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「曖昧さ」を利用すること [世間]

ソシュールと言語学

ソシュールと言語学

  • 作者: 町田 健
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/12/18
  • メディア: 新書


少し前に買ったのだが、やっと読んだ。ちょっとした職業上の課題について、安直に示唆を得ようとしたのが買った目的。多分まとめて一気に読まないと目的を果たせないと思ったので、その時間が取れるタイミングを待っていたのだ。
結論として、投資額程度の示唆は得られた(新書一冊の値段で偉そうに云うな、と云う気もするが、これでも昼食を抜いて本を買ったりしているのだ)。まぁ、本来の目的については仕事が絡むので言及を避けておくけど、ついでに自分についてちょっとしたことが分かった。
どうしてぼくが「水からの伝言」についてこんなに不快感を抱くのか、だ。

ぼくは文系である。そもそもは単純に「さんすうができない」という理由で文系になったのだけれど、そのうち自分に文系としての振舞を積極的に許すようになった。

科学はまず何より体系であり、骨組みだ。それは権威と云えば権威で、きっとそれなりの弊害があったりもするんだろうけど、ともかくもそれがないと科学は科学として成立しない。
それでも、体系に収まりきらない事象は存在する。自然科学の中にも、外にも。でも、体系の中に位置づけられない事象は科学的に評価を定めることは出来ない。大元の体系の中にどう位置づけるか、が、それらの事象を科学的に取り扱うための最初のアプローチになる。
科学と云うものの意義を考えると、これはもちろん欠陥ではない。でも、大元の体系に強い拘束を受けることなく、個別の事象にアプローチできるのが、基本的な文系のスタンスだ(それは、場合によってはミニチュアの体系とか、俺的体系みたいなものを構築するものであることもある)。結局のところ、ぼくにはそちらの方が肌にあう、と思った訳だ。

権威の裏付けが脆弱な分、文系的な学問にはどうしても曖昧さ、脆弱さが残る。人文科学・社会科学と云ういいまわしがあるけれど、実際のところ堅牢さでは自然科学にまったく追いついていない。
いろんな要素・知見を体系の中で位置づけること、その前にそもそもそれだけ信頼しうるものにするために大元の体系を鍛え上げていくことの困難さを、この本を読んで強く感じた。

で、「水からの伝言」だ。科学者でもない、理系でもないおいらが、どうしてこれほど強烈な異議申し立ての欲望に駆られるのか。
多分、まさにこの「曖昧さ」の扱い方にあると思う訳だ。

自然科学は曖昧さを認めない。これに対して言語学などの文系の学問は、まだ曖昧さを排除しきるだけの堅牢な体系を持たない。このことを、江本勝をはじめとする「水商売」に従事する人間は意図的なミスティフィカシオンに利用している。

「ありがとう」はいい言葉かもしれない。「ばかやろう」は悪い言葉かもしれないが、その善悪を判別するための学問的体系は存在しない。ましてや、あるものが美しいか否かを判別するような、信頼すべき思想的なバックボーンなど存在しないのだ。
だから、けしてその価値判断を自然科学的体系によって証明することなどできない。このことを、彼らは印象操作で意図的に混同する。

「ありがとう」がいい言葉なのか。だとしたら、なぜだ。「ありがとう」をいい言葉として評価し、その評価をなんらかの意義に結びつけるにはどうすればいいのか。これらについてなされるべき文系的に真摯なアプローチを、彼らはニセ科学的手法で回避する。科学的に見せかけることによって一見体系だった筋道があるように見せかけ、そのことで本来単純ではない倫理的な問題について、自分でものを考えるのが嫌いなひとたちにも呑み込みやすいような「分かりやすさ」で提示するのだ。

これは科学に対してだけではなく、あらゆる表現に対する侮蔑だ。だからぼくは不愉快に感じたのだ。そのことが、やっと自分でも分かった(なんて間抜けなんだ俺)。

言葉の持つ芳醇な曖昧さを、彼らは悪辣に利用している。
聞いてみたい。水にそれぞれ「善」と「悪」という文字を貼り付ければ、どちらがどのような結晶になるのだ。もし「悪」を貼り付けた水がかれらの価値観における「醜い」結晶になるのだとすれば、水は誰よりも明解に善なるものから悪なるものを判別してみせるかれらを、悪の概念を内包するものとして最初に害するだろう。

ぼくの卒業した大学にも文系の学部は4つほどあった。つまるところ、国からお金をもらって喰っている文系の学者も、それだけの人数がいるはずだ。
頼む。あなたたちも、戦ってくれ。ほんとうの意味で愚弄されているのは自然科学者ではなくて、あなたたちなのだ。
じっさいのところ、物理学者だって戦っているのだから。

ところで、やっぱりチョムスキーって読まなきゃいけないかなぁ。だれか解説の新書を書いてくれてないかなぁ。

Dec.7,'06追記:ちなみにチョムスキーの新書の解説本が何冊も出ているのは直後に調べて確認しています。お小遣いが貯まったら読むかも。


タグ:ニセ科学
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