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ニセ科学容認について(1) [世間]

esperさん、と云う方のエントリ

個人的には、水からの伝言を学校教育で用いるのはやりすぎだろうけれども、大げさに否定する類のものではないと思う。理科の時間にやらぬ限りにおいてはそれほど大きな問題とは思っていない。
ニセ科学否定派の強硬な反対意見に対し、宗教の奇跡には反対せず、ニセ科学を否定するのはなぜだろうという疑問がある。

科学と宗教では役割が違うし、そのことは大抵の人間は理解しているから、ですってば。

しかし、道徳教育にニセ科学を持ち込むなという倫理を科学側から押し付けるのはどうなのか。「持ち込まない方がいいと思うよ?」ぐらいの言葉遣いで提案するのが分をわきまえた大人の発言だろう。

便利なので「水からの伝言」を持ち出すけど、「美しいものは道徳的に正しい。幾何学的に醜いものはすなわち美的に醜いもので、それは不道徳だからだ。それは言葉の表面的な善し悪しによる。これは量子力学に基づいた事実だ」って云ってる訳で。こう云う事を小学生に道徳の時間に教えるのを容認するのが分をわきまえた大人ですか。はぁ。

人間的な論争は、言葉遣いをめぐる戦いを内容を対象として行う、極めてずれた行為である。このずれがコミュニケーションを継続する原動力であり、投機筋の富の源泉でもあるのだ。

なるほど、投機筋の方なのかしら。
企業活動の活性化を通じてプラスサムを実現しようとする投資と違って、投機ってのは情報の非対称性を利用して、情報の多い方が少ない方から利益をかっさらってくるゲームだから、騙されるような人間は素直に騙されていてくれないと困りますものね。


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共通テーマ:日記・雑感

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コメント 11

esper

こんばんわ。T/Bどうもありがとうございます。いくつかコメントー

第1点、最初のは宗教と科学の役割の違いではなく、宗教につきものの奇跡についての批判はないよねーというお話です。

第2点、「これは量子力学に基づいた事実だ」っていうのであれば、これは強く批判するべきものでしょう。また、私のエントリの趣旨は、容認せよと言っているのではなく、言葉遣いを気をつけて批判しよーぜ! ということですね。

最後、私はどちらかといえば投資の方なんですが、投機家が困るというよりも、市場は効率化しえないということを言わんとしています。たとえ情報が対称であったとしても、人間の性質は変わらぬものなので、投機的な値動きは必ず起こるだろうという予測です。また、きちんとバックテストを行ったシステムであれば株価情報だけで市場平均以上に取れるわけですから、情報の有無は大して関係ないかもです。

また、この手の誤読というか、同一のテクストに対し、書き手と読み手で解釈が違うということが、みんな文章の内容なんて読んでなくて、言葉遣いばっかり見てるんだよーということを裏付けているような気もします。

そして、それは悪いことではなくて、だからこそ人間はコミュニケーションをして、社会を作るんだということではないかなぁと思っています。
by esper (2006-12-28 23:26) 

pooh

> esperさん

こんな失礼承知のエントリにコメントありがとうございます。

> 第1点、最初のは宗教と科学の役割の違いではなく、宗教につきものの奇跡についての批判はないよねーというお話です。

まぁ、それは事実ですね。でも、宗教における奇跡の意味合いは科学的云々の議論に馴染まない部分があって、慎重であるべきだと思っています(菊池教授をはじめとする一線の科学者がその辺りについて慎重なのも同じ理由だと思います)。この部分はモヒカン的な流儀で解決するのは馴染まないんだろうな、と。

> たとえ情報が対称であったとしても、人間の性質は変わらぬものなので、投機的な値動きは必ず起こるだろうという予測です。

それはそう思います(ぼくも昔機関投資家として働いていた事があります)。小林秀雄じゃないですが、将棋と云うゲームが成立する所以でもありますね。

> また、この手の誤読というか、同一のテクストに対し、書き手と読み手で解釈が違うということが、みんな文章の内容なんて読んでなくて、言葉遣いばっかり見てるんだよーということを裏付けているような気もします。

半ば意図的に表面的な解釈をした事をお詫びします。
ただ、「あり得る誤読」だったと思います。

> そして、それは悪いことではなくて、だからこそ人間はコミュニケーションをして、社会を作るんだということではないかなぁと思っています。

同意します。
ニセ科学の背景にあるのは「表面的で分かりやすいコミュニケーションを求める社会風潮」にあると思っていて、ぼくの主張はおもにそこに対する批判に向かっています。

お話しできて、大変嬉しく感じています。
by pooh (2006-12-28 23:52) 

pooh

あ、少し追加させてもらいます。

> 第2点、「これは量子力学に基づいた事実だ」っていうのであれば、これは強く批判するべきものでしょう。

菊池教授や田崎教授のスタンスはもちろんこちらです。

でもぼくは、

1.「幾何学に整っているもの」=「美しいもの」という発想
2.「美しいものが美しいのは、道徳的に正しいからだ」というロジック
3.「道徳的な正しさは、言葉の表面的な意味で判断できる」という短絡

