地名がなくなってしまっているケースも珍しくない。
でも、何となく神社やお寺は旧地名と結びつけて呼ばないと気分が出ない。この辺りの「神社のような寺」は、柳町の大日さんと北目町の勢至菩薩、上染師町の荼枳尼天でグランドクロスと見なす事とするが(するが、ってなんだ勝手に)、今の地名だと柳町は一番町一丁目だし、上染師町は五橋二丁目だ。
とは云え、それはまぁ気分程度のこと。たかだか400年じゃ、「歴史」と呼んでもかろうじて恥ずかしくない程度の期間でしかない。旧地名を日常の中で使うことには風情を感じるが、それをもって何かしら文化的に深い意義をもたせることができるように錯覚しているらしいこの街の地方自治の担い手の文化感覚の底の浅さと知性の緩さは失笑ものだ、と思う。

そう云う訳で去年もそうだったが今年も初詣は神社じゃなくて寺だ。大日如来と二十三夜堂の勢至菩薩のはしご、って感じになると思う。どちらもお神籤も売っているし不自由はない。建物の中で行われているのが神事じゃなくて読経だってだけの話だ(とは云えよく考えるとこれだけでも相当訳の分からない話ではあるが。アナーキーで愉快だ)。

みなさま、よいお年を。


タグ:仙台
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