に、問題があると思っています。それが教育の現場で援用される事に、強い嫌悪感と危機感を感じています。
by pooh (2006-12-29 00:08) 

corvo

僕自身の立場から言うと、特に「水伝」においてですが、美意識の押しつけ、言葉の限定的な活用、そこに大きな問題があります。
だからこそ、科学の分野からの反論だけでなく、人文系からのもっと強固な批判が出てきてもおかしくないはずです。
あきらかに、不寛容の強制であり、言葉に対する冒涜であることが、容認できない大きな部分なのだと思います。
by corvo (2006-12-29 00:27) 

pooh

道徳や美意識は安直な基準に基づいて判断すべきものではなくて、一生かけて養っていくものだと思います。だから、教育の現場で行われるべきなのは、自分の判断基準を作り上げる事に「着手」するための考え方と筋道の供給、ぼくの云い方だとスタートアップ・ツールキットの提供だと思います。
これは簡単な事ではないです。だから、安直な出来合いの安物に頼る事を容認できない訳です。
by pooh (2006-12-29 00:50) 

きくち

>菊池教授や田崎教授のスタンスはもちろんこちらです。

は短絡的にすぎます(^^

そこは僕たちの議論の出発点ですが、それだけではもちろんない。
poohの書いている1,2,3についても明確に否定しています(僕や田崎氏や天羽氏の文章にはきちんと書いてあるはず)
いや、poohはもちろんわかって書いてると思いますが、明言しとかないと、どこでなにを言われるかわかんないし(^^
もしかしたら、それは科学者の領分を逸脱しているという考え方もあるかもしれないのだけど、それに対してはまさに「科学者以外の人にとっても問題である」ことの提起として捉えていただくのがいいと思う
 
「科学者は科学的側面しか言わない」と思われていることには、かなりの危機感を持っています。僕のブログでもかつて「道徳の問題のほうが大事だと思う」と書かれて、「いや、それは僕がもともと主張していることなのですが」と言わなくてはならなかったことがあるのです。たぶん、「科学者は人間の心を持たないので、科学的な話以外は興味がない」というパブリックイメージがあるのだと思う(^^;

しかし、2003/1/17の日記で僕は、「仮に科学的に正しいことが証明されたとしても、道徳としてはだめである」ということを明言しているのです。ただし、誰も読まない日記なので、ほぼ誰も読んでいないでしょう(^^
http://www.asahi-net.or.jp/~dm6k-kkc/MCT/diary0301.html
(この当時は罵詈雑言を書いていたようだ)
これは血液型性格判断なんかともつながる重要な問題なのね。仮に血液型で性格の大部分が決まるとしても、それを理由として差別があってはならないわけ。
実は「道徳を科学で根拠づけるべきではない」というのは、そういう話の積み重ねから出てくるのだよね

1/4に出る「論座」では「水からの伝言の本質は不寛容である」と明言していますので、読んでいただけるとうれしい。
長さの制約があって、まだまだ書き足りないけど、それでも「科学的側面」と「それ以外」と「教育の問題」を3人で分担できたので、これまでで最も徹底した議論になっていると思います。
by きくち (2006-12-29 12:14) 

pooh

> そこは僕たちの議論の出発点ですが、それだけではもちろんない。
> poohの書いている1,2,3についても明確に否定しています(僕や田崎氏や天羽氏の文章にはきちんと書いてあるはず)

いやまぁ、主戦場を書いておかないとなんでもおっ被せられちゃうんじゃないかって、そう云う部分。印象操作っぽかったかな。

ぼくはできるだけ多くの分野の専門家に参入して欲しい、と云う立場なので。
by pooh (2006-12-29 14:28) 

きくち

それはわかるのですが、なにが困るかといえば、「科学者は人間の心をもたないので、科学的な側面以外は興味がない」という印象が広まるのが一番困るわけです。
 
困る、と書くからいけないのかもしれない。
それは個人的に「嫌」なことであるとはっきりいっておくべきかもしれない。つまり、個人的にそれには強い嫌悪感を憶えるということです。
 
はっきり言うと、僕はpoohが「でもぼくは、」と書いたことに対して、困惑しているわけ。「でも」ではなく、それは初めから重要な問題意識であったわけです
 
せめて、「やつらもいちおうそれについて言っているが、それならやつらに限らず人文系の人も主張すべきことである」と言っていただくとありがたい
by きくち (2006-12-29 15:48) 

pooh

了解です。不用意でした。
by pooh (2006-12-30 10:50) 

きくち

ネットから切り離されてました
「論座」が出たので、立ち読みしてみてください
by きくち (2007-01-04 22:23) 

pooh

買いました。
読んだらエントリ書きます。
by pooh (2007-01-05 21:46) 

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